私はいつだって人と比べてばかり。
ただただ人の作品を羨ましがり、悔しがるばかり。
だから自分の絵とは向き合う事もしなかったのです。
「上手に描きたい」
その気持ちはいつだってありました。
けれどそれは何のため?
「あの人に勝ちたいから。」
「世間から評価されたいから。」
「私が一番になりたいから。」
そんな承認欲求の塊と負けず嫌いはとどまる事を知りませんでした。
そのネガティブが絵に反映されるだなんて思ってもみなかったあの頃。
幼く未熟な感性は、歪んだ野心によって一番大事な「個性」を失ってしまったのです。
「描きたいものが浮かばない」
―やがてこの障壁によって行き詰まる。
それは当然の結果といえるでしょう。
養うものを間違えていたと気付くのは相当後になってからのことです。
・・夢中でうさぎの絵を描いていたあの頃。
何とも争わず
見返りも求めず
楽しいから
描きたいから
それだけで描いていたあの頃。
どうして大人になるほどにこの気持ちを忘れてしまったのだろう···。
「新天地にて」
北国特有の刺すような冷気をはらんだ風がようやくその刃を落とし、優しさを纏い目覚めを促すような息吹に変わった3月末のこと。
青森の長く厳しい冬を超した私は、冬の名残がまだ消えないうちに東北一の大都会、仙台へとやって来ていました。
高層ビルが生えるように建ち並び、人も車も目まぐるしく駆け回っている杜の都は早くも春を取り入れた快晴の青を悠々と広げていました。
私の荷物をぎゅうぎゅうに押し込んだ、父が運転するミニバンは青森から4時間ほど掛けて何とか辿り着いたものの、慣れない大都会の中を更に右往左往してなんとか目的地の専門学校へと到着しました。
ー高校の進路を決める際、私は進学などまったく考えていませんでした。
しかしやりたい仕事もなく、どうしようかと悩んでいた時に当時大好きだったある声優のようになりたいと突如思ったのです。
そこで声優科のある専門学校を志望したところ、親や担任から猛反対をくらう始末。
そして母から「あんた、絵描くの得意なんだから同じ専門学校のアニメーター科なら許す。」という妥協案を出され、渋々それを受け入れたのです。
どうしても声優になりたいなら自分で稼いでからレッスンに通え、との事でした。
こうして私はまったく予定していなかったアニメーターを目指すこととなり、専門学校への進学という道を歩む事となったのです。
学校は仙台駅からさほど遠くなく、ビル街から路地に入った細道にひっそりと立っていました。
専門学校ということで入学式のような仰々しいものはなく、簡単な入学説明程度と軽い顔合わせとなりました。
その後は私が住むことになる寮へと移動し、両親と弟の手伝いで荷物はあっという間に搬入を済ませ、家族はそのまま帰路へと着きました。
―その日から私は初めて実家を出て寮生活をすることとなったのです。
翌日、その寮部屋にひとりの訪問者がやってきました。
「よろしくお願いします。」
それがルームメイトとなる三奈(仮名)でした。
・・・三奈とは2ヶ月程前に電話で自己紹介を済ませてはいたものの、顔を合わせるのはこの日が初めてで、お互い少し緊張しながら挨拶を交わしました。
昨日の形ばかりの入学式では慌ただしかったために挨拶をしている時間もなかったのです。
そして荷物の搬入日をずらそうという事前の打ち合わせ通りに、この日は三奈の家族がやって来て次々と荷物を運び込び、これまたあっという間に帰路に着いていったのです。
その後、三奈と打ち解けるまで時間はまったく掛かりませんでした。
好きなアニメやゲームのキャラクター、どんな絵を描くかなど話しは尽きず、とても盛り上がって楽しい時間を過ごせました。
三奈は明るく元気いっぱいの女の子でしたがまったく嫌味なところはなく、人間不信の私ですらすぐに打ち解けたのです。
そして一番気掛かりだったのが「絵」。
三奈がどんな絵を描くのか私は興味津々で、早々と見せてもらうこととなったのです。
三奈の絵はシンプルでしたが、線と色使いがとても綺麗で落ち着いた画風でした。
今までも絵描きの友達は何人かいて、中には当然上手いと思える子もいましたが、正直なところ「私が感銘を受けるほど」ではなかったのです。
私から見たら三奈の絵もそういうレベルでした。
・・・何だったらまだ私の方が上だな、というくらいの自負を抱いていたほどでした。
それから数日後、ついに学院での授業が始まることとなりました。
アニメーター科は1クラスしかなく、そこに20人ほどの男女がクラスメートとして集まっていました。
ほとんどは高卒の子でしたが中には中卒や大卒、社会人経験ありの人など年齢は様々でした。
しかしアニメーター志望ということで生徒のみならず先生までも皆がアニメ好きなオタク気質だったので、気兼ねなく好きなアニメやキャラを心ゆくまで語れるという素晴らしい環境でした。
・・・それまでの学生時代はアニメ好きというだけで偏見の目で見られ、いじめられたりすることも多々あったのでとても肩身の狭い思いをさせられていました。
なので周囲の誰もが同じ価値観を持っている人の集まりというのが本当に嬉しかったのです。
「嫉妬と自惚れ」
三奈と私は特に仲が良く、教室でも隣同士に座るくらいでした。
その様子を見た先生たちからもルームメイト同士でこれだけ仲が良いのは珍しいと言われるほどでした。
ちなみに三奈はその天真爛漫な性格で男女や年齢問わず誰に対しても平等に接するので、とにかく周囲には常に人がいるような状態でした。
いわゆるクラスの人気者で、先生たちからも好かれるような愛されキャラだったのです。
それに対して私はというと・・・元々おとなしく人見知りをするタイプなので、
自分から話しかけるということはまずしません。
更に小中高といじめを受けて家庭での母からの虐待により人間不信で疑心暗鬼の塊だったので警戒心が強く、恐らくこの雰囲気が人を寄せ付けなかったのだと思います。
当時、人と必要以上に関わりたくない私にとっては好都合だったのですが、三奈の様子を見ているうちにふつふつと湧き上がるものを覚えたのです。
それは最初は単なる憧れだったのですが、やがては妬みへと変貌していきました。
「三奈ばっかりちやほやされて人気者で・・・羨ましけどなんかムカつく。どうせ私は三奈みたいに可愛くもないしあんなに明るく話せないし。」
私は三奈がクラスメートたちに囲まれて楽しそうに会話しているその様を、少し離れた所からひとりで睨むように見ているだけでした。
それはまさに陰陽のような状態でしたが、それでも私と三奈の仲は相変わらず良い友情を築いていったのです。
ーなぜならまだ私が三奈に勝てる要素があったから。
それは「絵のレベル」です。
ー高校時代、私は美術部でした。
高3の文化祭の時に美術部の展示作品として私は二種類の龍の絵を描き上げました。
咆哮する黒龍と巨大な水晶に絡みつく銀龍です。
そして文化祭が終わった時に美術部の顧問から声を掛けられました。
「なんか作品、褒められてたな。」
・・・実は美術部の展示の一角にフリースペースと題した落書き場を設けていて、いろんな来場者が絵やコメントを書き込めるようにしてあったのです。
気になった私はすぐさまそこに向かい、様々な書き込みをひとつひとつ確認していくと・・・
「二枚の龍の絵がとても素晴らしかったです。ファンになりました。」
と、とても綺麗な文字で書かれていたのです。
あまりの嬉しさにその感動をひとりいつまでも噛み締めていました。
更にこの文化祭後、美術部長からは「展示した龍の絵をデザインに起用させて欲しい」という要望をいただいたのです。
私の絵だけが選ばれ評価される、この喜びは計り知れない優越感となりました。
そして極めつけが選択科目で美術を専攻していたのですが、その3年間、課題として提出した作品はすべて90点以上という優秀な成績を修めていたのです。
しかもそれは専攻していた生徒の中でただひとりということでした。
この高校時代で私は、何を描いても評価され認められる・・そういう確信と絶対的な自信を持ったのですが、更に歪んだプライドをも持っていた私は、それをやがて思い上がりと自惚れへと変化させてしまったのです。
「井の中の蛙」
専門学校では夏休みと冬休みの課題で[自由イラスト]という作品の提出がありました。
画材やテーマは自由。描きたいものを描いてよいという、個性や嗜好を前面に出せる機会でもありました。
そして作品は先生の評価を受け、90点以上で各校の代表作品として選出。
その作品は全国の同専門学校の各校内に貼り出されて、生徒や先生だけでなく様々な人たちに見てもらえることとなる名誉を手に出来るのです。
そして私のいた仙台校にも前期の優秀作品が壁を覆い尽くすように貼り出されていました。
ーそれはもう生徒というレベルのものではありませんでした。
もはや漫画家やイラストレーターのプロと見紛うばかりのハイクオリティーな作品ばかりだったのです。
これを同年代が描いたのか・・・
私はその事実を知って愕然としました。
仙台校だけでも上手い人はいるのにそれをもはるかに凌ぐ実力者がこんなにもあちこちにいるだなんて。
それらと比べたら私のイラストなんて小学生の落書きレベルじゃないのかと・・・
高校時代のあの自惚れはどこへやら、急に自分の絵を恥ずかしく思えて仕方ありませんでした。
「全国にはまだプロにもなっていないのにこんな上手い人がこれだけいるんだ。私なんてたいしたことないじゃない・・・」
途端に突きつけられた現実に私は打ちひしがれ、絶望の階段を降り始めたのです。
「優しい龍」
私の十八番とする絵は「龍」でした。
そうなるきっかけは小学3年の時、絵がずば抜けて上手な子がいたので「龍の絵を描いて欲しい」と頼んだことがあったのです。
幼い時から恐竜が大好きだった私は、映画「ゴジラ」に敵役として出てくるキングギドラに夢中になっていた頃でした。
そして出来上がった絵は、とても小3の女子が描いたとは思えないレベルのそれはそれはもう素晴らしい龍の絵でした。
荒々しくも神聖で、勢いのある描写と力強い線。
私はその絵に大感激すると同時に「私もこんな龍の絵を描きたい!」と思ったのです。
それからまず友達の龍の絵を模写するところから始まり、アニメやゲームのドラゴンの絵も描いてとにかく練習をしたのです。
そして小5になる頃には龍の絵を何も見ずにオリジナルで描けるようになれたのです。
なので龍の絵は私にとってとても特別な意味を持った十八番となりました。
そして中学3年生の時のこと。
文化祭の時期になると美術の授業の課題として文化祭のポスターを全員描くことになるのですが、それは全員分が各教室の廊下に貼り出され、その後先生たちの評価によって「金賞」「銀賞」「銅賞」が決められます。
私は2年間金賞だったのですが、その年はある思惑がありました。
その時の私は酷いいじめを受けていて身も心もズタボロになって精神崩壊まで起こしている状態だったのです。
そんな私が企んだことはー
「見る人誰もが恐ろしさを感じる龍の絵を描く」
ことでした。
どれだけどんな人にいじめられても一切反撃が出来なかった私の唯一の反撃方法がこれだったのです。
そして私は見事に怒りに満ちた緋色の瞳で睨み付ける銀龍の絵を描き上げたのです。
そして美術部でもあった私は、その仕上げを部室でひとりでしていた時のこと。
ちょうど顧問がやってきたのです。
その梅野先生(仮名)という顧問はその年、別の中学から赴任してきた美術の教員でした。
もう定年間近の年齢なのですが、細身でいつも険しい表情をした、あまり冗談の通じないような堅苦しい人で私は苦手なタイプでした。
実際教え方も淡々としてかなり厳しい一面もありました。
なのでこの梅野先生と一対一になるのは緊張感しかなくあまりいい気はしません。
すると梅野先生は私の描いていたほぼ完成した怒号の瞳の銀龍の絵をじっと見つめてこう言いました。
「この龍は雌だな。優しい目をしているだろう?」
・・・私は絶句しました。
え?なんで???
誰もが恐怖を感じるほどの、そういう目の龍を描いたつもりなのに・・・
優しい?雌??
私が与えたかったイメージとは真逆の感想を述べられたことが悔しくて悔しくてたまりませんでした。
私の画力が足りないからだ・・・・。
この時はこう思って「もっと上手くなって本当の恐怖を与える龍を描いてやる!」という野心すら芽生えました。
すると私がそんな密かな野心を持ち始めたなんて知る由もない梅野先生は、私が使っていた水彩用の筆を取って龍の胴体を塗り始めたのです。
「これはもっとこうやって影をつけてやれば立体的になる。」
とみるみるうちに平面だった龍の胴体はリアルな膨らみを得ていったのです。
私は先ほどの怒りをも忘れて、感動と驚嘆でじっとその様子を眺めてしまいました。
そして梅野先生は私に筆を返すと「やってみろ」というのです。
見よう見まねで付けた陰影は先生のそれまでとはいかないものの、ちゃんと立体を成していました。
「良く出来てるじゃないか」
そう言ってもらえたのは嬉しかったのですが、やはり龍に怒りの瞳を表現させられなかった悔しさはいつまでも残る事となったのです。
ーやがて校内の廊下の壁は、所狭しと貼り出された数々の文化祭のポスターで彩られていました。
そこには廊下を歩いている数多くの生徒が足を止めてまで魅入られていた絵がありました。
私の銀龍です。
その絵の横には当然と言わんばかりの金賞の札。
その時の私には金賞を取ったことよりも、まったく面識もない人が私の絵を見て感動したり驚いたり称賛してくれている姿を見たり、直接的な「声」を聞ける方が嬉しかったのです。
そしてふと、こんな事に気付くようになりました。
「私は日頃からいじめられてみんなから無視されていて、私の価値や存在なんて誰も認めてくれないし、必要ともしてくれないけれど、私の絵だけはこんなにも人に認められて喜ばれている。私自身より絵の方が価値があるんだろう。
・・・でも、それでもいいか。だって私が死んでも絵だけは残る。私が生きていた証として唯一残せるもの。そしてそれが認められるならそれでいいか。」
他人から認められないと自分の価値はないものだと信じていた私は、この時期特に必死に自分の存在意義、レゾンデートルを求めていました。
しかしどうやっても見出せず、それどころかより一層絶望する出来事ばかり。
そんな中でこのように私の絵は注目されて人を呼び、描き手である私の事など認識しない人まで感動させ、普段は私をいじめる人たちすらをも驚嘆させるほどの力を持っていたのです。
だからこそ自分の絵だけが希望の光となったのです。
ーそしてこの銀龍は私が高校生になった時にも奇跡を呼びました。
高校で友達になった子も中学時代美術部だったのですが、なんと1、2年時にあの梅野先生が顧問だったそうなのです。
その子は梅野先生の赴任前の中学校の出身でした。
なので先生のことをよく知っていたのですが、やはり本当に厳しい先生だったそうです。
しかし私が銀龍のいきさつを話すとその子は
「それ、すごいね。あの先生に絵で褒められたことなんか一度もなかったし、褒めてるとこ見た事もなかったよ。」
というのです。
私はその言葉に驚きました。
・・・そしてこれらの経験から私の絵の才能は素晴らしいのだという自負に拍車が掛かっていったのです。
「葛藤」
学校生活に慣れる頃になると、授業はどんどん難易度が上がっていきました。
この学科は絵を学ぶ所なので成績はそこでしか判断されません。
絵のすべてに点数が付いてそれだけがすべてなのです。
そしてテストではカンニングすら無意味です。
例え正解の絵を見てもそれが描けないと意味がないのですから・・・。
今まで避けてきた苦手な角度、ポーズも何とかして描かざるを得ない状況に置かれてしまい、とにかく悪戦苦闘の日々でした。
「もしかしたら私だけ描けていないのかもしれない・・・」
そんな不安に駆られることもありました。
テストの点数もこれが果たしてクラスで何番目なのか、私の実力は今どの辺りなのか・・そんな探りをして周囲との差を気にしては常に何かに追われ、怯えて苛立っていました。
ー今までの環境では周囲の人たちが絵を描くのが苦手だったり、適当に描き上げた絵も混じっていたから「そこそこ上手い」絵でもそれなりの評価はしてもらえたのです。
しかしここでは勿論通用しません。
絵の世界だからこそ本当の自分の実力が試されるのです。
なのでプライドの高い私は何とか良い成績を取ろうと必死でした。
高校時代の美術でのあの輝かしい成績がここでは通用しないとやっと悟ったのです。
しかもここはアニメーターを目指すための学科であるから人物の身体の描き方や動きを描けなければなりません。
アニメや漫画は好きだったので人物キャラクターは勿論描いていたものの、もともと動物の絵を得意としていた私は人物キャラクターをいくら描いても正直納得のいく絵のクオリティーになることはありませんでした。
ー小学生の頃、授業で風景画を描く時には風景だけではつまらないからと、私はいつもカラスや猫など何らかの動物を描き足していました。
動物を描くのが大好きだった私にとって「動物を描く」というのが一番の楽しみでご褒美となったおかげでモチベーションが上がって描き進められたのです。
しかしアニメーター科で学ぶ絵は大半が人物のキャラクター。動物を描く授業すらもあまりありませんでした。
だから楽しいだなんて思えなかったのです。
しかし小中高と友達はみんな漫画のキャラクターを描いていて、それに私も対抗したかったから、私の方が上手く描けてると言わせたかったから、みんなに評価されたかったから・・・
だから多くの人に認められやすいように人気の漫画のキャラクターを必死に描いていたのです。
そしてそれは使う画材すらをもねじ曲げるまでになりました。
高校の頃にコピックというイラスト着色によく使われるマーカーを友達が使っていたことを知って、負けず嫌いで一番になりたかった私は誰よりも種類の多いセットを買うことでまずはそこから優越感を得たのです。
もちろん友達からは羨望のまなざしを浴びました。
・・・しかし正直なところ、私はこのコピックをうまく使いこなせなかったのです。
効果的な色の出し方、組み合わせ方、色々方法はあるのですが真似をしたところで私が望む作品の色合いは出ませんでした。
なのに友達はどんどん使いこなして綺麗なイラストを仕上げていくのです。
この差に私は嫌気がさしてきてコピックでの着色がまったく楽しくなくなりました。
しかしそれでもなんとかコピックイラストで認められたくて、無理やり使い続けていくのです。
そしてこれらの問題は専門学校で更に顕著になりました。
アニメーターを目指す人たちの集まりなのだから人物キャラは当然描けるし、しかもレベルも高い。
コピックも今までの友達とは比べものにならないくらい使いこなしている。
その差は歴然で、しかもますます広がっていくように感じたのです。
そして特にその中でも比較対象としていたのがあの三奈です。
当初私がたいしたことないと評価していた三奈の画力はかなり高く、好成績を取っていたのです。
しかも先生たちの中に三奈の絵のファンが出来るほどでした。
この事実を知って私のプライドは三奈のみにターゲットを絞り「何が何でも三奈にだけは勝ちたい」という嫉妬まみれの野心を抱き始めたのです。
「ファン」
どの授業や作品でも私は注目を浴びることがないまま、そして三奈だけが話題となってどんどん人気者となっていったのですが、そんな中でも私の絵が脚光を浴びる時があったのです。
それはデッサンの授業にて鉛筆のみで風景画を描く課題でのこと。
ただ風景画を描くだけでなく色のある世界をモノクロで表現すること、そして陰影の付け方など様々な技術を必要とされた課題でした。
そしてこの授業を担当する先生はルールを持っていて「ハイライト(光が当たって白く明るくなっている部分)は消しゴムなどをかけて明るさを表現してはいけない」というタブーがあるのです。
いかに鉛筆の表現だけで明暗をつけられるか、ということが試されるのですが、今までほとんどの人が消しゴムでの表現しかしていないのでそれはなかなかに難しいものでした。
そして当然私もそのひとり。四苦八苦しながらもなんとか明暗の表現を付ける描き方は出来ていました。
・・・しかしある箇所で躓いたのです。
それは水の流れ。
風景は学校近くの公園を描いたのですがそこには小さな人工の滝があり、私はそれがお気に入りだったのです。
けれど滝の水の表現がどうしても上手く出来ないことに気付きました。
そこでふと「いっそ消しゴムを使ってみたらどうだろう。ハイライトはダメだけど水の流れなら問題ないのでは?」というアイデアが浮かんだのです。
そこで一度鉛筆で全体を描き込んだあと、消しゴムでスーっとひとすじの水の流れを表現したのです。
これがなんとも水の落ちる雰囲気と動きを醸し出して納得のいく表現となりました。
そして課題提出日。
集められた作品はその場で先生が一枚一枚みんなの前で見せながら解説をしていくのですが、私の絵を手にした途端先生が
「ん?これは・・・消しゴムで水の流れを表現したのかな?」
と言うので
「あ、やばい!やっぱりダメだったかな。」
怒られる・・・と思ってビクビクしていたところ
「へぇ!これはいいアイデアですね。すごいですね。」
と絶賛されたのです。
私はホッとしたのと嬉しさで途端に上機嫌になりました。
・・・しかし、消しゴムを使ってはいけないことに替わりははないのでは・・・?と今でもそう思うのですが、そのルールを忘れさせるほど先生を感動させたのかもしれません。
ーちなみにこのデッサンの先生にはある傾向があって、生徒が提出した作品で気に入ったものは返却せず私物化するそうなのですが、唯一私のこの風景画の作品だけは返ってきませんでした。
嬉しさの反面、実は私も本当に気に入っていたので返してもらいたかったんですけれども・・・。
そしてもうひとつ、私の作品が脚光を浴びた出来事があります。それは学祭の時のこと。
私のいた学科の企画のひとつでイラストコンテストを開催することになり、校内の生徒たちが投稿してくれた思い思いの力作イラストが貼り出されていました。
テーマは自由。オリジナルキャラでも既存のアニメキャラでも何でもありでしたが、用紙の大きさは規定があって5㎝×5㎝というかなり小さなサイズになっていて、色は着けずモノクロにすること、というルールがありました。
もちろん私もそのコンテストに応募しましたが、「小さなサイズを活かしたアイデア溢れる素晴らしいイラストを!」
・・・なんていうことはまったく考えておらず、当時好きだった漫画のあるキャラクターを描いたのです。
それも何のひねりも工夫もなく、アニメーター科でキャラの動かし方を学んでいるとは思えないほど迫力もなく、ただ描きやすいからそう描いただけという安直なものでした。
そしてあまりに余白が多い線画のみなので、せめて陰影くらいはつけないと・・・とは考えてはいたもののやっぱり面倒だし、そのキャラは虚無のイメージが強いからむしろ白いままの方がいいかな、という都合のいい後付けでそのままエントリーしたのです。
本当に自分で見ても「かなり白いな・・・」と思うほどあっさりした手抜きのイラストでした。
そしてエントリーした作品はすべて貼り出され、生徒や先生の投票数によって順位を決めることになっていました。
その集計はもちろん企画した私たちの学科で行われたのですが・・・
「月狼さん、1位だよ」
クラスの男子がそう言ってきたのです。
一瞬なんのことかわかりませんでした。
そして見てみると集計結果で確かに私のイラストが一番票を集めていたのです。
ところが2位、3位の作品を見てみたら・・・
たった5㎝×5㎝の範囲によくこれだけ描き込んだものだと恐ろしくなるくらい、細かい描き込みのイラストでした。
もちろん陰影もばっちりで白い部分などほぼないくらい、色もないモノクロなのにしっかりと目に映える作品だったのです。
なのに1位の私の作品の白さと来たら・・・明らかに手抜き感満載なのになぜこれが1位なのか。
普通なら描き込みをすればするほど魅力的な作品として認められると思っていたし、実際にそういう作品が選ばれているのを何度も目にしていたので、私には不思議でしょうがなかったのです。
「・・・みんなバカなんじゃないの?」
私は思わずぽつりとそうつぶやいたのです。
だって本当に信じられなかったのですから。
その発言に「ひどいなー」と突っ込まれて笑われてしまったのですが、私がこの状況を理解出来ないと説明すると
「うーん、2位3位みたいな描き込みって逆に見てて疲れるのかも。でも月狼さんの作品はあっさりしてるからそれが印象よかったのかもね。」
と解説してくれたクラスメートがいました。
ーほぅ、なるほど。
私の手抜きの白さはある意味眩しかったのかもしれません。
しかしこれらの功績を出せたことによって、私のしおれてしまっていたプライドと自信が再び活力を取り戻したのです。
「三奈」
高層ビルや人の多さという都会ならではの洗礼もすっかり日常と化した2年の夏。
仙台の暑さは青森とはさほど変わらないものの、それでも人や建物の熱気分だけ増して感じられました。
ビルの窓に反射する真夏の日差しはとても攻撃的で地上の人々を刺すように照らしては目を眩ませるのです。
仙台駅周辺は夏休みということもあってか、普段より観光客で賑わっていました。
学校も夏休みに入ったためほとんど外出をすることもなく、私はひたすら山のように出された課題にひとり取り組んでいました。
ルームメイトの三奈は長期の休みになると決まって実家の福島へと帰っていくため、部屋をひとり占め出来るこの期間はのびのびと過ごせる贅沢なひとときでした。
数々の課題はやはり絵に関するものばかり。
その中で私が唯一楽しみにしていて全力を注ぐと決めている課題がありました。
[自由イラスト]です。
ーそれは私が入学当初、壁に貼り出された全国各校の優秀作品を目にして圧倒され、己の非力さを思い知らされたあの課題です。
もちろん1年目の夏と冬もイラストを提出したのですが、選出されるどころか大した点数すらもらえなかったのです。
しかしそんな中で三奈はなんと1年目の夏、つまり初回から選出され、その絵は全国各校にお披露目されるという名誉を得ていたのです。
そこで私の嫉妬とプライドに火が着いたのは言うまでもありません。
なんとしても今回こそ、私も選ばれようと必死になって策を練り、どんな課題よりも心血と時間を注いで一枚の作品を描き上げたのです。
苦手な人物キャラ、苦手なコピック、それらで何とか勝負して勝ちたかったのです。
そして夏休み明け、最初の授業ですべての課題が集められました。
しかしその時に三奈が自由イラストだけ提出しなかったのです。
三奈のイラストを気にしていた私はすかさず
「あれ?イラストは?」と聞くと
「うん、なんか今回は出さなくていいかなって。あんまり描く気なかったんだよね。」
と言うのです。
・・・課題なのにそれでいいのか?
と内心思ったもののこれは私の絵が選ばれるチャンスだと思い、それ以上はあえて何も言いませんでした。
すると三奈のイラストがない事に気付いた先生が
「三奈、イラストはどうした?出さないのか?」というその言葉にも三奈は
「すいません。間に合いませんでした。」と答えたのです。
すると先生は「期限過ぎてもいいからイラスト提出しなさい。」と言うのです。
その言葉に三奈は渋々従い、やっつけ仕事のようにほんの数日でイラストを描き上げて提出したのです。
そして2週間後、壁に貼られていた前回の優秀作品は撤収されて、今夏の優秀作品が貼り出されたのです。
私はすぐさまひとりで確認しに向かいました。
目的は自分の作品の有無だけ。
絶対今回はある・・・!
そう信じ、見事な作品に目を奪われながらもひとつひとつ端から確認していったのです。
ーしかしどこにも私の絵はありませんでした。
その変わり驚くべき光景が目に飛び込んできたのです。
なんと三奈の絵が貼り出されていたのです。
私は言葉を失いました。
・・・そもそも当初は課題を提出する事もせず、
先生に言われて渋々、しかも提出期限を1週間も過ぎての提出で、
やっつけ仕事みたいにいい加減に描き上げたそんな作品が・・・
なんで高評価されてるの!?
三奈はルールもモラルも反しているのに
なんでそんな人の作品が選ばれるの?
意味がわからない!
私はあんなに必死に考えて頑張って時間も労力も掛けて描き上げたのに、
期限も守ってちゃんと提出したのに・・・
そんな私が何の評価もしてもらえないなんておかしいじゃない!!
悔しくて悔しくてあまりにも悔しくてー・・・
私はこの時、三奈の絵の前でふつふつと湧き上がる怒りと憎しみにまみれたまま立ち尽くしていました。
その後日、担任からこんな話しを聞いたのです。
「あの先生ね、三奈ちゃんの絵のファンなのよ。1年の夏に提出したイラストですっかりハマっちゃったみたいで。しかもほら、気に入った作品は返さないでしょ?だから三奈ちゃんのイラストも返さなかったそうだし。」
・・・気に入られれば、絵が上手ければ、実力さえあれば、モラルもルールも無視して認められるものなの?
この芸術の世界ってそういうものなの?
どんなに真面目に取り組んでもルールに従っても頑張っても、やる気の無い実力者の方しか選ばれないの?
そんなにもこの世の中って不条理なの?
一体何が基準なの?
私はもう三奈には勝てないの??
こうして私は再び奈落の底へと突き落とされたのです。
ーそれはあまりに深くて深い、深淵の更なる底へ堕ちるきっかけとなってしまいました。
「般若」
夏がようやくその威力を納めようという心配りを感じられる空気になった頃、学校では二者面談が行われました。
その内容は自分の卒業後の進路についての話し合いや、日頃の成績や画力について担任からの見解を聞くというものです。
私はそこまで緊張することもなく、ただ自分の今の評価さえ聞ければいいという感じで担任のもとへと向かいました。
そして淡々と進路の話しや成績の話しを進めてもうそろそろ終わりかと思ったその時、担任がこう言ったのです。
「・・・月狼ちゃんさぁ、三奈ちゃんのこと気にしてるでしょ?」
一瞬でその場の空気が凍ったようでした。
「え?なんでですか?」
私はその発言の意味を悟りながらも気付かないフリをして、しらじらしくそう聞き返しました。
「あのね、絵に全部出てる。」
「・・・・・?」
「月狼ちゃんの絵にね、迷いが出てるの。入学時はすごく元気な絵を描けてたんだよ。でも今は画力とか技術こそ上がったけど絵に元気がなくなってるの。」
「・・・・・・・・。」
「それって三奈ちゃんの影響だよね?月狼ちゃんはルームメイトだし仲良いし一番近くにいるから余計に絵の上手い三奈ちゃんの存在が気になるんだろうなって思ってた。でもね、上ばかり見てても仕方ないんだよ。私も今までクラスいっぱい持ってきたけど、やっぱりずば抜けて上手い子がいるとその子に引っ張られちゃったり、変に影響されて自信なくしちゃったりする子っているんだよね。」
そう。全部、なにもかも、この担任には見抜かれていたのです。
私が三奈に対して密かに抱いていた嫉妬も悔しさもそして太刀打ちできない自分の画力のなさも・・・。
まるで占い師と対峙して何もかもあけすけにされたような気持ちでした。
そして途端に恥ずかしく、情けなくなりました。
さすが絵を教える先生だけあって、数々の生徒の絵を見てきたことでここまで心中を読み取れるようになったのでしょう。
そして私はこんなにも正確に心の中を読まれてしまったそのショックと、そして三奈がこの担任からもお世辞抜きで才能があることを認められていたという、一番聞きたくなかった言葉を聞いた絶望とで頭の中が真っ白になりました。
「それよりこれ、私の面談なのに・・・なんで三奈だけベタ褒めされてんの?肝心の私が全然褒められてないじゃない!それどころか入学時より絵のレベルが落ちてるだなんて・・・」
ぷつり、と何かが切れたような感覚のあと、茫然自失となった私は終始無言のままでした。
ただ、真っ白になっていた頭の中にふとひとつ、やらなければならない事が浮かんだのです。
「・・・あぁそうだ。三奈に今まであげた私の絵、全部捨てさせなきゃ。」
これだけがぐるぐると脳内を駆け巡っていたのです。
この後、私はどうやって帰ったのか全然記憶がありません。
それほどまでに心が打ちのめされてしまっていたから。
そして頭の中を支配していたのは先ほど浮かんだ「やらなければならない事」だけ。
・・・とにかく一刻も早く絵を捨てさせよう。もう一秒でも長く三奈に私の絵を持っていてもらいたくない。そうしないと気が治まらない・・・。
悔しさ故の思い付きでした。
三奈のようなみんなから認められる実力者に、こんなにも認められない私の絵を持っていてもらいたくなかったのです。
この時は私にとって本当に酷なものだと感じていたから。
こんな屈辱はないと思っていたから。
ーまるで私の絵を手にした三奈にバカにされているように感じて、それはもう酷い被害妄想と自己卑下に陥ってしまっていました。
寮に帰宅すると三奈がすでに部屋にいました。
私はすかさず
「二者面談で私のこと、なんか言われた?」
と尋ねました。
すると不思議そうに三奈は「いや、なにも?」と答えたのです。
・・・まぁそうだろうな。三奈に私の話をするわけはないか。
そう思った私は早々と本題を切り出したのです。
「私さ、二者面談で三奈の話しされたんだよね。三奈は絵が上手いって。それに比べて私は入学時より絵に元気がなくなったって言われてさ。
私の面談なのに三奈がめっちゃ褒められてんの。
・・・だからさ、私の絵なんて価値ないってことだから今すぐここで捨ててくんない?三奈に持っててもらいたくないんだけど。」
ーそのあまりにもめちゃくちゃな私の言い分に、三奈は怒りなのか困惑なのかなんとも言えない複雑な表情を浮かべていました。
「それは・・・嫌だ。捨てるのは嫌だ。だってこれは私がもらったものだし、だからどうするかは私が決めることだよ。」
静かに、でも明らかに不愉快な感情をこめて三奈はそう答えました。
「でもあげたのは私だし、描いたのも私だから私の方に権利はあるから。」
そう言い放って睨み付ける私を見て、三奈は自分の机からファイルを取り出して、今まで私が上げた絵の束を掴み出しました。
「・・・あのさ、私、中学の頃の美術の先生に[絵は自分の子供だと思って大事に扱うように]って教わったんだよ。私その言葉が大好きで、それ以来どんな落書きも捨てないで取っておくようになったんだよ。だから本当はこんなこと絶対したくないんだけど・・・。」
「あぁ、そう。・・・だからなに?そんなの私知らないんだけど。私が捨ててって言ってるんだから捨ててよ!」
三奈の必死の抵抗は私にもわかっていました。
けれどこの時の私はもう嫉妬と怒り一色となってしまっていて、人の気持ちなんてどうでもよかったのです。
とにかく捨てさせたい。これ以上、三奈に私の絵を持っていてもらいたくないから。これ以上、自分を惨めにしたくないから。
三奈は私と無言のまま数秒睨み合っていましたが、もうどうしようもない、説得出来ないと悟ったのか仕方なさそうに私の意見を受け入れたのでした。
「・・・わかった。ここで捨てるとこ見せたらいいのね?」
「そう。」
すると三奈は渋々ゴミ箱へと私の絵の束を静かに入れたのです。
「・・・これで満足した?」
完全なる嫌味とやりきれなさを含んだ言い回しでした。
それを悟った私は
「うん。これでいいよ。」
と納得したのです。
「こんなこと、本当はやりたくなかったんだけど・・・」
そう三奈がぽつりとつぶやきましたが、私は聞こえないフリをして聞き流していました。
するとその後、三奈が驚くような発言をしたのです。
「じゃあ他の友達にも同じようにあげた絵を捨てるように言ってよ。」
・・・これはもう三奈のやり場のない怒りによる八つ当たりだったのかもしれません。
「もちろん言うよ。」
当然、と言わんばかりの表情で私はそう言いましたが、結局他の友達には絵を捨てるようには言いませんでした。
私は三奈だけに持っていて欲しくなかったのですから・・・。
これを機に当然三奈との仲には亀裂が入りました。
ー元々、私にはとっくに三奈へ嫉妬を抱いた頃から亀裂は入っていたのですがー。
そしてクラスなどでは表面上は仲の良いフリをしていましたが、部屋では会話はほとんどなくなりました。
するとしばらく経って、三奈が持病である皮膚病を悪化させ、休校して実家へ帰ってしまったのです。
おそらくはストレスが原因だったのでしょうが、三奈はそれについて私を責めることは一切しませんでした。
私もさすがに気付いてはいましたが、一切何も言いませんでした。
三奈のいなくなった部屋で私はのびのびと快適な生活を送っていましたが、クラスはどことなく活気がなくなっていました。
二ヶ月ほどで三奈は復校しましたが、この時に私に卒業後の進路を明かしました。
「私さ、卒業したらアニメーターになるの今はやめとく。実は私、美術の先生になりたかったんだよね。アニメーターから美術の先生になろうかって考えてたんだけど、病気のこともあるししばらくは身体休めて、そしたらまた絵の勉強やり直そうって思ったんだ。」
・・・そう。私が三奈の夢を遠ざけてしまったのです。
しかしそれでも三奈は絵の仕事を諦めてはいませんでした。
一方、私はというと、もはや絵の自信などすっかり無くしてしまい、授業で散々描きたくない絵を描くストレスや描けないプレッシャーによって絵を描く楽しさも無くしてしまい、絵をトラウマのように抱えてしまっていたのです。
そしてアニメーターになるには東京に出なければならないという事を知って、東京での一人暮らしなど絶対に無理だし嫌だという拒否から、アニメーターになる事を諦めて地元に帰って一般職に就くという進路に決めたのです。
こうして2年間の絵の学びを終え、私も三奈も卒業後はアニメーターにはならずにお互いの地元へと帰って行きました。
寮を出る時は別れを惜しむこともあまりなく、あっさりと「じゃあね」と言った程度でした。
地元に帰ってから二ヶ月ほどは三奈とメールでやりとりしていたものの、あっという間に縁は切れました。
それは当然とも言えますが。
三奈の方が縁を切りたくてしょうがなかったのだと思います。
それ以降、三奈とは一切連絡は取っていません。
なので今どこでどうしているのか、アニメーターになったのか、美術教師にはなったのかなどという経緯はまったくわかりません。
ただ願わくば夢を叶えていて欲しいと今の私はそう思うのです。
「その重さに気付く」
卒業後の私はいったん実家に戻ったあと、しばらくしてから小さな町工場へと就職して1人暮らしを始めました。
月10万程度の手取りでしたが、家賃2万3千というアパートで質素ながらも悠々自適な生活を楽しんでいました。
・・・しかしあれだけ大好きだった絵がまったく描けなくなってしまったのです。
もう落書きすらも描けないほどに絵から完全に離れてしまっていました。
それほどまでに私はダメージを受けてトラウマを抱えてしまっていたのです。
そして3年ほど絵とは無縁の生活を送っている中で、ある絵画展示の広告が目に入りました。
それはシム・シメールという画家の展示会でした。
前々からこの方の作品は知っていたものの展示会には行った事がなかったので、ちょっと行ってみようかという軽い気持ちで向かったのです。
動物の絵を好んで描いていた私にとってシム・シメールの動物画はあまりに圧巻されるものばかりでした。
近くで見てみるとなんと毛並み一本一本を描き込んでいるのがわかり衝撃を受けたのです。
「これがリアルな毛並みを表現する技術なんだ・・・」
そして同時にこんな意識が芽生えたのです。
「私もこうやって描いてみたい!」
それは3年ぶりの意欲でした。
私はすぐに画用紙と水彩絵の具を用意して一頭の白い狼の絵を描いたのです。
もう学校の授業で課せられた描き方や表現方法などをまったく気にしない、自分の描きたいように描き上げたものでした。
ー3年のブランクのせいか、それはそれはもう酷い作品でした。
毛並みはシム・シメールのそれを真似て描いたのですが、もちろん初めての技法で自己流なので本家にはほど遠い表現力でした。
ただ、すごく満足したのです。
これを作品として提出したなら大した点数など付かないでしょう。
でももう、そんな評価を下す人はいないのだからという安心感もありました。
するとまた何か描きたいとう意欲が出てきたのです。
それを機に私はコンセプトを決めました。
「実在しない獣、幻獣を実在するかのようにリアルに描く」
というものでした。
そう、私が描きたかったのはアニメのキャラクターなんかじゃない。
動物の絵だったんだ。
それを好きなように描いて良いんだ。
そこから私は空白の3年間を取り戻すかのように夢中で幻獣画を描き続けたのです。
それは誰のためでもなく自分のためだけのものでした。
画材はコピックはもう使う事もなくなり、水彩絵の具のみになりました。
それが一番使いやすくて私の表現したいものが出せるからです。
そしてある時、数々の下書きを見た瞬間に三奈の言葉がふと脳裏をよぎったのです。
「絵は自分の子供だと思って大事に扱うように」
三奈が心掛けていたこの言葉の意味と重さが、急にズシリと心に響いたのです。
しかしそれはまったく嫌な感覚ではありませんでした。
それどころかこれは持っておくべきものだとそう感じたのです。
ーその日以来、私は落書きも含め絵を捨てることをしなくなりました。
それは三奈への謝罪の気持ちも込めた自戒の念もあります。
私はこの頃になってようやく自分がどれだけ三奈に酷いことをしてしまったのか、そして三奈の夢を遠ざけてしまった事も含め、謝罪すら一切しなかった私をとにかく悔やむようになったのです。
ーきっともう三奈と会うことはないだろう。
例え機会があったとして向こうが会いたがらないだろう。
あれだけ嫌な目に遭わされたのだから当然のこと。
無理に連絡を取ろうとは思わない。
三奈はもう私のいないところで幸せに過ごしているだろうから。
私に会ったら嫌なことを思い出させるだろうし。
でももし、もしも会えたら全身全霊で謝りたい。
今でもこんなことを考えています。
「東奔西走」
それから定期的に幻獣画を描き続けていた私は、いずれ個展を開きたいという夢を持つようになりました。
そこでもっと画力を付けたいと思っていた時にネットでオンライン制の美術学校の存在を知ったのです。
それは入学するにはまず学校説明も兼ねて講師と直接対談し、その場で現在の自分の絵の評価をしてもらえるということでほんの興味本位で応募をしたのです。
講師はわざわざ東京から青森まで出向いてくれて、市内の会館の一室を借り切っての対面となりました。
しかし私の絵を見るなり講師は「上手いですね。」「素晴らしいですね。」「才能あります。もったいないです。」と言うだけで具体的にどこが良いかという指摘はありませんでした。
それは単なる営業トークとしか感じられないありきたりで褒め殺しの感想を述べるだけでした。
・・・この人、本当に絵を見る講師なの?
素人でも言えるような評価の言葉で、あまりの胡散臭さにそんな疑問が頭をよぎる中、学校のカリキュラム説明を受けていた時
「ちゃんと聞いてますか!?」
突然講師が声を荒げたのです。
もちろん私はちゃんと聞いてはいたので「むしろなぜ?」という感じになってしまったのと、突然怒鳴られたことへの恐怖ですくんでしまいました。
すると講師は
「もっと貪欲になって下さい!でないと売れませんよ!」
というのです。
・・・あぁ、これは私が学びたい所ではないな。
そう悟って結局私はその学校を受講することはありませんでした。
そこから私は自分で作品を世に出そうとSNSを始めたのです。
友達のほぼいない私はフォロワーなどゼロに等しかったのですが、それでも私の作品を見たというフォロー外の人から二件の依頼があったのです。
一件はアマチュアバンドをやっている女の子から、今度自主制作でCDを出すからそのジャケットを描いて欲しいという内容でした。
実際にそのバンドメンバーにも会い、曲も聴かせてもらっていざそのイメージを絵にしようとしていた時のこと
「ごめんなさい。メンバーと揉めてバンド解散することになりました。」
まさかの急展開であっという間に私の絵のデビューは泡となり消えたのでした・・・。
その後もまたひとり、アマチュアでアーティスト活動をやっているという男性から「自分の書いた詩をイメージしたイラストを描いて欲しい」という依頼があったのですが、完成したイラストを送ったところあまり反応がよろしくなく、結局それ以上の依頼はありませんでした。
待っているだけでは駄目だと思った私は、自分からも積極的に絵を外に出そうとその方法を模索していたところ、横浜のギャラリーで幻獣をテーマにした展示会を開くというのを見つけ、出展してみたのです。
そのギャラリーにはその後、3回ほど出展したり在廊したりもしたのですが、同じジャンルの絵描きと知り合えるチャンスがあったにも関わらず、人見知りと極度の人間不信が災いして結局友人知人も出来ず、絵も販売はしたものの一切売れることはなく私の絵の知名度には何も箔が付かないという状態でした。
「琴線に触れる」
そんななかなか発展しない日々を過ごしていた時にSNSでフォロー外の人からこんなコメントをいただけたのです。
「初めまして。通りすがりのものです。実は先日、失業してもうやる気もなにも起きない状態だったんですけど、あなたの絵を見たらなんだか元気が出ました。また頑張れそうです。ありがとうございました。」
・・・本当に驚きました。
私の絵が気落ちしてやる気を失っている人に元気と意欲を与えられるだなんて夢にも思いませんでした。
それからしばらくしてまた別のフォロー外の人からこんなコメントをいただけたのです。
「今まで絵を見て感動なんてしたことなかったけど、あなたの絵を見て初めて感動しました。」
これにもびっくりでした。
今までプロアマ問わず絵を見る機会なんていくらでもあっただろうに、そんな中で私の絵が人生初の感動を得た絵だなんて・・・。
この出来事は私が抱いていた絵への定義を大きく変える転機となりました。
そしてふと中学の頃を思い出したのです。
そういえば私をいじめていた人たちも私の描いた絵を見て褒めたり感動してたな・・。
なんだろう、私の絵には人の心を動かす何かがあるのかな。
そう気付いたのです。
それからこの出来事をバネにして絵を描こうとするのですが、仕事が忙しいのと私生活で様々な出来事があり、絵を描く心の余裕がどんどんなくなってしまったのです。
そして絵の仕上がりも半年に1枚、1年に1枚、2年に1枚とペースも落ちました。
元々絵を描くのが遅いのと、細かい描写をするのでどうしても時間が掛かるというので作品ひとつ仕上げるのに相当な時間を要していたのです。
そうしているうちに私はまた絵を描く機会を失ってしまいました。
というより「描きたいけど描けない」という状況だったのです。
SNSでの掲載もすっかり更新しなくなり、個展という夢すらも忘れかけてしまった頃。
自分の抱えていた心の問題や仕事がようやく落ち着いて、環境と心境にゆとりが出来たのです。
そんな時にふと、「また絵を描こうかな」と思い立ったのです。
が、同時に「私ってなんで絵を描き始めたんだろう」とその原点が気になったのです。
今までこんなことは考えたこともありませんでした。
ー私が覚えている最初に描いた絵は保育園で描いた友達の似顔絵でした。
その友達も私の似顔絵を描いてくれたのですが・・・その子のほうが私よりずっと上手に見えたのです。
私はそれが少し羨ましくて、少し悔しかったのです。
でもその後、「絵を描く」というのが楽しいと感じた私はひたすらうさぎの絵を描いていました。
いつも横向きの、首まわりがもふもふの同じうさぎでした。
・・・別にうさぎが特別好きという訳ではなかったのですが、なぜかハマっていたのです。
最終的には紙に描くのには飽き足らず、家の柱にうさぎの絵を彫りつけていたのを覚えています。
とにかく楽しくて仕方なかったのです。
純粋に描くというのがこれだけ楽しいものだったかなということを改めて考え、思い出したのです。
「初心に還ろう」
私は絵を基礎からやり直したくなったのです。
そして仕事終わりに通える夜間の絵画教室を見つけ、そこに週1で通うこととなりました。
自分の稼ぎで習う、初めての習い事でした。
授業では静物画デッサンを行ったのですが、美術部時代も専門学校時代も散々描いたデッサンは、嫌々渋々描いていたあの頃とは違ってすごく楽しくて仕方なかったのです。
デッサン自体描くのは相当久しぶりだったものの、それでも上手く描けたと自分では大満足でした。
こうやって週1の楽しみが出来たのです。
そしてデッサンを描いている時、やたらと学生時代の事を思い出すのです。
嫌な思い出が多い中、絵を描いている時のものは良い思い出が多いのだと気付きました。
そんな時、ずっと忘れていたある出来事を思い出したのです。
ーそれは中学時代のこと。
学校では生徒ひとりひとりに学級日誌というノートが配られ、そこに連絡事項や必要なことをメモしたりするのですが、そのページの下部には「今日の感想」という項目がありました。
日課としてそこに感想を書いて提出するようにと言われていたのですが、ほとんどの生徒は面倒くさがって「今日は疲れました」というひとことのみだったり、何も書かずに空欄にしていたりという感じでした。
ちなみにその感想を読んだ担任がそれに返事を書いてくれるというシステムになっていたのです。
文字でのやりとりが大好きだった私は、その日誌の感想に先生が返事を書いてくれるというのがものすごく嬉しくて、日誌が返却された時は先生の返事を見るのが楽しみで仕方なかったのです。
なので感想はどんどん長文となり、全行をびっしり埋め尽くすまでになりました。
それでも先生は全部読んでくれて丁寧に返事を書いてくれるのです。
私はますます嬉しくなって、もっと喜んでもらおうと余白に小さな可愛いイラストを描き始めたのです。
それは感想の内容に沿ったイラストで、動物だったり花だったり小物だったりといろんなパターンがありました。
もちろんそのイラストも褒めてもらえたので私は大満足だったのです。
ーしかしこの時、ある事態が起こっていることを私はまったく知りませんでした。
実はこの私の日誌のイラストが職員室で話題となりファンとなった先生もいたそうなのです。
本来なら自分のクラスの日誌しか見ないのですが、他クラスの先生が
「今日はどんなイラスト?」
と楽しみにしていて、わざわざ見に来ていたそうです。
そして驚いたのがこの後その話題が校長先生にまで届いたそうです。
そして私の日誌を見た校長先生はこんな感想を述べたそうです。
「こういう感受性の強い子はいじめられやすいから気を付けた方がいいですよ」
ーその校長先生の言葉はすぐに現実のものとなりました。
私がこの話を聞いたのはいじめを受けて両親が学校に来た時のことでした。
しかし私はこの話が嬉しかったのと
「そっか。私って感受性が強いんだ。」
という自分の真性を知れたことへの喜びを感じていたのです。
そして肝心のいじめは解決したものの、すぐに他クラスの生徒からのいじめが始まり、私はその時はもう親にも先生にも打ち明けませんでした。
誰もまともに守ってくれないと悟ったからです。
そして日々エスカレートしていくいじめと孤立感で私は精神を酷く病みました。
それでも誰にも気付かれないように優等生を演じていたのです。
けれど悔しかった、ツラかった、反撃したかった。
その葛藤と劣等感はやがて恐ろしい攻撃性「殺意」をはらんでいったのです。
「みんな死んでしまえばいい」
そんな意思を持っていてもやはり直接的な攻撃は出来ませんでした。
そんな時に思いついたのが「絵」で恐怖を与えるという方法でした。
・・・そして描き上げたのがあの銀龍だったのです。
しかし梅野先生に「優しい目をした雌の龍」と心外な感想を言われ当時は不服だったのですが、今の私になってふと気付いたのです。
ー絵は自分の心の状態を表すと色々な場面でそう教わった。
私自身もその経験をしたのでよくわかる。
中学時代あれだけ荒んだ精神状態だったのに、それでも描き上げたのは優しい目の龍。
だとしたら私の心は優しさが真の性質で、あれだけズタボロにされても、殺意まみれになっても、それでも真性である優しさだけは失わずにちゃんと持ち続けていたという証だったんだと。
かつて悔しい思いをしたあの出来事は、本当の私を教えてくれた大事な瞬間だったのだと。
絵は私にいろんな経験を与えてくれました。
あまりにも紆余曲折ありましたがそれも含めて学びが身になりました。
三奈を傷付けたことだけは私は自身を許してはいません。明らかに悪いのは私です。
しかしもう二度とあんな嫉妬を抱かないように今度こそ本当に描きたいものを描こう、そう決めたのです。
今後は誰かの絵と比較するのではなく「私の絵」というジャンルを描くことにしました。
それは誰にも真似出来ない、私だけの特別なものだから。
例え模写をしたところで見る人に伝わる「感情」までは真似は出来ません。
それが私の絵の強みになり味になるのです。
そしてそれらの絵が誰かの心を癒やすきっかけになるなら、これほどまでに嬉しいことはありません。
だからもう、闘う絵はおしまいです。
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