生きづらい日々がこれで終わる。あなたを悩ませる「人が怖い」その原因と対処法。

何気ない日常を必死に生きてきたあなたがふと気付いた時、生きづらいという感覚に苦しんでいて、その理由のひとつが「人が怖い」というものではありませんでしたか?


人間関係とは切っても切れないこの社会で生きているにも関わらず、様々な理由や経緯から人に怯える現状に在って、そして人が怖いという感情から派生した

「人が嫌い」
「人と関わりたくない」
「人と接するのが面倒くさい」
「人に対して苦手意識がある」
「人の存在が邪魔、煩わしい」
「みんないなくなればいいのに」


・・・これらのような負の感覚を抱えてしまっていては生きづらいのも当然でしょう。


どうすれば生きづらい状態から脱して人が怖いと思わなくなれるのか、どうすれば心穏やかに毎日を過ごせるのか。

なんとか解決したいと思い、あれこれ対策したものの効果がなかったり、そもそも原因がわからないので対処の仕方もかわからずに更なる悩みを抱えてしまっている人がいるのでではないでしょうか。

例えば

  • 人を避ける事が最善と思ったのにいくら避けても事態は良くならず、むしろどうしても厄介な人や面倒事に巻き込まれてしまう。
  • 放っておいて欲しいのにどうしても思い通りの状況にならない。
  • 人が怖かったなずなのに気付けばなぜか自分が人に対して当たり散らしてしまっていた。

などなど・・・。


実はこの問題にはとても根深い要因が関わっていて一筋縄ではなかなか辿り着けないものなのです。

それをかつて生きづらい環境で長年過ごし、常に人が怖いという脅威の中で生きて来た私は自分の身をもって実感しました。


そこでこの記事ではなぜ人が怖いのか?どうしてそう思ってしまうようになったのか?そしてそれらにより陥っている現状の苦しみによる生きづらさの原因解明と的確なアドバイスによって、同じ悩みを抱えている人たちの救いになればと思います。

ソファーに座ってクッションに覆われて身を隠す男の子


一概に「人が怖い」という意識を抱えている人が取る行為とは一方的に人を避けるだけだと思うことでしょう。

しかし実際には人により様々な苦しいパターンがあり、そこから様々な生きづらいという状態に至ってしまうのです。

それではここで主に3つのパターンを解説していきたいと思います。

①「そして誰もいなくなる」
これは生きづらいという人にもっとも多いであろう「人が怖いから避ける」という基本的なパターンです。

そのために職場や学校などの集団や社交の場、そしてプライベートにおいても友人や打ち解けられる相手が少ない、もしくはいないという状態で孤立していることが多いものです。

そんな中であるにも関わらず、ふとしたことで人とのつながりを欲する瞬間もあるのですが、なぜか良い人との縁ほどすっぱりと切れてしまうのです。

実はこれは自分が日頃から人を避けることを前提とした意識を持ってしまっている事によって、人からも避けられてしまうといういわば「お返し」をくらっているという状態なのです。

しかしこの原因を知らずにこの経験を繰り返すことにより人との関わりに絶望を抱えて人間不信の段階へと発展してしまうことがあります。

②「淡く愚かな信用と期待」
上記のパターンほど人を拒絶してはいないものの、なぜかいつも不適切な人ばかりとつながってしまうことによって人が怖いという感覚を後から持ってしまうパターンです。


知り合った最初の頃はイイ人だと思って親密になるのですが、後から相手の不適切さが発覚して苦しめられることで生きづらい状態を招いてしまいます。

人に騙されたり、言いなりになってしまったり、自分は悪くないのになぜか自分のせいにされるなど、常に厄介事や揉め事に巻き込まれてしまうのです。

そして何とか不適切な人との縁を切っても新たな不適切な人との出会いが訪れ、前回の苦しい体験を学習能力として活かせないので結局また同じ状態に陥ってしまいます。

その訳は心の中で「今度こそきっとイイ人だから。」と相手を疑うことなく信じてしまう部分のせいです。

当然今までの経験上、生きづらいと感じたり人が怖いと思ってはいるのですが、それでも「次こそは大丈夫。」「今度は平気。」という意識が優勢である限りは恐怖心から来る学びを活かせないので、いつまでもこの負のループから抜け出せないのです。

③実は自分自身が「怖い人」
これは意外な要因になるのですが、なぜか人にキツく当たってしまう、もしくは相手から自分の接し方についてそう指摘されたことがあるという場合です。

自分の姿が映った鏡を見る猿

このタイプで行動派の場合は言動ではっきり表現するので自覚したり周囲からも気付かれたりするなどでわかりやすいでしょう。

初対面でぶっきらぼうな振る舞いをしてみたり、相手との会話で「は?だから?」「何言ってんの?」など口調がキツかったり荒くなってしまうなどです。


けれど「こんな人たちが生きづらいだなんて感覚を持っているの??」と疑問に感じてしまうかもしれません。


実はこれは一概にとは言えませんが、深層意識に人が怖いという感情があるとそれを隠したりごまかすための虚勢を張っていることがあるのです。

つまり自分の中に自信のなさや弱さなどがあると、あえて自分の方が強いという「フリ」を最初の段階で見せつけ、相手を怯えさせることで脅威をあらかじめ予防するという防御手段なのです。

例えば野生動物などが恐ろしく威嚇や攻撃をしてくるのは、相手の怖さから自分の身を守るためのもので、これと原理は同じと言えるでしょう。


対して思考派は表面にはあまり出しません。

しかし人に対して激しい恐怖と憎悪を常に持っていて、いつも頭の中では過去に経験した悔しかったり恐ろしいと感じた経験を繰り返し展開させていたり、誰かを恨んでいたり怖いという感情や意識が渦巻いていることで負の感情により精神的疲労が激しく、心身ともにダメージを受けていることでも生きづらいと感じてしまうのです。

決して具体的な行動には出しませんが、攻撃をする妄想だけを頭の中で繰り返している、いわば脳内復讐です。


でもこれはいつまでも達成感を得られることはありません。
ずっと怒りも憎しみも悔しさも残り続けて、延々と脳内復讐を繰り返すこととなるだけなのでずっと苦しい状態にあり、それはまるで何度も同じ罰を与えられるという地獄のようなものです。


そんな攻撃的かつ恐怖心を抱えている意識のため、人と接する時には無意識のうちに威圧的、攻撃的な部分が含まれたり滲み出てしまうので、本人は普通に接しているつもりでも接する相手にはどうしてもそんな嫌な感覚として伝わってしまうので相手からは「怖い人」として敬遠されがちになります。


この状態に気付けない、自覚がない人は自分は普通に接しているのになぜこんなにも嫌われ避けられているのかと悩み、生きづらいと感じることになるのです。

男性二人の地面に伸びる影


上記では最初から人が怖いと思っていることの弊害による生きづらさと、自分の体験のトラウマから人が怖いと思ってしまうパターンとがありました。

ではそもそもどうして最初から人に対する恐怖心を持ってしまっていたり、なぜ怖いと感じてしまう人と関わって被害経験を繰り返して生きづらい人生を歩んでしまうのでしょうか。

それぞれの原因について解説していきたいと思います。



まずは人が怖いという前提を抱えてしまっている人の原因のひとつに「恐怖心の投影」が考えられます。

ではこの投影というものについて詳しく説明していきましょう。

投影」とは心理学者のジークムント・フロイトによって提唱されたもの。

自分が持っている負の性質や弱点などを「認めたくない」「受け入れたくない」という意識でいることで、自分がそれらを抱えているという現実からの逃避や責任の回避をしたいという心理が働き、自分にとって都合の悪いそれらを無意識で相手のものとして押し付けてしまうこと。

これは否定的なものだけではなく肯定的なものでも起こりうる。


―少しわかりづらいかもしれないので例を挙げてみましょう。

自分が一方的に嫌っている人がいるとします。
その時に投影が起こると「自分が嫌っているのだから相手も当然自分を嫌っているに決まっている。」という考えや感覚を持ってしまうのです。

現実では相手の方はまったく嫌っているわけではないのにも関わらず、そういう決め付けや思い込みをして自分の嫌悪感を相手からの嫌悪感として置き換えることで
相手が自分を嫌っているから自分は相手を嫌いになっているのだ。」という形に無意識的にすり替えてしまうのです。


本来は「何の理由もなく一方的に相手を嫌うという否定的で不適切な感情」は自分で改善するべきなのですが、そこから逃避して嫌悪感を正当化してしまうという状態になってしまうのです。


つまり恐怖心の投影の場合は現実的な状態や他の人の視点や感覚では何も怖くないのにも関わらず、自分の中だけにある「人が怖い」という感情や意識によって「人は全般的に自分を脅かす怖いもの」として現実に映し出されているので「自分だけが怖い」という状態になっているのです。

そして本来は自分の抱く人が怖いというその感覚を改善していかなければならないのですが、自分の弱さや不適切さが原因として絡んでいる場合、そこを受け入れたくないとか認めたくないという恐れから「人が自分に害をもたらすせいであるのだから、この恐怖心は仕方ないのだ」という責任転嫁による事実のすり替えをしてしまっているということになるのです。

こうして人と接する事を恐れることにより人との関わりに自己制限が掛かかってしまい生きづらい生活を送ることになってしまいます。

これは「人が怖いからなるべく避ける」「最初から関わらないことが最善策」という保身による思考が過度になってしまうため、本来は必要な人との関わりまで絶ってしまったり、逆になぜか不適切な人とばかり関わってしまうからです。


前章で挙げた①と③のパターンは主にこれに当てはまるものとなります。

猫の親子


ではなぜ不適切な人とだけは関わってしまうという状況を引き寄せるのでしょうか?

次は②のパターンであるこの原因について解説していきたいと思います。


実はこれは幼少期の家庭環境や親との関係性に原因があると思われます。
この頃に体験したことが大人になってから人間関係や社会性に大きな影響を及ぼすと言っても過言ではありません。


それは親として不適切な振る舞いをする、いわゆる「毒親」と呼ばれる存在によって、虐待やネグレクト(育児放棄)をされた子供達が十分な愛情を受けられなかったことによる「愛着障害」という状態に陥ることによって弊害を生むことになるからです。

具体的には家庭内での自分の立場が親、もしくは自分の兄弟や親族に支配されていたりなどで下僕のような扱いをされていたことにより、大人になってからもいじめやモラハラ、DVなどを受ける対象になってしまうというものです。

このように大人になっても被害者の立場である自分をずっと確立してしまうのですが、時には攻撃され続けたフラストレーションによるものや人が怖いという感情が歪んだ防御意識から逆に攻撃的になったりすることもあります。


ではその極端な例をいくつか挙げてみたいと思います。

  • 親から殴られてばかりいた子供が過度に人に怯え、人とまともに接する事が出来なくなってしまう。
  • 親から殴られてばかりいた子供が抑圧された感情を発散させるためにクラスで暴力を振るう。

  • 親から支配され、言うことを聞かせられていた事で支配されるのが当然という解釈になっている人が職場での人間関係やプライベートでのパートナー関係として親のような支配的な人とばかり関わってしまう。
  • 親から支配され、言うことを聞かせられていた事で支配するのが当然という解釈になっている人が職場で傍若無人に振る舞ったり、パートナーに言うことを聞かせるためにDVをする。

  • 親から十分な愛情を得られなかった子供が大人になってからも愛情というものはどうせ自分には与えてもらえないのだと諦めが前提になっていることで人と親密になることを過度に避ける。
  • 親から十分な愛情を得られなかった子供が大人になってからむやみやたらに異性からの愛情を得ようと躍起になり、お金を貢いだり性的な方法を使ってでも引き寄せるという承認欲求の塊になる。

このように愛着形成が十分でない場合には成長した子供が社会に出た際にこれだけの弊害を発生させて生きづらいと苦しむようになり、人との関わり方が極端に歪む形となってしまうので人が怖いという経験を多く味わってしまうのです。


だからこそ親の役割は大きく、その関係性は重要となるのです。

考える人の像


では愛着障害を抱えてしまって生きづらいという場合はどういった対策や改善をすれば人が怖いと思わなくなるのでしょうか。


親を改心させて自分は幼少期に戻り、親子関係を充実させ直すということは出来ません。

なのでここではもう親を改善させる、反省させるなどは考えないようにしてください。
そもそも人を変えるというのは容易ではないからです。

もしその人が生まれながらに性悪で反モラル的な真性を持っている場合は改善など出来ないからです。

これらの人たちは、どれだけの人にいくら正論をぶつけられてもそもそも正論として捉えられないのです。
その人にとっての正論とは不適切なものであり、世間一般が定義としている正論の方が異論になるからです。

なので説得しても平行線の一途を辿るだけでいつまでもわかり合えませんし、時間と精神力を削るだけになってしまいます。


そこで毒親は放っておいて、適切な真性を持って生まれた自分が大人になった今、適切な人と愛着関係を結び、充実させていくようにするということで改善していくことが可能となるのです。


しかしそこで問題なのがそもそもその「適切な人」という存在に出会えない、それどころか縁がないということでしょう。

なのでまずは現段階で変えられるものから着手していくことになります。


そこで縁を得られるために必要な対策とは「自分の思考を変えて行くこと」なのです。


では具体的にどういった思考をどのように変えて行けば生きづらいと感じない人生を歩めるのでしょうか。



まずは人に対する過度な恐怖心へのこだわり・執着・思い込みを手放すというものです。

人は怖いものとして捉えてしまうこと自体が間違っているので「人間=怖いものではない」という正しい認識を持つことが大事になります。

そもそも「怖い人」とは自分に危害を与えたほんの一部の人だけであるのだと思い出してみてください。

過去に関わった社会不適合者や人格破綻者のみであるのにも関わらず、人間全部を恐怖の対象として一括りにしてしまっていることが問題なのです。
なのですべての人間がそうではないという意識に書き換える、これだけでいいのです。

この方が周囲にいる不適切な人を改善させるよりよほど楽に出来るものですし確実なのです。


そして次は「どうせ自分は誰からも愛されないから・・・。」などというネガティブ思考の前提や「結局みんな優しいフリをしてるけど自分を騙して嫌がらせしたり、陰で酷いことを言っているに決まっている。」などという最悪の状況の決め付けや思い込みをやめることです。


実はこのようなネガティブ思考を持っている限りはその通りに生きづらい現実を叶えてしまうことになるのです。

車のいない暗い駐車場にひとりでたたずむ人

これに対して「なぜそうなるの?」と疑問に思われるかもしれません。
それではこのメカニズムについて詳しく解説していきたいと思います。


いま目の前に展開されている「現実」とは実は自分が頭の中に描いたものが反映されている状態なのです。

つまり脳内に「生きづらい人生」や「人は怖いもの」というものを描いた場合は最終結果としてこの状態になるよう、何気ない日常での行動や会話や選択の際に知らず知らずのうちに「そうなる経緯」を辿ってしまうのです。


例えば「どうせ自分は誰からも愛されないから・・・。」
こんな事を頭の中で意識して描いたとしましょう。

すると現実では愛してくれない、大切にしてくれない人を無意識のうちに選んでしまうようになります。

これはそういう不適切な人が魅力的に見えてしまうように脳が操作しているからなのです。
そして自分が描いたような愛されない現実を自分で叶えてしまうことになるのです。

「結局みんな優しいフリをしてるけど自分を騙して嫌がらせしたり、陰で酷いことを言っているに決まっている。」
このような疑心暗鬼を脳内展開させたとしましょう。


するとその歪んだ意識によって、人が怖いという感覚から接し方がぎこちなくなったり何もしていないのにビクビク怯えるなど振る舞いがおかしくなり、正常な人から見たらその人こそが「奇妙な怖い人」という認識になってしまうのです。

それにより「仲良く出来るかなと思ったんだけど、なんだか迷惑そうな感じだったから関わらない方がいいのかな・・・。」と思われて適切な優しい人ほど離れてしまいます。


そしてこの人離れによって
「またこの展開だ。最初はあんなに優しくしてくれたのにもう全然相手にもしてくれない。こうやって自分を騙して期待だけ持たせてるんだ。」
という歪んだ被害者意識に駆られてしまうのです。


更にその対象の人が自分から少し離れたところで会話をしている様子を見ると、更に被害妄想によって「きっとあれは自分を笑いものにしているんだ。陰口とかでバカにしているに決まっている。」と思い込んでしまったりするのですが、実際はまったくそんな話しなどしていないのです。


・・・こうして結果的に自分が思い描いた「現実」を叶えていることになるのです。

そしてこの時に実は自分の方が不適切な振る舞いをしているという自覚がないということが生きづらさの改善や対策になかなかつながらないという要因にもなっているのです。


更には自分が危惧していたその通りになったという現実を目の前にして
「やっぱり自分の思った通りになった!自分の考え方や勘は正しくて人は怖いものなんだ。」
という感覚を意識の最下層である潜在意識に強く根付かせてしまうという経緯になっているのです。


このように自分の無意識の決断が原因であるならどうしようも出来ないのではと思われるかも知れませんが、逆に潜在意識に正しい意識を植え付けられれば正しい判断も自然と出来るようになるので回避は可能なのです。


だからこそ思考や意識の状態を書き換える必要性があるということなのです。
それでは次章で具体的な改善策を解説していきたいと思います。

チョイスと書かれた左と右をそれぞれ指す案内版


今現在、生きづらいという苦しみにまで発展してしまうほど人が怖いと感じているあなたでしょうが、この先は人とどういった関わり方をしていきたいと思っていますか?


A:大勢の人とつながり、みんなといつも楽しく円滑な人間関係を築きたい「友好願望

B:あまり人とは関わらず、なるべくひとりで心穏やかに過ごしたい「孤立願望


あなたはどちらを選びましたか?







・・・これは実はどちらも正解なのです。

ただし自分に合った方を選ぶということが条件となります。


人間関係の改善というと絶対にAを目指さなければならないのかと思っている方もいるかもしれません。
そして世間的にも友人知人など人とのつながりや関わりは多い方が幸福度が高いと思われる傾向にあります。

確かに友好的な人が多いに越したことはありません。
仕事でもプライベートでもメリットは多いでしょう。


しかしだからといって全員がそうなる必要はありません。
人との関わりが少なくても少数精鋭というつながり方もあります。

ここで大事なのはつながる人の数ではなく、何より自分の真性に見合った環境で生きるということが一番だということです。

しかしひとりでいるのが好きであっても、どうしても孤立していると「かわいそう」「何か問題のある人」と世間ではそう捉えられがちなため、肩身がせまく生きづらく感じるかもしれません。

好きでそうしていると言っても「強がってる」「痛々しい」だなんて言われてしまうこともあるでしょう。

・・・この評価がまた、人が怖いというものにつながってしまう可能性もあるのです。


そのために本来なら孤立がふさわしい生き方であるにも関わらず、無理をして多くの人とつながらないといけないと我慢して頑張っている人もいるかもしれません。

しかしそんな人はどんなに多くの友人知人を作ったところで自分の心身に嘘をつき無理をさせているので、本当の意味で幸せにも穏やかにもなれないのです。


ただ「世間体」に認められるための生き方というものは自分にふさわしい生き方とは言えないのです。

これは「他人軸」とよばれる状態で、他人の価値観や期待に応えるという他人優先の生き方をしているに過ぎないのです。


なので必要なのは「自分軸」という生き方をすること。
周囲や他人、世間の評価を前提に生きていたのではいつまで経っても自分らしい生き方は出来ませんから、本当に報われることも満たされることもないのです。


他人の価値観ごとに合わせた自分を演じて、オーダーメイドな人生を歩んでいたら本当のあなたの価値はなくなってしまいます。


それでも他人に認められたい、そうしないと不安だとか自分の価値がわからないと思う場合、それは「承認欲求」になりますので愛着障害を癒やして改善していく必要があるのです。

同じ場所を見つめる3匹の犬


ちなみにBは元々真性としてひとりでいる方が落ち着くというタイプであり、いわゆるHSPと呼ばれる繊細な人に多いかも知れません。

なのでこういった孤独を愛するタイプは、みんながみんな生きづらいと感じたり人が怖いと感じて人との関わりを避けている訳ではありません。

むやみやたらに人を避けることはせず、最低限の関わり方だけはしっかりとこなしますし、友人知人も少数ではありますがちゃんと適切な関係を築けているものなのです。

ただ、繊細ゆえに人と長く一緒にいると気を使ったりしてしまったり、相手の感覚を感じ取ってしまうということなどから疲れてしまいがちなので人との距離をあえて置くというのが理由なのです。

なので人を恐れている訳でも嫌いな訳でもないのです。




しかしこれが人間不信によるタイプの場合、人と関わりたくないと思うのは「人と関わると傷付けられる前提」であるからです。

なので人と関わっても傷付けられないし安心安全という認識になればこの問題は解決出来るのです。

一見、人と関わらない状態になる方がいいと思っているかもしれませんが、実はそれは逆に社会的な生活がしづらくなるだけなのです。

冒頭でも書きましたが、社会性のある世界で生きている限りはどうしても人と関わる場面というものは出てくるので、親密になるほどでなくても程よい関係性は築いた方が心も穏やかでいられるでしょう。

なので人に対する恐怖心を取り除くことが最善の対策となります。

承認欲求も前提もこれらを改善出来た時にAとBどちらの生き方をしたいか、どちらが自分には合っているかということを改めて考えてみるといいでしょう。

この時にはもう正しい判断が自然と出来るようになっているでしょうから。


いかがでしたでしょうか。

人が怖いという漠然とした悩みは原因がわからないからこそ恐怖は増してしまうのです。
それは生きづらいという悩みに関しても同じことです。

そこでしっかりと原因を深掘りして、時には自分が見たくなくて蓋をしてしまった弱さやトラウマと向き合うことで解決の扉が開かれて道が見え、ゴールが見えるとそれだけで精神的に落ち着いてくるものです。


一番大変なのがこの自分と向き合うという扉を開ける段階になることでしょう。
私もこの段階ではなかなか着手が出来ず、なんとか遠回り出来ないか、他に手段はないものかと模索したりごまかそうとしたのですが、結局はここを通らないと何も解決には至らないのです。


心の問題を解決するには段階と順番が大事になります。
なにかひとつ段階を飛ばしてしまうとその後の対策が難しくなってしまうのです。

私はこの重要性を身を持って体験し、15年以上も試行錯誤しながらなんとか克服出来るに至ったのです。


ひどいいじめを受けていた中学生の頃は人類なんて全滅してしまえばいいと本気で願っていた私ですが、今は人間関係で悩み苦しむことはなく、飲食店でもなぜか店員さんに私だけ良い対応をしてもらえたり、趣味の野鳥撮影時でも良い撮影ポジションを見ず知らずの人に譲ってもらえたりと本当に人とのつながりに感謝と心からの嬉しさを感じる日々を送っています。


人と関わることでこんなにも心が温かく穏やかになって、幸せな気分でやりたいことや生きる意欲が沸く日が来るなんて、昔の私は想像もしていませんでした。

でも、今思い出すと最低最悪な状況だったあの頃にもひとりやふたり必ず私を助けてくれる誰かがいました。


当時は人への恐怖や憎悪で気付かなかったのですが、あんなひねくれて怯えて牙を剥きだして「近寄るな!」という威嚇全開の私にさえ、無償の優しさを与えてくれる人が確かに存在していたのです。

そして今はその人たちへの感謝の気持ちでいっぱいです。


なので次は私がその救う立場となって、生きづらさや人が怖いと苦しみ悩む人たちを助けたいと思いながらこの記事を書いています。


人は決して怖いものではありません。
あなたも必ずそう思える日が来るので安心してください。

犬と仲良くタッチをする女性


もし、私に何かお手伝いが出来ることがあればいつでもアドバイスいたしますのでメッセージなどいただけたらと思います。
あなたに見合ったアドバイスを誠心誠意させていただきます。


そして記事に関しても何か疑問や質問、もしくは自分の体験談を聞いて欲しいというものでも構いませんのでお気軽にメッセージをいただけたらと思います。
コメントフォーム、もしくはページの一番下の「質問などお問い合わせはこちらから」受け付けております。


それでは今日はここまでと致します。
読んでいただきありがとうございました。



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