今回は「自分の性格に問題があるから生きづらいと感じてしまうのでは?」という疑問についてお話ししたいと思います。
この考えに行き着く人はやはり「おとなしい人」「控えめな人」「消極的な人」が多いのではないかと思います。
これらの繊細な性格の人たちは周囲から圧倒されやすいタイプでもありますので、どうしても生きづらいという感覚を人一倍覚えていることでしょう。
自分の性格を変えれば生きづらいという人生ではなくなるのかな・・・そう思って悩んでいるのではないでしょうか。
しかしそんな事はしなくても大丈夫です。
心配しなくてもその性格のあなたのままでちゃんと生きづらい感覚をなくす事は出来ますから。
それでは早速、どうすれば生きづらさをなくせるのかを解説していきましょう。
おとなしい人は弱い人じゃない
まず、現在生きづらいと感じているのはやはりその繊細な性格に原因があるというのは事実です。
けれど実は同じ繊細な性格の人でも生きづらいと感じることなく堂々と生きている人たちもいるのです。
ではこの違いはなんなのでしょうか。
元・生きづらいと感じる性格の私の場合は自分の意見や態度を表に出さず、相手に合わせて相手の主張や意見だけに従っている状態でした。
つまり「相手や他者に合わせなければならない」という度合いが強すぎたのです。
もちろん最低限の配慮や気遣いなども必要とはされますが、それがもう100%近くまで相手重視になってしまっているということです。
そして自分の本音も押し殺して我慢して相手の言いなりになるのが普通という状態でした。
もし相手に完全に従うことが本心で望んでいることであるなら、そもそも「生きづらい」だなんてことすら思わないのです。
・・・けれどそうではないのです。心が苦しいと感じてしまうのは本心が「それは違う!」と悲鳴を上げて叫んでいるからなのです。
なのにその本心の言葉も聞こえないフリをしてやりすごしてしまっていた訳です。
だから私は自分の性格が災いして生きづらいのだと長くそう思い込んでいました。
しかしこれは性格のせいではなく私の振るまい方、考え方の問題だったのです。
「自分はおとなしいから反撃出来ないし、したとしても返り討ちに遭うし、何を言ってもムダだし・・・だから相手の言う通りにしておくのが一番楽だし傷付かずに済む。」
この考え方が自分で自分を生きづらい人生に導いてしまっていたのです。
「おとなしい」という性格をネガティブなものとして捉えて、自分は無力で何も出来ないと最初からそう決めつけてしまっていたのです。
確かに親やクラスメートから酷い扱いをされたり攻撃をされたりして「自分は弱い存在」と思い込まされてしまいました。
しかしおとなしいから何も出来ない訳ではありません。
消極的だから、控えめだから自己主張してはいけない理由なんてないのだと私は気付いたのです。
この考え方に辿り着いたのも自分の本心としっかりと向き合ったからわかったことでした。
そしてこの答えを出せた瞬間、心がすうっと軽くなったのです。
つまり、隠れた本心と自分の行動が食い違っているために精神と身体のバランスが釣り合わなくて苦しいと感じること、それが「生きづらい」という感覚を生んでいるのです。
この関係性は何度か見聞きしてはいたものの、自分で体感してようやく腑に落ちました。
こうして私は自分の性格を変えることなく、生きづらさをなくせたのです。
このように繊細な性格の人はどうしても自分を責めがちで、自分のここが良くないと思い込んでしまう傾向が強いのですが、実は良くないと思っているその焦点が違っているのです。
そしておとなしい、控えめな性格なのに生きづらさを感じない人というのは自分の消極的な性格をネガティブ思考でとらえていないのです。
なのでそれこそ目立った振る舞いはしないもののそれでも自己主張はちゃんと出来ていて、むやみに人に合わせすぎないから苦しいと感じる状態にも陥らないということです。
これがいわゆる自己肯定感があるという状態なのです。
視点を変えてみると見えてくる
「性格に問題があるからではないか・・・」という疑問や悩みも、正しくは性格のせいだと思い込んでしまっていた自分の考え方、捉え方に問題があったのです。
私がここに辿り着くまで相当な遠回りをしてしまいました。
一度視点をずらさなければ正解には辿り着けなかったのです。
私がいつまでも同じ悩みをぐるぐるとさまよい続けていた原因はこれでした・・・。
なので心の問題は自分ひとりではどうしても抜け出せない場合もあります。
そして今回の記事を読んでも、「生きづらい原因は性格のせいだ!」という考えがどうしても変えられず、納得いかない人もいるかもしれません。
そんな方はぜひご意見をください。
そしてあなたの生きづらいと思う体験談や理由やお悩みもぜひ聞かせてください。
そこから解決出来る方法も必ずありますから。
一緒に少しずつ生きづらさをなくしてこれからは「生きがい」を見つけていきましょう。
それでは今日は私の生きがいである猛禽類のひとつ、ミサゴの撮影をしに多摩川へ行くので終わりにしたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。