
あなたは日頃から愚痴を言う人ですか?
もしくは周囲に愚痴を言うのをやめて欲しいという人がいませんか?
おそらくほとんどの人が一度くらいは愚痴を言ったことがあるでしょう。
そしてあなたの近くに愚痴を言う人がひとりはいることでしょう。
ふと口からもれ出てしまった無意識程度の軽めの愚痴から、悔しいとかイライラするなどの強い感情をがっつり込めて意識的に愚痴を言うなど人それぞれの経験があるのではないでしょうか。
実は私はかつて愚痴大好き人間でした。
愚痴を言い合える人を求めて「グチ友」をわざわざネットで探したことがあるくらいです。
当時の私の日常はとにかく理不尽なことだらけで、職場での人間関係の愚痴、うまくいかない恋愛の愚痴、私を散々な目にあわせた毒親の愚痴など、それらを発散させたくてたまらなかったのです。
私の感覚では愚痴を言うくらい普通に誰でもしているから悪い事ではないという認識で、対象となる相手に知られなければ傷付けることも揉めることもないのだから、まったく関係ない人に聞いてもらえば何も問題ないという感じでした。
このように同じ考え方を持っている方もいるのではないでしょうか。
「こっちはいつもめんどくさい人間関係とかやりたくもない仕事を押し付けられたり怒られたりして、それでも頑張ってるんだからたまにグチるくらい許してよ!」
「夫や姑のグチをママ友と言い合うのが一番のストレス発散!これが出来るからツラくても我慢出来るし頑張れるの!」
このように愚痴を言うことを楽しみのひとつやストレスの捌け口としている人もいます。
これらの人にとってはむしろ嫌な出来事があるとイライラしながらも心のどこかで「これグチのネタになるわ!」と喜んでいるのです。
ではここでちょっと立場を変えて客観的な視点になってみましょう。
あなたは自分以外の「愚痴を言う人」をどう思いますか?
「愚痴なんて誰でも言うからお互い様。」という愚痴肯定派。
「言い訳してるだけみたいな愚痴を言う人とか、ああいうのはみっともない。」という愚痴否定派。
あなたはどちらのタイプを思い浮かべましたか?
誰もが「愚痴を言う側の人」になったことがあるでしょうし、同時に「愚痴を聞かされる側の人」にもなったことがあるでしょう。
そしてその時の立場によって「愚痴を言う人」のイメージは反転します。
しかしどちらの立場であっても愚痴に関わること自体があなたの負になっているのです。
例えば生きづらいと悩み苦しむ原因になっていたり、知らず知らずのうちに誰かを傷付けていたり・・・。
そしてこの「傷付けられる人」とは上記の肯定派、否定派ではなくこんなタイプの人です。
「いつも愚痴ばかり言う人と関わってしまってしんどい・・・。」という愚痴被害者。
このように何気なく口にしてしまっている愚痴が、実は色々な場面や人に悪影響を及ぼしているかもしれないのです。
この記事は愚痴を言う事、聞く事で招いてしまっている悪影響と、それにより陥っている自分の状態に気付いてもらい、改善への道を歩みたい人に向けた内容となっています。
さらに「愚痴を言うのをやめたい」と思っている人や「愚痴ばかり言う人をやめさせたい」という人にも有効な内容となっています。
少し長い記事になってしまいますが、気になる方は是非このまま最後まで読んでいただければあなたの悩みの解決につながることでしょう。

愚痴を言う人の心理を分析する
そもそもなぜ人は愚痴を言うのでしょうか?
その原因は心理状態にあります。
それを知るためにまずは愚痴を言う人の頭の中や心の中がどういう状態になっているのか覗いてみましょう。
- 人の悪い所にしか目がいかない。
- トラウマなど認知のゆがみがあることで歪んだ解釈をする。
- 本質的にひねくれている。
- 過去誰かと比較された時に悔しさを味わったことで、その劣等感を払拭したいために人の評価を下げて自分が優秀であるという証明をして優越感に浸りたいという願望がある。
- 人をけなすことが快感。これはストレス発散とは少し違い、子供がおもちゃで遊ぶような純粋な楽しみとして実行している。
・・・これらを見る限り、とても良いものとは思えませんね。
愚痴とはそもそも不満や苛立ちから発生するものです。
そしてそれが自分の中にあると、とても不快で苦しいから何とかして吐き出そうとします。
けれどひとりごととしてぼやいたところで気持ちは十分に満たされないのです。
「誰かに聞いてもらいたい。そして共感してもらう、もしくは自分の意見を認めてもらいたい。」という欲求が含まれているから「愚痴を人に言う」のです。
それにしても「愚痴」という漢字を見るとゾッとする雰囲気で良い印象は受けません。
実は「愚」も「痴」も両方「おろか」という意味なのです。
しかし「グチる」というカタカナ表記にしてしまうと一気に嫌な重さがなくなります。
いまやこちらの方が世間になじみ、ライトなイメージになったことで誰もが気軽に「グチ」を言えるようになったのでしょう。
そのため人は愚痴を言うという形でそれぞれの目的を達成したがるようになりました。
- ストレス発散。
- 自分の責任を他人のせいにして悪く言うことで自分の身の潔白をしている。(自分自身に自分は悪くないと言い聞かせ、そしてそれを他人にも同じように証明してもらうことで安心感を得たい。実は自分の欠点には気付いているのに見て見ぬフリをして改善する気がない。)
- 自分の嫌いな人が悪者として扱われて欲しいという願望から、その人がいかに嫌な人かを印象付けるため。
- 自分の正しさを押し付けるために反対派が間違っていると仕立て上げたいから。
ストレス発散の場合は、本当に言いたい相手には言えないから疑似体験として愚痴を聞いてくれる人に怒りや憎しみという負の感情とフラストレーションをぶつけている傾向があります。
愚痴を言い合う状態ならまだしも一方的にサンドバッグにされたなら、ターゲット認定をされた人にとっては何の関係もないのでたまったものではありません。
そしてこの対策については「5・いつも愚痴ばかり聞かされていてしんどい人へ。3つの対処法。」にて書いています。
ちなみに自分の欠点や失敗について自身を責めることを「愚痴を言う」とはあまり言いません。
その場合は自責や自虐という表現になります。
つまり愚痴とは他人を責める時や人を悪く言う時に使われるもので「悪口」や「陰口」の一種なのです。
しかし悪口や陰口というのはどうしてもイメージが悪く、ほとんどの人が発言を控えるよう努めています。
それでもどうしても相手を責めたい、悪く言いたいという欲求に駆られた時に愚痴にしてしまえば悪く言っている感じには聞こえないので罪悪感がない上に、むしろ対象者の方が悪いように聞こえるから自分にとっては都合がいいのです。
そして一番タチが悪いタイプとして自分は愚痴を言いまくるけれど他人の愚痴は聞きたくはないという人がいます。
こういう人は共感力がないために自分の愚痴さえ聞いてもらえればいいという自己中心的思考なので、相手の愚痴を聞くのは面倒でしかありません。
ましてや自己満足の愚痴発言に対して、もし相手から改善策やアドバイスをされようものなら余計に不機嫌になります。
その助言がどんなに的を得ているものでも、そんなものは求めていないのでいっさい無視して聞く耳を持ちません。
とにかく一方的にグチりたいだけで、相手は黙って聞いていればいいという存在に過ぎません。
しかしこれはあまりに身勝手すぎます。
愚痴を言い合う関係性ならまだしも、一方的に聞かせるだけで共感すら求めていません。
もしくは威圧的な態度で無理やり共感させるという人もいます。
同じ愚痴界隈であってもこのタイプは一線引かれていることが多いです。
そして職場や学校など、どんなコミュニティにもこのタイプがひとりは存在しています。
おそらくこれを読んでいるあなたの脳裏にも「あ、あの人だ。」と浮かんだ人がいるのではないでしょうか。
このように様々な理由から愚痴を言う人たちが集う世間の中にも、愚痴を言うのが嫌いだという人も存在しています。
それらの人は以下のタイプになります。
- 愚痴を言うのも聞くのも心苦しくなるという感受性が強い人。
- 無関係の相手を巻き込みたくないと思える、優しくて共感性に優れている人。
- 愚痴を言っても状況は何も解決しないことを知っているから。
- 人のせいにしないで自分の責任や弱さを認めて進んで改善が出来る。
あなたの周囲にも「あの人、全然グチとか言わないよね。」という人がいませんか?
そしてそういう人は年齢性別問わずいろんな人から好かれていたはずです。
これらの人には愚痴が発生しません。
だからといってすべてにおいて人より恵まれているとか優遇されているわけでもありません。
愚痴を言う人と同じような嫌なこと、理不尽な状況をしっかり体験しているのです。
ところがそれをネガティブに捉えずに、もし自分の責任が原因であるならしっかりと向き合いますし、関係なければ相手にしないというスルースキルを身に付けているのです。
要するに愚痴を言う人とは物事の捉え方や視点が違うのです。

なぜ人は愚痴を言い合いたいのか?
ここまで読んでいる限り、愚痴を言うことはマイナス要素しかありません。
もしくはすでに心のどこかでとっくに気付いていて「愚痴は良くない」という意識を持っていたという人もいることでしょう。
そこまで理解していながらなぜか人は愚痴を言うことをやめられないのです。
実はこれは「批判は共感を得やすく、より仲間意識が高まるから。」という心のからくりによるものです。
特にママ友同士の愚痴の言い合いなどは、ネット上でもカフェなどでもよく見聞きするのでわかりやすい代表例でしょう。
「ウチ共働きなのにダンナは全っ然家事とか手伝ってくれないし!なんで女だからってだけで料理も掃除も洗濯も全部やってあげなきゃいけないわけ!?ふざけんなって思うよね!」
「すっっごいわかる!!ウチもそう!大した稼ぎあるワケじゃないのに偉そうにしてるしさぁ。こっちは少ない給料の中で家計切り詰めるのに必死になって、仕事もして家事もして子育てもして・・・どんだけ押し付けられてんのかね!ホントそういうのなんもわかってくれないよね!」
仕事をしている人であれば居酒屋などで愚痴を言い合う光景もよくあります。
「あいつが手伝いに入ると余計な手間が増えるから来て欲しくねーんだけど。自分の仕事もミスしてばっかで何も出来ないバカのくせに知ったかぶりであれこれ口出してくるしさぁ!」
「やっぱそうだよな―。この前あいつがこっちの部署にも手伝いにきたせいで仕事遅れまくって大変だったんだよ。なんかあるとすぐ俺のとこ来てグチるし。しかも話し出すと長いからこっちの仕事も進まないんだよ。サイアクだよあいつ。マジで辞めて欲しいわ。」
これらの人たちはそれぞれの環境でたまりにたまった不満や理不尽によりストレスを抱えてしまい、それを発散させたり似た境遇のエピソードを聞いて共感したりすることで満足感や安心感を得ているのです。
苦しんでいるのは自分だけじゃない、他の誰かも同じ体験をしているとわかるとどこかホッとするのです。
これがもし「え?そんなのあなただけじゃない?誰もそんな嫌な目にあってないよ。」と言われたならどう思うでしょう?
「なんで自分だけこんなしんどい思いしてるの?みんなと同じようにしてるのに自分だけこんな目にあうなんて・・・」
と、ただでさえストレスをためているのに誰にもその苦しみやツラさをわかってもらえずに心が孤立して卑屈になり、更なるストレスとなってしまうのです。
人は社会性のある生き物なので孤立することに抵抗や恐怖を覚えやすいものです。
もちろん中にはひとりの方が気が楽という本質の人もいるでしょうが(私もそのひとり)、日々の生活の中で他人とまったく関わらないで生きることは出来ません。
食べ物を買うにもスマホを契約するにも住む場所を得るにも何かしらの形で人と関わる必要性があります。
今でこそオンラインでのオーダーや決済が可能な飲食店やコンビニなどではお店の人とコミュニケーションを一切取らずに済む流れにはなっていますが、それでも人間社会というのルールや文明の中で生きていることは人と間接的に関わっているということになるのです。
もしあなたが明日から見知らぬ森の中で野生動物のルールに従い、生きていくとなったらどうでしょう。
人間社会のルールなどなく、人間のモラルも常識も通用しない世界で生き延びるのは不可能ではないかもしれませんが、かなり厳しいのではないでしょうか。
だから人が人である限りは「人間」とつながることが精神的な安定を得られるものなのでなるべく多くの共感を得たがるのです。
それなら良い出来事や嬉しいことを報告しあえばいいのにと思いませんでしたか?
本当はそれが出来れば一番いいのですが、どうしても世間には他人の幸せを妬む人がいます。
しかもその声は少数であってもとてつもなく大きな影響を与えてしまいます。
例えば嬉しいことがあってSNSでその内容を投稿した時に、100人中97人から祝福のコメントがある中にたった3人の
「イイ気になってんじゃねえよ。てめぇの事なんて誰も興味ねぇわ。」
「そんなことぐらいでバカじゃねえの?承認欲求のかたまりかよ。」
「くだらない話し聞かせんな。クソが。」
などという攻撃的で批判的なひねくれ意見があると、そちらの方が印象に強く残りやすいのです。
このように「幸せであること」をアピールすると嫌味として捉えられてしまうという体験を過去に自身が味わっていたり、どこかでそういう状況を見聞きしたことによりトラウマとなったり恐れてしまうのでどうしても避けてしまいがちなのです。
しかしこれが愚痴となるとネガティブ界隈の人には批判どころか共感されやすいのです。
ネガティブ思考の人は人の幸せを叩き、人の不幸を喜びますから。
逆に人の幸せを喜んでくれる人やポジティブ思考の人というのは不幸ネタには共感や喜びもしませんし、批判もしません。そもそもそういう話題には興味がないのです。
なので結果的に愚痴を言う方が多くの人の興味、関心、共感を得られていると感じやすく、しかも批判されにくい話題として無意識のうちに判断してしまうので自分の不幸ネタ、つまり愚痴という選択をしてしまっているのです。
このように人は確実に共感し合いたいから、そしてデメリットが少なく安心出来る方法として愚痴を言い合っているのです。
特にSNSという場所は愚痴を言い合いたい人たちのたまり場となっています。
顔も見えない、どこの誰かも特定されにくいこの場は愚痴を言いたい人には最適でしょう。
嫌な出来事が起こったらリアルタイムに発信して自分の体験に対する共感や、被害者として見てもらうことで「大変だね」「かわいそう・・・」という同情や哀れみのコメントを欲しているのです。
こうして同じ境遇の人と知り合うことで、愚痴を言う人同士の結束力を固めて自分の味方を増やし、自分の正しさや努力や苦労には意味や価値があることを証明をしたいのです。
人間は数が多い派閥の方を世間的にも正しいものだと思い込みます。
先ほども言ったように人は共感したがる性質があるので単純に数が多い方が安心するからです。
では先ほど例にあげた少数でも批判意見の方に影響を受けているのはどうなのかと思われるでしょう。
これに関しては正しいとか間違っているという判断よりも、嫌なイメージやショックという感情が優先されてしまっているということです。
こうして自分の愚痴肯定派で派閥を作り上げると絶対的な愚痴要塞が出来上がります。
愚痴を言う人同士で信頼しあえるその世界では、似たような環境や心境の人たちが思う存分に愚痴を言い合えるのです。
ところがこうなってしまうと愚痴を悪いものだなんて認識はまったくなくなります。
それどころか愚痴を言うことを否定しようものなら一斉に返り討ちにあってしまうのです。
このような環境が当然になってしまった人が親になり、子供を育てることになるとその子供もまた愚痴を言うことを当然と認識するようになります。
親だけでなく友人知人などが愚痴を言い合う場面を常日頃から見聞きしていたり、「あなたもいずれそうなるよ。」と周囲から擦り込まれたり、SNSやメディアでそういう投稿や発信を多く目にすることで影響を受けて
「社会人になったら職場では絶対人間関係とか仕事で揉めるから愚痴を言うことになる。」
「結婚したら誰もが夫や妻の愚痴を言うようになる。」
などと洗脳されてしまい、更にそれをこじらせると「自分もみんなのように愚痴を言い合うグループに入って共感し合いたい!」という歪んだ欲求や憧れを持ってしまい、いつしか愚痴を言うのが好きな人になってしまうこともあるのです。
このパターンに陥ってしまうと、自分もみんなと同じく不平不満だらけの職場や家庭に入ることが当然という前提となってしまうので、最初からそういった所を無意識のままに目指してしまって悪環境に巻き込まれたり、もしくは自分から揉め事を引き起こすような振る舞いをして苦しい状況や人間関係を築いてしまうことで、グチる条件をそろえて憧れだった「愚痴を言う自分」を叶えてしまうのです。

愚痴を言う人は不幸しか招かない
では何に対しても愚痴ばかり言い続ける人はどんな末路になると思いますか?
もしイメージしづらいという場合は愚痴を「悪口や陰口」と置き換えて考えてみてください。
愚痴に限らず世間ではこういったタチの悪い人は「人から嫌われるから人が離れていき、やがて孤立する。」という風に答えることが多いようです。
しかし実際はどんなにタチの悪い愚痴を言う人であっても、意外に人とのつながりが完全に無くなることはありません。
ではなぜこのような末路がイメージとして定着しているのでしょうか。
これは「悪い人にはそういう天罰が下る」という期待と一種の脅しではないかと思っています。
もし現在進行形でモラルに反する何かをしている自覚があり、けれど改善の可能性もある人ならばこれに従って「それならやめよう」と思えるので、そういった人に向けた警鐘なのかもしれません。
しかし皮肉にも一番知って欲しい対象であるタチの悪い人、この記事でいえば愚痴を言うことを生きがいのように楽しんでいる人には届かないものです。
しかもその人たちは人間関係のつながりも切れることはないので友達もいるし恋人も出来るし結婚も出来ます。
仕事も普通に続けられるから生活にも困らず、それなりに普通の人生を送る人の方が多いでしょう。
だから愚痴を言う事が悪いことだなんて本人はこれっぽっちも思わないのです。
しかしその人たちの生き様は端から見たら決して良いものには見えません。
家庭、職場、プライベートなどでいがみ合う関係性ばかりでつながっているからです。
愚痴を言う世界で生きているから常に愚痴を言うための要素を引き寄せ続けているのです。
だから恋愛でも結婚でもなぜかパートナーとなる人とは揉めてばかりだったり、友人ともいざこざが絶えなかったり、職場でも理不尽な目にあったりトラブルに巻き込まれたりしやすいなど、とにかく自分の思い通りにならないことばかりなのです。
なのにそんな状況でも「人生なんてどうせこんなもの」とか「どいつもこいつもムカつく奴ばっかり!」という感覚でたまったストレスを愚痴にして吐き出しながら理不尽をやり過ごしているのです。
それはまさに泥沼にはまって身動きが取れずにピンチに陥っているにも関わらず、自分では最悪な状況になっているとまったく気付いていないようなものです
ここでひとつ、私がかつて勤務していた工場にいた「愚痴の女王」についてお話したいと思います。
その女性は50代前半のバツイチ子持ちでKさんという人でした。
私が入社して2年後に転職してきました。
最初はとてもおとなしい人で話しているうちにすぐ仲良くなったのですが、その直後から愚痴のマシンガントークが炸裂したのです。
まずは前職を辞めた理由を愚痴を交えて延々聞かされたのですが、弁護士が間に入るほど前職の社長と揉めていたそうです。
そして理不尽な人間関係や退職金などについても解決せずに長々と揉め続けていたのです。
そんな彼女ですが、入社してすぐに専務(社長の母)からなぜか目の敵にされ、集中攻撃をされていました。
元々専務は気難しい人でしたが、入社して間もない彼女をそこまで毛嫌いしていた理由は謎のままでした。
そのため、専務の愚痴はほぼ毎日のように聞かされていました。
しかも毎朝出勤してくるなり「おはよう」より先に、不機嫌そうな表情で「〇〇がさぁ!」といきなり同居しているのパートナーや自分の娘の愚痴から始まるのです。
お昼になると開口一番に隣の席の先輩の愚痴。
帰り際には「ちょっと聞いて!〇〇の△△さんがさぁ・・・!」と、とにかく誰かしらの愚痴の嵐でした。
これ以外にもご近所さんに嫌味を言われただの、休日にバイトしているコンビニでの愚痴だの、娘が習い事で通っているピアノ教室の先生からなぜか自分が怒られただのと愚痴ネタは尽きることがありませんでした。
最初はそれらの愚痴をすべて聞いていましたが、あれだけ愚痴好きだった私ですらさすがにしんどくなってしまいました。
そしてある時ふと疑問に思ったのです。
「なんでこの人、こんなにトラブルに巻き込まれるんだろう」と。
そして彼女が入社して4ヶ月ほど経った頃のことです。
仕事中に何やら事務所が慌ただしくなっていることに気付きました。
その直後、作業員のひとりが駆け込んできて
「Kさんが階段から落ちて頭打って救急車で運ばれた!」
と言うのです。
その後、病院で検査した結果、脳などに異常はなく、ひたいに大きなたんこぶが出来ただけということでした。
大事に至らなかったのは幸いでしたが、どうしてそうなったのかと直接Kさんに聞いてみたところ
「急いで階段降りてたら、よくわかんないけど何段か踏み外したみたいでそのまま壁に頭打ったみたい。自分でもなんでそうなったのか全然わかんなくて、近くでたまたま見てた人がいたからそう聞いたの。」
と答えたのです。そして
「私、前の職場でも急に意識失って救急車で運ばれたことあるんだよね。貧血かと思って検査してもらったけど何ともなかったんだよね。」
と語ったのでした。
そして翌日、出勤するなり専務から
「余計な騒ぎ起こさないでちょうだい!救急車呼ぶなんて会社のイメージ悪くなるでしょ!本当にめんどくさい人ね!」
と心配どころか文句を言われたと私に延々グチってきたのです・・・。
更にそれから2ヶ月後のこと。
お昼休憩に神妙な面持ちでKさんが私のもとにやってきたのです。
またいつもの愚痴かと思っていたのですが・・・
「あのさ、私、廊下でう〇こ踏んじゃった。」
・・・最初、冗談を言っていると思いました。
ところがどうやら本当のことだったのです。
しかしそれにしてもトイレじゃなくて職場の廊下で?なんで??
まったく意味がわからず聞いてみたところ
「廊下歩いてたらなんか落ちてるなーって思って。で、すぐう〇こだって気付いたのよ。だから避けようとして注意しながら歩いてたらそれより手前にもう1個う〇こがあったのに気付かなくてさぁ。それ踏んじゃったの。」
・・・聞いたとてなぜ廊下に排泄物が落ちているのかそもそも意味がわかりませんでした。
靴はすぐに洗ったとのことでしたが、驚いたのはその靴の排泄物を拭き取ってくれたのはあの専務だったというのです。
もちろん「何やってるのよ、もう!」程度の多少の文句は言われたそうですが、まさかのその展開には驚きました。
そして専務は拭き取りながらこう言ったそうです。
「たまに落ちてるのよ。」と。
実はその工場は高齢者や障がい者が多くいて、その誰かが時々排泄物を漏らしながら落としていっているそうなのです。
しかし私はそんなのが落ちている光景を一度も見たことはありません。
・・・もちろん見たくもありませんが。
このようにKさんは入社して半年でこれほどまでに相当な不運に見舞われていたのです。
これ以外にもKさんにはトラブルがたくさん巻き起こっていました。
専務に理不尽な仕事の要求をされて仕事中にお互いブチ切れて怒鳴り合いにまで発展したり、誰にでも優しい事務の女性からイジメを受けたりぞんざいに扱われたりなど・・・。
そしてそのたびに私に愚痴として吐き出してきたのです。
正直私はそんな彼女を憐れんでいました。
いつも何かにイライラしたり自分だけ意味不明な不幸に見舞われたりしていたその様があまりに痛々しかったから。
しかし当の本人は自分の境遇をそれほど嘆いておらず、落ち込んではいないのです。
そこで私は気付いたのです。
「そうか。この人は愚痴を言うことがベースの生き方になっているんだ。」
だからどんなに理不尽な目にあっても不幸であってもそこまでツラいと感じる事はないのだと。
こういうタイプの人たちは、むしろ愚痴を言えない状況になってしまうことの方がツラいのかもしれません。
このように不幸を味わいながら今日も彼女たちは愚痴を言えるという達成感の下、イライラする世界でのびのびと生きているのです。
しかし愚痴を言いすぎると人が離れるということも実際にあります。
それは私自身が何度か体験したからです。
私の場合、仲良くなって間もない友人に仕事の愚痴ばかりを言い続けていたら遊びに誘っても予定があると断られ続け、結局そのまま縁が切れました。
当初は相手も私につられて職場での人間関係の愚痴を言っていたのですが、私のあまりのネガティブ思考に影響を受けてしんどいと感じてしまったのでしょう。
逆に私の方が愚痴ばかり聞かされてうんざりして縁を切った友人もいます。
記事の最初にも「グチ友探し」について触れましたが、もともと愚痴を言い合いたいという願望を持っていた時に知り合い、仲良くなった友達がいました。
最初は「男なんてさぁ」などと過去付き合ったり口説いてきた男性の愚痴を言い合っていたのです。
しかし相手は想像以上にモラルに欠けている子で、あまりに身勝手な言い分で友人を振り回している体験談を愚痴として聞かされたり、「ねぇ、あたし間違ってないよね?」と詰め寄ってくるようになったことが嫌になって私から縁を切りました。
このように愚痴を言う側になっている時は心地よいのですが、聞かされる側になってしかも共感出来ないと本当に嫌になるという経験から、私も愚痴を言うことで相手にこんな嫌な思いをさせてしまっていたのだと気付き、「もう愚痴を言うのをやめよう」と決意したのです。
そもそも愚痴を言う環境にあること自体が問題であり、だからストレスがたまって卑屈になるのです。
しかしストレス発散は愚痴でなくても他の方法でも出来るます。
好きな音楽を聴く、美味しいものを食べる、景色のいい所に出かけるなど。
自分を穏やかに癒やす方向に持って行くのが良い方法なのです。
愚痴はネガティブ思考のぶつけあい。それではネガティブなものしか発生しません。
そのためその場に居続ける限りは愚痴を言う環境や関係性はいつまでもなくなりません。
つまり愚痴を言うことは間違ったストレス発散方法であり、逆にストレス発生につながっているのです。

愚痴を言うのをやめたい人はどうすればいい?
愚痴が良くないものだと実は日頃からすでに気付いていたり、これを読んで愚痴を言うのをもうやめようと思った人もいることでしょう。
しかし厄介なことに長い間、当然のように言い続けていると癖として染みついてしまうために簡単にやめることが出来ないのです。
私自身もやめようと決意はしたものの、普段自然に悪気なくグチっていたのでなかなか愚痴を愚痴だと認識する事すら出来なくて、最初の頃は発言してから「あ、これは愚痴だった。」と気付くことがほとんどでした。
しかも愚痴を言うことで快感を得ていたこともあり、我慢していると禁断症状のように愚痴を言いたい衝動に駆られるのです。
中毒性がある点ではまるで覚醒剤のようなものといっても過言ではないでしょう。
しかしそこにヒントがあったのです。
愚痴を言う=快感でなくなればいいのだと気付いたのです。
愚痴を言って楽しい、満たされるというのは物事を歪んで捉えていたり、ひねくれていることが原因です。
つまり認知のゆがみをなくせば愚痴を言うことなど楽しくなくなるのです。
そうなるとやがて他人の愚痴を聞くのも嫌になります。
すると愚痴を言い合うネガティブ仲間なんて必要なくなるのです。
ただ単に愚痴を言わないようひたすら我慢しても根本的な原因が改善されない限りは、余計にストレスやフラストレーションになって生きづらい毎日になってしまいます。
あなたが愚痴を言う人になってしまったのは心の奥底や頭の中に何らかの大きな原因があるせいで、そこにアプローチして改善していかないと一時的には改善されてもまた愚痴を言う人に戻ってしまうのです。
雑草を地面の上だけ刈り取っても根っこがある限りはまた生えて来るのと同じように。
このように心の問題は深層意識に問題があるので、一見関係ないような部分にフォーカスをしていく必要があるのです。
しかし完全に愚痴を言わないというのもまた難しいものです。
人と接している限りは「なんか嫌だ」と感じることは当然あるのだし、その時の気持ちや考え方を誰かに伝えたいと思うこともあるでしょう。
だからそれを無理やり閉じ込める必要はありません。
生きている限りは嫌なことや自分の価値観に合わない場面に出くわすこともあります。
もちろんスルーしたりポジティブに捉えられるならそれで問題ありませんが、それが出来ないこともあるでしょう。
なので愚痴を完全にやめる必要はありません。
ではどうすればいいのか。
それはただ伝え方に気を付ければ良いだけです。
「対象となる人を根掘り葉掘り長々悪く言うのをやめる。」
「怒りや憎しみなど感情を込めるのをやめる。」
そして事実だけを伝えるようにすればいいのです。
ではここで悪い愚痴と良い愚痴の例を出してみましょう。
悪い例:「ちょっと聞いて!あのババア、また仕事中に私にだけ嫌味言ってくるんだけど!!年寄りはさっさと辞めろよ!老害が!!しかも隣にいる〇〇さんも部長も見て見ぬフリだしさぁ!誰も私のこと助けてくれないしムカつく!!」
これはkさんから実際に言われた愚痴のひとつです。
このように怒りや憎しみをわかってもらいたい、自分は被害者だと認めて欲しいという負の承認欲求の押し付けというのは聞いている相手にとって相当な負担となってしまいます。
良い例:「またあの人から嫌味言われてしんどくてさぁ。」と軽く笑いながらとか負の感情や自分の怒りを詰め込まずに起きた出来事だけを実況中継でもするかのように客観的に話す。
そのあと「あ、そういえばさ、この前おいしいからあげのお店見つけたんだけど・・・」など、このように話題を変えて楽しい流れにするなど出来れば完璧です。
とにかくネガティブな話題を長引かせず、後味を悪くしないことで聞いた相手も嫌な気持ちを引きずらなくて済むようにしてあげられたら大丈夫です。
ちなみに完全に愚痴を言わなくなれることももちろん可能です。
もしこれが出来れば一切ストレスは溜めなくて済みますし、もっとも良い状態といえます。
その方法は、嫌味や理不尽なことがあった時点でそれを「嫌味」や「理不尽」として受け取らずに気にしないという意識状態になれればいいのです。
けれどいきなりそれはさすがに難しいでしょうから、初心者コースとして愚痴をある程度緩和した感想程度にすることで少しずつ、愚痴を言う人としての重みを改善すること、そして愚痴を言うのが癖だったり当然となってしまっている自分の意識を少しずつ変えていくということから始めていけばいいでしょう。
具体的には「愚痴が発生しやすい環境から離れる」ことが一番です。
不満があるから愚痴は生まれるもの。
だとしたら愚痴が発生しない環境に行けばいいのです。
嫌な人とのつながりなら避ける、絶つ。職場なら転職するなど。
あなたに合わないものと接しているから苦しくなり、それが積もり積もるから吐き出したくなるのです。
充実していたり、穏やかな気持ちでいられる環境ならば愚痴なんてまったく出ません。

いつも愚痴ばかり聞かされていてしんどい人へ。3つの対処法。
自分が愚痴を言わなくてもいつも一方的に愚痴を聞かされる側になってしまって生きづらさを感じている人もいるかと思います。
愚痴を聞いてしんどい、ツラいと感じるのはネガティブな状況報告+負の感情を一方的にぶつけられているからです。
なので人によっては「Aさんの愚痴は全然平気なのにBさんの愚痴ってなんか嫌・・・」と感じることがないでしょうか。
これはあなたが感受性が豊かである証拠でもあります。
このように感覚が過敏なために生きづらさを感じやすいということにもつながっています。
さらには重い愚痴ほどターゲットを絞って言う傾向にあり、そのターゲットにされやすい人というのがいます。
それは
- 「どんなに嫌でも言い返せない」
- 「相手の言いなりになりやすい」
- 「おとなしい」
- 「自分の意見を言えない」
- 「いつもなんでも共感してくれる」
というタイプが愚痴を言いやすい相手として選ばれてしまいます。
ではそんな方々へ効果的な対処法をお伝えしていきます。
染みついてしまった自分の愚痴聞き姿勢を変えるのはなかなか難しいかもしれませんが以下のように心掛けてみてください。
まずはひとつめ。
「へーそうなんだ。」と聞き流して相手にしない。
相手は「聞いてくれる」「共感してくれる」などという自分の欲しい反応をしてもらえることが嬉しいのであなたを選んでいるのです。
なので興味がない、あからさまに嫌そうな態度を見せるという反応を示してみてください。
欲求が満たされないと相手はあなたに愚痴を言っても無駄だと判断してターゲットを他に変えることでしょう。
続いて二つめ。
「あ、そういえばさ・・・」と話題を脱線させて変えてみる。
話題の主導権を自分が握るようにしてみてください。
しかしこれはおとなしい人や相手に流されるタイプの人には難しいかもしれません。
この方法はまず聞く側が深層意識にあるものを変えていかなければならないこともあります。
なぜいつも相手に流されてしまうのか、相手に主導権を握らせてしまうのかなど心の奥底や頭の中の意識と向き合って改善する必要があるからです。
それが出来ていないといきなりこれを実践しても相手はお構いなしで愚痴を言い続けますし、逆に相手を怒らせて悪化させてしまうこともあります。
そして三つめ。
もし上記の対策をして、脱線させても愚痴を戻してきたり聞き流しても続けてしまうとか、まったくこちらが嫌がっているとか避けていることに気付かない場合はその人と出来るだけ関わらないようにする、話し掛けられたら離れるなどしましょう。
本当は環境を変えるのが一番なのですが、転職や引っ越しはなかなか簡単に出来ない場合もあるでしょう。
このように必要な付き合いなどでどうしても関わらないといけない場合は最低限のやりとりだけにしてプライベートな会話はしないようにしてください。
上記でも書きましたが愚痴を言う人は「聞いてくれる人」が大好物なのです。
しかし無視するのは気が引けるとか、関係性が悪くなると社会的に良くない事情があるとかでどうしても相手の機嫌を取らなければいけないと思っている人もいるかもしれません。
その時点であなたは相手の支配下になってしまっているのです。
つまり自分を生け贄にして相手の欲求を満たすために生きてしまっているのです。
もしその相手が社長や上司、実親や義両親という目上の人や立場が上だからといって屈する必要はありません。
本当にあなたを大切に思ってくれる人や環境を選んで、そことだけ関わるようにしてください。
相手を支配してコントロールするような人はどんなに権力のある人でもそもそも社会性や人間性に欠けた人です。
あなたをサンドバッグにするだけのそんな人には気を遣うべきではありません。
「でもそれじゃ生活できなくなる・・・」
「仕返しされるのが怖い・・・」
「嫌われるのがイヤ・・・」
どうしても相手に屈することが当然という認識を植え付けられていると、このような思考が浮かんでその状態から抜け出せないものです。
実はその思考は過去に誰かから洗脳されたり植え付けられた「呪い」です。
なのでまずはここから解いていく必要性があります。
ちなみに私は愚痴女王のKさんの愚痴に限界を感じた時に徐々に適当に聞くようにしました。
それでも止まらなかったために今度は何を聞かされても一切反応しないようにして、しまいには近くに来たらさっと離れるというあからさまに避ける態度を取りました。
するとKさんもさすがに話し掛けて来なくなり無事縁が切れたのですが、どうやら他に愚痴を聞いてくれる共感力のあるパートのおばさんをターゲットにしていたようでした。
ではここでもし勇気を出して「愚痴ばっかり聞かされてしんどいからやめて!」と本音で訴えたとしたらどうなるでしょう。
するとその人は今度は別の誰かに「あの人スゴい性格悪くてさ。こっちの話し全然聞いてくれないんだよ!信頼して悩み相談したのに愚痴やめてとか言われてめちゃくちゃ傷付いた・・・」
などと自分を被害者として第三者にグチる可能性があります。
このような風評被害を受けることになるので下手に相手にしない方が身のためです。
愚痴を言う人は常に愚痴のネタを探しているのですから餌(ネタ)を与えてはいけません。
そして中には愚痴を言うのをやめさせたい、改善させたいと思っている人もいるかもしれませんね。
しかし自分で改善を望まない人を変えることは相当に難しいことでアドバイスは逆効果にしかなりません。
彼らはそういう「ひねくれた世界線でしか生きられない人」だと思ってください。
例え常に理不尽で納得いかない状況にイライラさせられてしまう日々であっても、どれだけ不幸を招くことになっても彼らは愚痴を言う人としてその生き方を受け入れているのです。
愚痴を嫌い、穏やかに生きている人にはまったく理解出来ないかもしれませんが、そういった争いやとげとげしい関係性が当然で、むしろその次元でなければ生きられないのです。
だからその意識を変えてあげようとか、愚痴を言う状態から救ってあげようだなんてむしろ余計なお世話になってしまうのです。
例えば水の中でしか生きられない魚に「水中は大変だろうから陸に上げてあげよう」だなんて思わないですよね。
そんなことをしたら魚は死んでしまいます。
魚は水中で生きる体のつくりになっているので陸で生きることは出来ないのです。
次元の違う人たちは同じ人間で体のつくりこそ同じでも頭の中、いわゆる思考や定義や価値観などが違うので、どんなに正しく美しい品のある環境であっても、それが合わない環境であるならそこでは生きられないのです。
むしろそういう不適切な人に執着してしまうあなたの心や頭の中には「お節介の虫」が住み着いてしまっているのでまずはそちらを癒やしてあげてください。
他人の人生がいくら不適切で生きづらそうであっても、その人のものなのでどうするかは本人が決めること。
もし「愚痴言うのやめたいんだけど・・・どうしたらいい?」という相談を受けた時にはしっかり受け入れて全力でアドバイスをしてあげましょう。

まとめ
いかがでしたでしょうか。
たかが愚痴、されど愚痴。
愚痴を言うくらいたいしたことないからと気軽に楽しんでいたかもしれません。
しかし実はそれが大きな波紋となって、人生に影響を及ぼして生きづらいと感じる原因となっていたりするのです。
愚痴を言う人は自分がその当事者である時はすっきりするだけで何とも思いません。
しかし言われた側、端から見ている人にとっては厄介な存在になってしまっているのです。
まずは客観的になってそこに気付けるかどうかです。
頻繁に愚痴を言う人はやはりイメージが悪くなるものです。
抑えられるものなら自分のためにも周囲の人のためにもやめた方が良いでしょう。
そして聞き苦しいからやめさせたいという気持ちも十分にわかります。
しかし数々の愚痴を言う人と関わってきた私から言わせるとこちらから改善を促すのはまず無理です。
本人自らやめたいと思える状態にならないと何をしても改善は出来ません。
愚痴を言う事で快感を覚えてしまうと知らず知らずのうちに癖になって染みつき、自分の快楽のために求めてしまうので「悪いことだという認識を持ちたくない」という拒絶として精神的な部分までむしばんでしまうからです。
なのでやめた方がいいというアドバイスをする人をむしろ敵としてみなしてしまうことがあるのです。
だからこそ何もしないでそっと離れることが安全な対策と言えるのです。
しかしだからこそ、そこを乗り越えて自分から改善したいと思えている人はよほど強く優れた人と言えるのです。
私はそういった人をぜひ救いたいと思いながらこのような記事を書きました。
もしこの記事について質問や疑問、もしくは改善のアドバイスが欲しいという方はメッセージやコメントにて受け付けておりますのでお気軽にお問い合わせください。
ずいぶん長くなってしまいましたがここまで読んでいただき本当にありがとうございました。