心が苦しいのにその理由がわからない場合の原因と対策の見つけ方。

たくさんのストレスを抱えていることで心が苦しいと悲鳴をあげているのに、対処するべき肝心の理由がわからないことで行き詰まってしまっているあなたへ。

そんな生きづらい状態に陥っているその原因と対策をお伝えしていきたいと思います。


実は心の問題において「理由がわからない」ということはかなり重要な点にも関わらず、見過ごされていることが多い落とし穴なのです。

そこでまず心が苦しいという問題より先に、どうして理由がわからないことになっているのかという点から掘り下げていきます。



本来、何か問題を抱えているのであればその原因を探り、そこから思考して様々な対処していくのが普通です。

例えば「最近太ってきた」というのであれば「そういえば夜中に毎日お菓子を食べていた。」「そういえば全然運動してない。」など日常生活から「これかな?」というある程度の原因がいくつか思い当たるでしょう。

そして夜中にお菓子を食べる事をやめる、もしくは毎日ウォーキングをするなどの対策をしていくことになります。

それでも効果がなければ「食事のカロリー制限」をしたり「スポーツジムに通う」など方法を変えて対策していくでしょう。

ところがこれが「心が苦しい」という問題となるとなぜか途端に理由がわからなくなってしまうのです。


「心」というのは目に見えないものです。

可視化出来ないものへの対策というものを人はどうしても難しく感じ取ってしまいます。
なぜなら解釈が人によって違うからです。

カーテンの向こうに猫のシルエット

例えば職場の人間関係で心が苦しいことを誰かに相談したとしましょう。

そして「なんでこんなに苦しいのかその理由がわからなくて・・・」という悩みををAさん、Bさん、Cさんの3人にそれぞれ打ち明けてアドバイスを求めたとします。

すると・・・

Aさんは「誰でもみんな人間関係で悩んでいるからね。あなただけじゃないから大丈夫だよ。」

Bさんは「そんな嫌な人達がいるならそこから離ればいいのに。転職したらどう?」

Cさんは「それって自分が甘えてるだけじゃないの?みんなに頼って楽しようとしてる言い訳なんじゃない?」

・・・と、このように三者三様の答えが返ってきたら、何が理由かわからないと思ってしまうのは当然です。

これでは心が苦しい状態にどう対処していけばいいのかなんてわからず途方に暮れてしまうことでしょう。



もしくは律儀で素直な人ならすべての回答を受け入れて、それぞれに応じた方法を試すかもしれません。

しかしおそらくそれでも効果的な改善には至らず、心身共に疲れ果ててしまうでしょう。

ぐったりしている豹


このように「心が苦しい」部分だけの改善をしようとしても正解に辿り着くのは難しいのです。

なぜなら一見そこまで関係ないように思える「理由がわからない」という部分にも実は心が苦しくなった原因が潜んでいるからです。



それではどんな理由や原因があるのでしょうか。

ここからは「心が苦しい」そして「理由がわからない」のそれぞれを分けて解説していきたいと思います。

まず言えることは心が苦しいと感じる人は「真面目で努力家で優しい」ということです。


そもそも怠惰で適当でいい加減な人であれば、自分がやりたくない、面倒だと思うことはお構いなしに人に押し付けて自分だけが楽をしようとするので心が苦しいだなんて思うことはありません。

しかし真面目で努力家で優しいあなたは、例え「そうしたい」と頭の中で思う事はあっても、実際はそんなことはなかなか出来ず我慢するしかなかったのではないでしょうか。

餌の前で待つ犬の前脚

それどころか怠惰な人の粗暴を見せつけられて「なんて酷い・・・」という怒りや、「押し付けられた人がかわいそう・・・」という同情をしたり、もしくは自分が押し付けられる立場になって理不尽な思いをした事もあるのではないでしょうか。

しかも断れず、仕方ないのだと自分に言い聞かせて受け入れてきてしまったことでしょう。

実は私もそういった経験を何度も味わいました。

この時、私やあなたの頭の中にはどんな前提があったのでしょうか?


それは・・・



我慢しなければならない

これが常に当然だったのです。

しかもその状態にあることを何の疑いもなく、自然と受け入れて実行してしまっていたのです。

・・・しかしいくら自然に従っているとはいえ、それは相手のために本来の自分を押し殺してまで「相手優先」の状態を実行しているのです。

それではどんなに優しい人であってもやはり心へのダメージにはなってしまいます。

どんな理由であれ、どんな人であっても自分の意見が言えない、自分のやりたいことが出来ないなど本来の自分を出せずに自分を偽って生きることはつらいものなのです。


それは例えるなら脱皮できないままの蝶のさなぎのような状態。

卵から生まれ、幼虫となり、さなぎになって蝶となる、この段階を経ていく中でその時に応じたあるべき姿として生きるのが当然なので一生幼虫のままではいられませんし、さなぎのままでも生きていくことは出来ません。

チョウチョ

けれど人間は脱皮のような目に見えた変化はありません。

人間が本来の自分であるか否かは精神的、意識的な領域でのコントロールが必要となるのです。

けれど心が苦しいと悩む人達は本来の自分を心の奥底に閉じ込めるというコントロールを無意識のうちにしてしまっているのです。

そして無意識だからこそ原因追求に至らずその結果、理由がわからない心の苦しさを抱えてしまい、生きづらい状態に陥っているのです。

心が苦しい状態から脱するために、ありとあらゆる方法を試したという方もいるのではないでしょうか。

私も何年もの間、様々な方法を調べ上げて実行してきました。

「支配的な人にはある程度の肯定や同意をする接し方がいい。」

「人との関わり、特に厄介な人には表面上だけ合わせておくのが有効。」
など。

・・・しかし何を試しても効果的な方法というものはなく、いつまで経っても心は苦しいままだったのです。

理由がわからない私はすっかり疲れ果ててしまって、もう諦めてこの心が苦しいままの生きづらい人生を受け入れてしまおうとすら思っていました。

しかし私はそもそもアプローチすべき箇所を間違えているのだと気付くことになったのです。

それは「目の前の状況にだけとらわれていて、その状況ばかりを変えようと必死になっていた」という点です。

周囲がぼやける中で眼鏡の中でははっきりと映る景色

人はどうしても目に見えて把握しやすい「現実」の方に意識をむけてしまいがちです。

なので何かしらの「問題」が起こるとまず現実をどうにかしなければとそこに着手していきます。
確かにそれで解決出来る問題もあります。

しかし心の問題となると話は違うのです。

実は心の問題が起因している場合は現実である「目の前の状況」や「周囲の人との関わり方」をどうにかしようとしても難しいものなのです。

この場合は自分の意識や心にアプローチしていくことが正しい対処法になります。


ちなみに自分の心への対処法とは過去の体験によるトラウマや認知、植え付けられた価値観や思い込みなどを改善していくということになります。

それにも関わらず私はずっと

「周囲に問題があるからそちらをどうにかしなければいけない」
「私がみんなに合わせてあげなければいけない」

と間違った認識とアプローチをし続けていたので、いつまで経っても状況は変わらないままだったのです。

疾走感のある雲

前述したように無意識的な原因であったり、目の前の状況に惑わされたしまっていたりと「気付く事が出来ない」という状態が「心が苦しい理由がわからない」という悩みを抱えることになってしまいます。

しかしこれら以外にも実は気付く事が出来ない原因があるのです。

それは原因を原因として捉えられない思い込み、いわゆる「洗脳状態」にあるということです。

この洗脳は自分で陥ってしまっているパターンと他人から洗脳されてしまったパターンがあります。

それではそれぞれを詳しく解説していきたいと思います。

私が陥っていた理由がわからないという、この改善への妨げとなってしまっていたひとつがこの「自己洗脳」です。

これは心が苦しい原因となっている状況やその理由が見えているにも関わらず、それを「原因」として捉える事が出来ないためにいつまでも解決方法として見出せないという状態になっているものです。

葉っぱに擬態して姿がわかりにくいカマキリ


それでは私の体験談を例に解説していきたいと思います。



私は職場でいつも「助けてもらえない人」でした。

例えば作業中に何かに困って中断していても、そしてその様子から明らかにおかしいと誰かが気付いたとしても、私ひとりだけが目がまわるほど忙しくても、なぜか誰も私を助けてはくれない上に「大丈夫?」の声すらも掛けてもらえることはほとんどなかったのです。



しかし私の周囲では誰もが当たり前のように助け合っていました。

何か物を落としたら周囲の誰もが一緒になって探してくれたり、作業の手が止まっていたら「どうしたの?」と声を掛けていたり、忙しそうにしていたら「手伝おうか?」と協力しあっていたり・・・。



なのにまわりの人達の「当然」がなぜか私には当然ではなかったのです。


そこでもっと周囲に困っている事がわかりやすく伝わるようにと過剰な素振りと雰囲気で「「助けて欲しいアピール」をしたこともあります。

しかしそれでもまったく効果はありませんでした。

この時、私は必死に原因を考えましたが、いくら考えてもその理由はわからないままだったのです。

頭を抱えて悩む人形


そして数年を経て、心の苦しさから生きづらい状態を何とかするために真剣に自分の心と向き合うようになって、初めて私が助けてもらえない原因と真実を知ることとなったのです。

それは私が極度の人間不信のために誰彼構わず人を避けて拒絶していたため、日頃から誰とも打ち解けておらず信頼関係もなかったせいでした。

そのために周囲の人にとって私という人間は「話し掛けづらい」「近寄りがたい」存在になってしまい、困っていると気付いても積極的に助けてもらえないという状況になってしまっていたのです。



そしてこの一見理不尽とも思える状況は私が自ら作りあげてしまっていたということでした。

しかも自分が助けて欲しい時だけ関わって欲しいなどという「自分都合」などでは誰も助けてくれなくて当然です。


―普段から何気ないやりとりがあって、そこに信頼や共感が生まれ、だから困っている時には助けてあげようという意識が働いて自然と協力しあえるのが人とのつながりで出来る「」というものなのですから。

しかし私は日頃から人を避け続けていたこともあって、この絆の法則すらまったく知らずにいたのです。


実は私は人と関わるといじめられたり何かと嫌な思いをするという経験が多かったために、すべての人を避けることや人間関係の拒絶を前提にするという無意識の思考があったので、そこだけはどうしても変えたくなかったのです。

しかしだからこそ真の原因を原因として捉えられず、いつまでも思うような改善には至らなかったのです。

このように歪んだ認識の状態ではいつまでも理由がわからないままです。

しかしなぜ、そもそもこんな歪んだ認識を持っていることに長年気付けず、心が苦しい状態になってしまっていたのでしょうか。

トゲのような霜のついた鎖

そこには「否定」や「認めたくない」という反発心が意識の中にあるせいなのです。

そしてその反発心が生まれてしまう原因は私の場合は以下のふたつがありました。



ひとつ目は「どうせ変えられない」「自分には無理」という自信喪失や妥協による無意識の諦めです。


思考や行動など何かをする時に常にこの無意識があると否定や諦めが前提となるので「何をやっても無駄」という思考になってしまいます。

すると本来なら簡単に気付けるはずの原因や問題にも気付けず、見落としてしまうので理由がわからずに解決や改善が難しくなってしまうのです。

私の意識の中には「どうせ誰とも良い関係は築けない」という諦めが常にあったので人とのつながりを最初から絶つ思考になってしまい、心が苦しくなる条件を作ってしまっていたのです。


ふたつ目はメカニズムの否定です。

私の場合は、心が苦しいという問題解決のために色々調べたていたところ、スピリチュアルや潜在意識という言葉をたくさん目にするようになりました。

それらのメカニズムを読めば読むほどうさんくさい言葉が出て来て、怪しい宗教の教えのように感じてバカバカしくてとても信じられませんでした。

確かにいい加減な解説や自分勝手な解釈で惑わす情報もありますが、実はとても重要な心理や意識に関わる情報や知るべき知識もあるのです。

そこに気付けなかった私は最初からそのメカニズム自体を全否定していたので、それらの知識を得られなかったために理由がわからず、真実や原因に辿り着くのに時間が掛かってしまったのです。

迷路の上に立つ人型の置物

そして歪んだ認識に気付けない原因としてこのようなパターンもあります。



それは「改善のために知ってしまう真実が怖い」という恐怖から生まれる「無意識的抵抗」です。

完全な問題解決には真実を知ってそこにアプローチしていく必要性があります。


その際に、自分が見たくない恥ずかしい体験、気付きたくない弱さや思い出したくない苦しさや悲しい体験と向き合わなければなりません。

しかしそれらは心の奥底に隠しておきたいものだからずっと見て見ぬフリをしてきたもの。
なのでどうしても向き合いたくないという抵抗意識が働いてしまうのです。



ちなみにこれは心が傷付くのを避けるための深層意識の防衛本能なので心が苦しいという問題を解決するには誰もが通る道です。

もちろん私も通りましたが本当に抵抗が大きく、常に逃げたい避けたいという気持ちが沸き上がるものの、当初はその理由がわからなかったのでとにかく必死にその思考と戦っていました。



そして脳の防衛本能が原因となるものがもうひとつ、それは「変化への恐怖」です。

例えば新しい物事にチャレンジする時になぜか怖じ気づいたり、不安や心配事ばかりが湧いてくるということがありませんか?

なぜそんな思考が発生するのかというと基本的に「現状維持という安定が絶対安心」という意識が脳にあるためです。

脳とハートがシーソーで釣り合っている

例え生きづらい生活や状況であっても、脳は自分の身を守るために時間を掛けてその状況に「慣れるように」少しずつ自分を変化させると、理不尽な環境でもとりあえず命の危険性はないものと判断しています。

なのでいくら現状より良くなる「新天地」や「可能性」が見つかっても、そこから「環境を変えた結果どうなるか」は未知のもので安全を絶対に保証出来るものではありません。



変化には何かしらのリスクが伴う可能性もあります。

そのため「新たなもの」への行動や思考をすると同時に抵抗や不安、恐怖を発生させることで脳は主を生かすために少しでも生命危機のリスクのない選択をさせるようになっているのです。

「ブラック企業を辞めたいのに転職出来るかどうか、その先が不安でなかなか抜け出せない。」

「自分には合わない仲良しグループなのに友達がいなくなるのが不安だから嫌々関わってしまう」

これらの状況もまたその理由によるものなのです。

なのでこのような問題を抱えている人はいつも心が苦しいので不満を持ち、グチを言うもののまったく行動に移せないというその矛盾を続けているので、相談を受けた人などは
「そんなに嫌なのにどうしていつまでもしがみついているんだろう」とさっぱり理由がわからないと思ってしまうのです。

親などの家族や先生、上司など逆らえない立場の人に劣等感を植え付けられたり自分の個性や存在を否定されたなど、自分をネガティブな存在だと思い込まされた過去や経験があると、自分の本来の意思が打ち消されて相手の意思に書き換えられてしまうことがあります。


「お前が悪い」「お前のせいだ」「お前が良くない」「お前がバカだから」などという攻撃的な言葉を繰り返し受ける事で劣等感を植え付けられて、「精神的奴隷」となって理不尽な主従関係が成立してしまうのです。

そうなってしまうと何があってもどんなことにも「自分に非があるのだ」という思考になってしまいます。

足枷

たとえ責任が明らかに他人や周囲にあるにも関わらず、本来抱くべき「相手が悪い」という思考が出来なくなってしまい、「自分のせい」という捉え方をしてしまうのです。


このように認知を歪まされてしまうと、問題解決のための本来の原因にはなかなか辿り着けなくなってしまいます。

確かに自分の心の状態に問題はあるので「自分のせい」という捉え方は正しいようにも思えますが、この場合の「自分のせい」とは本来の自分ではない、支配する人から植え付けられた「偽物の自分」にアプローチしてしまうです。

つまり本来は持っていない劣等感を持たされた事によって「自分は出来損ないの人間なんだ・・・だから何をやっても無駄なんだ・・・。」という思い込みをしてしまうので、それが「心の問題を改善すること」自体を否定してしまい、無意識的に自ら改善出来ない方向に進んでしまうのです。

その結果、自分の心の中に様々な要因があるから心が苦しいのだという部分に辿り着けず、理由がわからないという状態になってしまうのです。

ちなみにこの場合「心が苦しいのは自分の劣等感のせいだと考えてしまうのではないのか?」という疑問を持った方もいるのではないでしょうか。

実はこれもまた劣等感が「前提」となっているのでそこが原因だとは思えず、理由がわからない状態になってしまうのです。

ただしここで劣等感が原因だという気付きから改善していけば、支配者との縁は切れて奴隷という状態から脱して、本来の問題である自分の心の苦しさの解決へと進むことは可能になります。

手錠が外れて自由になる

そして支配的な人からの影響としてもうひとつのパターンがあります。



それは「引きずり下ろし」です。


何かにチャレンジしようとしたり、新たに物事を始めようとした時に「そんなのは無理に決まっている」「お前に出来るわけがない」という決め付けをされた経験がトラウマとなっている場合です。



これは脳の防衛本能とはまた違ったもので、支配的な人の身勝手な決め付けや横暴な価値観などを押し付けられるという状態です。


それは自分には出来ないことによる皮肉や妬みからだったり、人を見下してバカにするということを当然としている人などから受けた言葉の攻撃がトラウマとなって「出来ない自分」として間違った認識を植え付けられてしまうということです。


これによって自分の可能性を信じられなくなるだけでなく、何かをしようとすると「でもどうせ否定されるだろう・・・」「バカにされるから嫌だ・・・」という意欲を削がれることになってしまいます。


すると心が苦しい状態から脱したいとせっかく意欲を持って改善に取り組もうとしても、これらのトラウマが発動して打ち消されてしまうことで原因追及が出来ずに、いつまで経っても「理由がわからない」状態から抜け出す事が出来ないままになってしまうのです。

動けない馬

それでは心が苦しいけれど理由がわからないという問題にはどういった対策をしていくと良いのでしょうか。

具体例の中でも解説しましたが、やはり無意識の領域にあるものはなかなか簡単には気付けないものです。



しかも心の中は奥底であるほど、散々傷付いたことで心を守ってしまうクセがついてしまっているとどうしても「触れてはいけない」と避けてしまう傾向にあります。

それがまた抵抗という障害にもなってしまいます。

実際私も「問題点」に辿り着くまでにかなり時間がかかり、行動や意識改革の決意をするのに苦労しましたから。

しかしまず何より大事なのは「気付くこと」です。

どんな問題であっても気付きがなければスタート地点に立てないので改善には繋がりません。

そしてその気付きを得るには何らかのきっかけが必要で、あなたにとってはこの記事になることでしょう。

蓮の花


心が苦しいという問題は人それぞれ違いますが、やはりトラウマや思考の癖、認知の歪みなど経験から植え付けられたものであればそこにアプローチして改善していくことが必要となります。


もし私のようにメカニズムに疑いがあるならまずは正しい認識をし直すということが求められます。

浅い知識やいい加減な解釈、自分都合(金儲け)の教えなどで知ってしまった間違った知識や情報を再確認して、本当に自分に必要な情報として取り入れるという「前向きな認め」が前提となります。

否定や疑いが前提にあると改善出来るものも出来なくなり、更に原因に対する理由が正しく解釈出来ないのでわからないという状態に陥ってしまいます。



そして対策としては「潜在意識」と呼ばれる無意識の領域にアプローチして、問題を少しずつ解決していくということになります。

なにが「前提」となって意識の障害となっているのか、それは誰からどんな理不尽な価値観や思い込みを植え付けられたのかということを順番に改善、克服していきます。

そうすれば理由がわからないとつまずいていたことにもアプローチ出来るようになります。



心が苦しい理由は、我慢を当然として本来の自分を閉じ込めてしまったからということでしたが、その閉じ込めた場所というのが潜在意識なのです。

そこには本当の「あなた」がいて、そのあなたを解放してあげることでもう不要で過度な我慢をしなくて済むようになるのです。

鏡に映る別の動きをする自分

本来の自分というのは現在の自身も自覚していない可能性もあります。

しかし間違いなくそのあなたで生きることが生きづらいという感覚をもなくす事ができる人生になるのです。


いかがでしたでしょうか。


人は心が苦しいなどの問題を抱えてしまっていると、目の前の状況に惑わされてとりあえずそれをどうにかしなければならないと必死になってしまいがちです。


例えそれらをひとつひとつ解決したとしても、結局はまた同じ悩みや苦しみを味わうことになってしまうのです。

なので理由がわからないという新たな問題を抱えてしまう悪循環になってしまいます。

それは問題の表面上だけを整えたに過ぎなくて、見えていない根底では厄介な問題が複雑に絡み合っている状態なのです。

地表に生えている雑草を刈っても、根がある限りまた生えて来るのと同じです。

雑草


そこで目前の問題点それぞれに取り組むのではなく、おおもとから変えていけば問題点すべてを一気に解決出来てしまうのです。

そうすればそれ以降は問題に直面したとしても「問題」として捉えることもなくスルーしてしまえるので、心が苦しいと思う状況にはならないのです。

するとあれだけ自分を苦しめていた生きづらいという悩みがいつの間にかなくなっていることにふと気付く日がやって来ます。

それだけ心の奥底の潜在意識という場所は重要なポイントとなっているのです。



今まさに「心が苦しい理由がわからない」という悩みを抱えて先に進めなくなっているあなたに少しでもヒントをあげられたでしょうか?

もしまだうまく理解できない、納得できない、こんな事で悩んでいるという疑問や質問がありましたらぜひメッセージをいただけたらと思います。

そこからあなたに見合ったアドバイスをさせていただきます。

それでは今日はここまでといたします。
読んでいただきありがとうございました。




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