あなたが異性を好きになる条件はなんでしょうか?
外見?社会的地位?性格?資産?
・・・色々ありますが、今の現状では
「結局、美人やイケメンがいい」
という風潮になっているようです。
「違う!人は顔じゃない。性格だ!」
・・・外見モテ説が飛び交うと、こういう意見もお約束のように出て来ますよね。
この意見もまた無意識の中では「顔で評価されること」を認めた発言に聞こえます。
過去に顔で判断された人のトラウマによる価値観だったり、多数派を嫌う人が天邪鬼な性質によって無理やり反意を掲げているだけだったりと、異様に外見で評価されることへの抵抗感が読み取れるからです。
そもそも外見がいい、顔が綺麗だから好きというそこで判断することは悪いことではありません。
そして性格で判断することも同じように悪いことではありません。
この場合、何が問題かというと「判断基準を決めつけてしまう」ことなのです。
別にモラルや社会的ルールでない限りは、そこに合わせる必要はありません。
「みんながそうしているから」というのは必ずしもではないのです。
しかし社会性のある人間はどうしても「周囲に合わせがち」になってしまいます。
特に日本人は自我を押し殺してまで合わせようとしてしまう傾向があります。
そしてそれを「好きになる異性の条件」にまで当てはめてしまっているのです。
・・・本来、これは個人の価値観に基づいたものでいいのです。
けれど周囲の意見に知らず知らずのうちに飲み込まれ、洗脳されている状態なのです。
なので「人は顔じゃない!性格だ!」と言い張っている人の中にももしかしたら
「本当は顔で選びたいけれど・・・それじゃ卑しい人たちと一緒になってしまうから嫌だ・・・。」
という自分の真の性質、「真性」を無理やりねじ伏せてまで反意を貫いているのかもしれません。
それは顔で選ぶ人たちへの敵意を示したいという無意識の遠回しな攻撃でもあるのです。
そこに固執するあまり、反意にしがみついて「これが自分の価値観だ!」と信じ込んでいるのです。
―正直、こんな認知の歪みに囚われていたら本来自分に見合った人、理想の人、運命の相手には巡り会えません。
人をどこで好きになるか、認めるかは個人の自由です。
そこを周囲の意見でがんじがらめにさせる必要はありません。
だから顔でもお金でもなんでも、とにかく自分の真性で相手を見て惹かれると思った要素で判断していいのです。
それに対して他人が「そんなとこで判断してるの?」なんて卑下されても気にしないでください。
その相手はあなたとはまた違った価値観を持っているだけであって、その人は「その人なりの相応しい条件」を持っているのです。
そして自分の価値観、つまり自分の好きになる条件こそが正しいと思い込んでいてそれを押し付けて来ているだけなのです。
だからそんな言葉に惑わされず、あなたはあなたの好きになりたい要素や条件を貫いて構わないのです。
その真性の条件に従って見極めた相手こそ、あなたに相応しい相手となるのですから。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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