
あなたは自身の承認欲求が強すぎることに悩み、何とかその抑え方を知りたいと思いながらも悪戦苦闘していませんか?
そしてその状態が生きづらいという悩みの種のひとつになってしまっているのではないでしょうか。
もしくは今まで承認欲求を満たすことばかりに必死になり、抑え方などまったく考えもしなかったという方もいるかもしれません。
しかしそんな状態であっても心のどこかでは生きづらさを感じていたのではないでしょうか。
SNSなどによって気軽に自分を発信出来るようになったこの現状では、見ず知らずの人からの評価も気軽にしたりされたりと出来てしまいます。
だからこそ承認欲求は簡単に満たされやすく、逆に満たされないことで悩みを抱えてしまいやすくなっているのでしょう。
実は私も抑え方を知らない重度の承認欲求の塊だったのでよくわかるのです。
まずはじめに知っておいてもらいたいのが「承認欲求の抑え方」というとまるで無くした方がいいのかと思われるかもしれませんが、実はなくす必要はありません。
承認欲求はあっていいもので、ここで言う抑え方というのは「適度な承認欲求にする」ということです。
なので正しい承認欲求を持つために、正しい抑え方を身に付けられる方法をお教えしていきたいと思います。

そのためにはあなたは今どんな承認欲求の状態にあるのか、それは適切なのか不適切なのか、そしてどんな振る舞いや行動で承認欲求を満たそうとしているのかを客観的に知ってもらいたいと思います。
そしてそれが不適切な場合は何が原因でそうなってしまったのかという理由を知った上で、どういう抑え方が有効なのかという対策までアプローチしていきたいと思います。
「承認欲求の原因なんてそんな面倒な部分はどうでもいい。対策とか抑え方だけ知りたい。」
と思っている方もいるかもしれません。
しかし心の問題とはいきなり改善策に取り組んでも、その方法がすんなり頭に入らないので正しい理解が出来ず、心にも入っていかないので改善策がなかなか発揮されないのです。
なので多少面倒かもしれませんが、まずは承認欲求とはどんなものなのかということを正しく理解した上で抑え方を学んでもらえたらと思います。
承認欲求とはどんなもの?
あなたは承認欲求とはどんなものであるのかを知っていますか?
もしくはどんなイメージを持っていますか?
それではここで理論的な面から見ていくために「欲求段階説」という一説ついて解説していきたいと思います。

これはアメリカの心理学者アブラハム・マズローが唱えた、人間の欲求を5段階で表した理論です。
自己実現の欲求 (Self-actualization)
承認(尊重)の欲求 (Esteem)
社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
安全の欲求 (Safety needs)
生理的欲求 (Physiological needs)
この説は最下層の「生理的欲求」という、人間の生きるための本能としての欲求である食事、睡眠などを指しています。
そしてそれが満たされていると「安全の欲求」という、身の危険を感じるものから離れたい、拒否するという欲求が出て来ます。
その次に「社会的欲求(所属と愛の欲求)」という、家族や職場などから受け入れてもらいたいという欲求が出て来ます。
それが達成されると「承認(尊重)の欲求」という、周囲から認められたい、評価されたいという欲求が出て来るのです。
そして上記すべての欲求が満たされると最後に「自己実現の欲求」という、自分自身が納得して満足出来る状態でありたいという欲求が出てくるのです。
・・・ただしこれには人種や性別などによって違いがあり、誰しもに共通するわけではないということで科学的な実証はされていません。
なので参考程度までにとどめておいて良いでしょう。

このように承認欲求とは「あっていいもの」で決して悪いものではありません。
むしろ誰もが欲して当然なので、正しく持てれば本来は抑え方を必死に覚える必要もないのです。
しかしどうも世間では「承認欲求は悪いものだから完全に抑えた方がいい。」という抑制意識が多く定着しているようです。
ではなぜここまで良くないものと思われているのでしょうか?
それは歪んだ形で過度な承認欲求を得ようとしている人たちがあまりにも悪目立ちしているからなのです。
例えば迷惑系YouTuberや公共の場での露出の多い際どいファッションなど、不適切なやり方や他人を傷付けるなどの犯罪行為など、自己中心的な方法を抑えられずモラルに欠いた行動で承認欲求を得ようとしているものが該当します。
これらは人間性としても社会的にも明らかに良くないものですが、だからこそ印象にも残りやすいのです。
彼らはそれをわかった上であえて「品性を抑えない方法」で承認欲求を得ることを選んでいるのです。

しかしこれらの経験をしている人であっても、ある時どこかでふと「自分は良くない表現をしている・・・」という気付きを得ることもあります。
このように間違った形で承認欲求を得ているという自覚を持てたとしても、そこからどう改善すればいいのかなどの抑え方を知らないのでどうしても自分では改善出来ずに悩んでいる人もいることでしょう。
もしくは「自分はこういう不適切な人と同じ事をしてしまっているのではないか・・・」と実際はそんな事はしていないのに、承認欲求は悪いものだと捉えてしまっていることで自分は悪いことをしているのではという恐れを抱いて、自分を責めて悩んでしまっている人もいるかもしれません。
この記事はまさにこれらの前向きな承認欲求改善や、度が過ぎたものを抑えたいという方へ向けた解決のためのものなのです。
ではこれらの人たちは具体的にどんな感覚や意識、状況で悩んでいるのでしょうか。
抑える方法を見失った承認欲求の状態とは?
適度な抑え方を知らないまま、欲望のままの歪んだ承認欲求を持っていると以下のような振る舞いや意識を持ってしまいます。
- とにかく人から認められないとダメ。
- 誰よりも自分が一番注目を集めたい。
- 過度なパフォーマンス(露出など性的な表現)で異性にだけ認められたい。
これらが「いま現在のあなたの願望」として脳内に渦巻いているのではないでしょうか。
もちろん抑える方法などほとんど意識していないことでしょう。

ここでいったん抑え方が出来ているかはさておき、あなたは今現在持っている承認欲求を満たせていますか?
それではここからはパターン別に見ていきましょう。
①承認欲求を叶えているのに・・・
十分な評価をもらえているのに思ったほど満足出来ない。
認めてもらっても褒められても、嬉しいというよりどこか虚しい。
高評価や褒め言葉がなんだか嘘くさく感じてしまう。
例えば「SNSで自撮り画像やつぶやきなどを投稿すれば「いいね」がたくさんもらえる。フォロワーも沢山いる。なのになぜか心が満たされないと感じている。」
「自分の作品が最高の賞を取った。けれどなぜかしっくりこない」など。
これは「完全に満足出来るまで!」「本当に信用出来る高評価がもらえるまで!」
この確信出来る答えを求めているので、そこに辿り着くまでの経緯として承認欲求を闇雲に集めるだけの状態になってしまっている可能性があります。
②承認欲求がなぜか叶わない・・・
どんなに頑張ってもどんな手を使っても全然評価してもらえない。
周囲の人たちは褒められたり認められているのになぜか自分だけは認めてもらえない。
例えば「どんなにモテるためのテクニックを実践しても、異性に好かれるファッションコーディネートを完璧にしても異性にモテない。」
「転職活動しても、いつも条件のいい企業や第一志望の職場には受からない。」
「SNSでいいねがたくさん付いている人と同じような内容の投稿をしていて、閲覧数はあるのに自分にはいいねがつかない。」など。

そして現状が上記の異なるパターンのどちらであったとしても、それがやがてこのような感覚や思考へと至ってしまいます。
「承認欲求はあるけれど、これをやり続けることにだんだん疲れてきた。やめたい・・・。」
・・・実はこれは心の奥底では嫌気が指している状態なのです。
そして深層意識では抵抗があるけれど、なぜかそれをやらないといけないという感覚もあるので、もはや惰性で現状維持をしてしまっているだけなのです。
更にその状態を続けていると自分の中で「乖離」という意識と行動のズレによる苦しさが発生してしまいます。
「なぜそこまで評価や承認をされたくて頑張っているのか、自分でもはっきり理由がわからない・・・。」
このやめたいのにやめられない、承認欲求を抑えた方がいいとわかっているのにそれが出来ないという葛藤意識を抱えていると「生きづらい」という悩みに発展してしまうのです。

間違った「認められ方」
ここでは承認欲求の抑え方の問題ではなく、様々な要因によって「承認」というものを歪んだ形で捉えてしまって悩んでいるというパターンを客観的に見ていきましょう。
まずは「他人から承認されることでようやく存在を許されていると思える。生きているという実感をそこからしか得られない。」というものです。
この状態に陥ってしまうと他人の評価基準こそが絶対的ですべてとなってしまうので、どんなに外部から「他人から認められることがすべてではないよ。」と言われてもまったく理解も納得も出来ません。
なぜなら自分の世界のルールが「他人軸」になってしまっているからです。
その「自分世界」では「承認=他人からの評価」であり、自分の評価や承認などそもそも力もなく無意味だという捉え方になっているのです。
なのでどんなに自分の評価の尊さを説明してアドバイスしてもまず聞く耳は持ちません。
なぜそこまで言えるのかというとまさに私がその状態に長らく陥っていたからです。
自分の評価や承認を自分でするなんて有り得ないことだと思っていましたから。
そしてその状態に陥っていると次のような展開を招いてしまいます。
それは相手がどんな人であれ(嫌い、苦手、気持ち悪いという人であっても)その人から「認められなかった」「拒否された」「嫌われた」という何らかの意思表示をされるとなぜかショックを受けてしまうのです。

本来であればそんな人からは嫌われ避けてもらった方が良いはずなのですが、真逆の感覚に襲われてしまうのです。
これは過度な承認欲求により「すべての人から認められることが前提」という自分世界のルールによる弊害です。
だから自分から嫌うのは平気だけれど相手から嫌われると承認欲求が満たされず、悲しみや抵抗を覚えてしまうのです。
そして承認欲求でもっとも厄介な付き物と言えば「嫉妬」です。
嫉妬によって承認欲求は更に歪まされて間違った方向へと進んでしまいます。
なのでこの嫉妬こそ抑え方をしっかり身に付けておくべきでしょう。
承認欲求が過度であればあるほど、承認をひとり占めしたい欲求も高まり、どうしても他人の存在が気になって比較するので妬みやすい状態にあります。
それは時に度を超してライバル視している相手を蹴落とすなど手段を選ばないこともあるでしょう。
欲にまみれている状態ではどうしても冷静さを欠いてしまうので、こんな時の自分を抑える方法はやはり承認欲求自体の正しい抑え方を習得しなければなりません。

歪んだ形の承認取得方法
2章に渡って承認欲求の異なるパターンを見てきましたが、どのパターンの人であってもやはりこの感覚を持ってしまっているのではないでしょうか。
「なんにせよ苦しい。自分がおかしなことをしているというのは何となくわかっているから・・・。」
この「苦しさ」はあなたの心の奥底からの悲鳴です。
あなたの心の奥底にいる「そんな形で承認欲求を得ようとは望んでいない」という無意識からの反発なのです。
しかし承認欲求は抑えた方がいいとわかっても、どこをどう改善すればいいのかわからないと取り組めません。
そこでここからは承認欲求がなぜ歪んでしまったのかその原因にアプローチして、歪んだ欲求の抑え方に辿り着ける準備をしていきたいと思います。
まず、なぜ歪んだり不適切だったりモラルに反することをしてまで承認欲求を得たいという状態になってしまったのかという点から解説していきたいと思います。
他者承認の世界

本来はそこまで強く承認欲求にこだわる必要はありません。
なぜなら基本的には「承認」というものは自己承認と他者承認のふたつがあり、重要なのは自己承認があることなのです。
これがあると例え他者承認の欲求が発生しても品性があり、抑えられた方法で表現することとなります。
しかし自己承認が出来ない場合は「自分で自分を認められないからすべてを他人に認めてもらおうとしている」状態にあります。
すると承認欲求は他者承認のみとなってしまい、他人から認められることだけに執着する強い欲求となってしまうのです。
その結果、モラルやルールによって抑えられた方法では承認は十分に得られないと知ると、承認欲求を満たすために手段を選ばない形になってしまうことがあるのです。
この状態に陥ってしまうと「他人からの評価こそがすべてであり、絶対的に正しい。」という世界で生きてしまうことになります。
そこでは自分が自分にくだす評価は何ら価値を持たないと思い込んでいるのです。
これが「間違った「認められ方」」の章でも書きました、「他人軸」になってしまう原因のひとつでもあります。
わかりやすい例として私の体験談をあげてみます。
20代半ば頃の私は、とあるSNSをやっていたのですがそこで作られていたコミュニティーの中で、まるでオーディションのような画像審査に通らなければ入会出来ないという特別なコミュニティーがありました。
そこには見事審査を通ったその参加者一覧の画像が並び、部外者でも見る事は出来る状態でした。
どの画像もイケメンやモデルのような美女ばかりのメンバーで、そのコミュニティーに認められて入会出来ること、そしてメンバーの特権としてそのコミュニティー名を自分のプロフに載せられるということがSNS内でのステータスだったのです。

なのでどれだけレベルの高いコミュニティー名をいくつプロフに載せているかということを競い、目指していたのです。
私もそのうちのひとりでした。
審査員はそれぞれのコミュニティー管理者だけで「幹部」と呼ばれる人たちのみで行われていました。
基準は自撮り画像のビジュアルの良さのみで幹部の好みという浅いもの。
プロフの内容はあまり見られていないようでした。
なので私はありとあらゆる自撮り撮影方法を駆使しては何十何百枚という画像を撮りまくり、コミュニティーの審査に定期的に送っていたのです。
しかしレベルの高いところにはまったく相手にされずに何度も落とされました。
そのたびに私はなんとか審査を通りたい、選ばれて特別な存在になりたいと休日も平日の仕事終わりもほとんどの時間を自撮り撮影ばかりに必死になっていたのです。
すべては素人の知りもしない「幹部」に承認されたいがため、SNS内という狭い世界に認められることこそがこの時の私にとって「すべて」だったのです。
しかし結局大したコミュニティーには参加出来ない日々の中で、何度も不採用となっていたある高レベルコミュニティーに審査が通ったのです。
その瞬間大喜びしたのですが・・・
なんとそのコミュニティーは翌日に「私情により閉鎖します」というメッセージが送られてきたのです。
要するに「どうせ明日で終わるんだから誰であろうが審査通しても別にいっか。」という幹部の思惑だったのでしょう。
これには何とも言えないになり感情を味わわされました。
そんな出来事があったその後も懲りずにコミュニティー審査を1年ほど受け続け、まるでそれが生きがいでそのためだけに生きているかのような日々を送っていたのですが、さすがに手応えのなさと心身共に疲れ果てて、次第にコミュニティー審査から離れるようになりました。

このように認められることがステータスという所への所属は、歪んだ承認欲求者にとってよだれが出るほどたまらない場所です。
なのでかつての私のように生活を犠牲にしてでもその達成だけを目的としてしまいます。
・・・今思うとこの1年間、自撮りに費やすなんて本当にもったいなかったと思います。
もっと有意義な時間として使えたのにと悔やんでいますから。
苦しいのにそれでも承認欲求を抑えられない
次はやめたいという意識はあるのにそれでもやめられない、いわゆる「乖離」を起こしても承認欲求を得ることをやめられずに続けてしまう原因とは何かについて解説していきたいと思います。
「褒められたい、特別扱いされたいという欲求」
これは主に愛着障害という親からの愛情不足が原因で、自分という存在を認めてもらえなかったことで承認の不足や不満を解消したいという欲求です。
本来子供は親からの愛情を受ける事で安心感や安全による心地よさ、そして自分の価値を実感します。

しかしそれがないと不安状態に陥り、親以外の人からの承認を求めるようになります。
もちろん親以外の他人である、友人やパートナーなどから承認欲求を得て安心安全という状態になることも可能です。
しかしここでトラウマを抱えていて、それが影響していると過度な承認欲求となってしまい、例え本来の目的を達成しても欲求は抑えられず、別の方向性で求めるようになってしまいます。
「本来の承認欲求とは違う」と意識のどこかでそう気付いている、だからやめたい、やめなきゃという抑えたい方への思いはあるのです。
なのに幼いころに満たされなかった寂しさや悲しさ、不安などのトラウマ要因を引きずっているとそちらの方が強く発動してしまって引っ張られ、歪んだ承認欲求を継続してしまうのです。
この意識と行動の食い違いが苦しさの原因となっているのです。
そしてこのように歪んだ承認欲求はやみくもにその承認してくれる数だけを欲してしまいます。
なので「承認してくれそうな人が好むタイプ」を演じるようになります。
それは本当の自分とは違う、その他大勢が望む姿形や振る舞いをすることになります。
良く言えば「アイドル」であり、悪くいえば「偽物の自分」でしょう。
もちろん仕事としてのアイドルならばしっかりとした目的があるので問題ありませんが、それが承認欲求を満たすためだけとなると問題が生じます。
それは「いくら認められも満たされない」という状態になるからです。

しかし承認された数が多ければ多いほど欲求としては達成はしているので一応満足はします。
けれどもそれは「承認欲求の本来の目的」ではないのです。
しかも一番重要なのは「承認されたのは偽物の自分であり、本当の自分ではない。」という点です。
いくら自分を綺麗に見せてもメイクも画像も加工すればするほど本当の自分ではなくなっていきます。
それに比例してその偽物の自分が評価されることに嬉しさを感じる反面、虚しさにも襲われるのです。
それこそが「承認欲求を満たしているのに満足出来ない」理由なのです。
そして承認欲求を得るために偽物の自分を作ることばかりにこだわり、自分を隠し、演じ続けるだけではいくら欲求を満たせても心身はクタクタになってしまいます。
本来は承認欲求を得るためにこんな無理をしなくても大丈夫なのです。
なのでこれが「承認欲求を満たすとなぜか疲れてしまう」という理由になります。
「本当の自分を見てもらえることの大切さ」
原因やパターンは色々ありますが結局すべてに共通していること、それは
「自分が嫌い」
「本当の自分を好きになれない」
「本当の自分だと認めてもらえない」
という自己否定や自己卑下が心の深い深い奥底にあるせいなのです。

それにより自分で自分を好きになれないから他人に認めてもらう、好きになってもらうことで自信を付けたいということなのです。
そこで他人軸の状態で他人からの評価に自分の価値を委ねて任せるのではなく、「自分が一番ふさわしい在るべき姿を取り戻す」といういわゆる「自分軸」になることが基本となります。
なぜなら本来自分の存在の評価は自分で下すものです。
そして自己評価で承認欲求を満たした自分が「メイン」でいること、それが自尊心となります。
なので他人の評価は飾り程度の捉え方でいいのです。
「何とかいいねもらわなきゃ!あいつよりもっとコメントも多くもらわなきゃ!フォロワーも増やさなきゃダメだ!!」
「誰にでも褒められなきゃ意味ないし!絶対に自分が一番だって言われるようにしなきゃ!!」
・・・こんな必死になる必要はありません。
「あ、この投稿褒められた。嬉しい。」
「自分のあの作品、認めてもらえたんだ。あぁ頑張って良かった。」
この程度の軽い捉え方で良いのです。
後者で受け入れられるようになれば承認欲求の抑え方は自然と身に付いている状態になります。
更に振る舞いも無理はしなくなるので苦しい、生きづらいという問題は解決するのです。
例えば私はこんな経験をしたことがありました。
実は私は17~20歳までアニメやゲームキャラのコスプレをしていました。
場所は地元の小さなコミケや、アニメーション専門学校在学中は学祭などで披露していたのです。

なぜ始めたのかというとやはり「注目される」「ちやほやされる」というのが羨ましかったからです。
ちなみにコスプレデビューは最遊記という漫画の紅孩児という男性キャラでした。
理由は「衣装が手持ちの物を加工すればいいから簡単だったから。」という単純なものです。
そして地元コミケでコスプレ姿で初参加したところ、やはり女性人気のあったキャラだったので女性から声を掛けられ人気者となれたのです。
その後も神風怪盗ジャンヌの堕天使フィンやファイナルファンタジー8のリノアなどのコスプレをしては注目をされることを嬉しく思い、快感を得ていたのです。
特にアニメーション専門学校のゲーム学科でリノアのコスプレを見た男子生徒からはものすごい反響で大歓声を浴び、まるでアイドル気分を味わえました。
それ以降、あの快感が忘れられず、とにかくコスプレ欲求に駆られて何かとその機会を伺う毎日を送っていたものです。
しかしある時ふと、こんなことに気付いたのです。
「私が注目されているのはコスプレをしている時だけ。人気者でモテモテなのは私ではなくキャラなんだ。」
・・・その瞬間、何とも言えない虚しさに襲われ、私はそれ以降コスプレをやめることとなったのです。

―それからひとつ、注意していただきたいこんな状況があります。
それは周囲に他者評価を強く押し付けてくる誰かがいる場合についてです。
それはその人が「あなたにはこういう人であって欲しい」という相手都合の勝手な押し付けに過ぎません。
もしそのすべてひとつひとつに応えていたら、それらの願望に応じたいくつもの「あなたの化身」を作らなくてはいけなくなってしまいます。
そんなことをしていてはあなたの精神が持ちません。
・・・私はかつて友人ひとりひとりに合わせたいくつもの「わたし」を演じているうちに、本当の私が自分でわからなくなりパニックになってしまいました。
あなたという存在は「ひとりだけ」でいいのです。
その「たったひとりの貴重なあなた」として生きるべきなのですから。
他人の希望や期待を前提として生きているのではありません。
全生物は自分のために生きることを前提として生れて来ているのです。
あなたの心臓はあなたひとりを生かすために動いていて、あなたの脳はどうやったら主であるあなたを安全で幸せに生かせるかと判断して動いています。
それは誰かの承認が必要なことですか?
評価がなくても褒めてもらわなくても、それはあなたが生きるためには当然のことなのです。
どうかその意識を持つ事を自分に承認してあげてください。
それはあなたにしか出来ない特別で大切なことなのです。

まとめ
いかがでしたでしょうか。
要するに承認欲求はなくす必要はないもの。むしろ完全になくしてしまっては人として成り立たなくなってしまうからです。
だから承認欲求は抑え方を身に付け、適度に発するのが良いのです。
例えば卵は完全栄養食だと言われているが、だからと言って毎日10個も食べていたら逆に身体を壊してしまいかねません。
このように何事も程よく適度に欲することが大事なのです。
正しい承認欲求を身に付けられれば必ずあなたの人としての成長に繋がります。
承認欲求とは本来そういったものなのです。
改善したい、もう人に迷惑を掛けたくないという前向きで優しい気持ちがほんのわずかでもあるなら改善は可能です。
大事なのは「気付くこと」。
この記事を読んでいる今のあなたは間違いなく転機を迎えていて、不適切な状態から抜け出して優しい幸せな人生を歩もうとしているのです。
だから私もそのお手伝いが出来ればと思っています。
もしこの記事に関して聞きたいこと、相談したいことがありましたら気軽にメッセージなど送っていただければ嬉しいです。
コメントフォーム、もしくはページの一番下の「質問などお問い合わせはこちらから」受け付けております。
あなたのお悩みに一緒に向き合っていきたいと思います。
それでは今日はここまでといたします。
読んでいただきありがとうございました。
この記事を読んだ人はこちらも読んでいます。