
生きづらいと感じる人の中でも特に「自分が嫌い」という人がかなり多く見受けられるように思います。
理由もなく自分が嫌いになる人はいないでしょう。
生きづらいという感覚も含め、そこには何らかの原因があるのです。
しかし多くの人がその原因を知りません。
それどころか自分が嫌いという理由も漠然としているので、なぜ自分が嫌いなのかすらも把握していないようです。
だからこそ生きづらいという悩みにまで発展してしまうのでしょう。
実は自分を嫌いになる原因は2つあります。
それは「自己肯定感」と「自尊心」がない、そして嫌われる事が定着しているから、ということです。
これらを克服または改善出来れば自分が嫌いという問題も生きづらいという悩みも解決出来ることになります。
しかし自己肯定感や自尊心というのは見聞きしたことはあるものの、難しそうだとか曖昧で違いがよくわからない、何だかうさんくさいからと避けている人もいるのではないでしょうか。

けれどこれが大切なポイントとなっていますので、まずはどんなものであるかを知ってもらいたいので軽くでも読んでもらえたら嬉しいです。
(・・・ちなみに私も最初は半信半疑で遠ざけていました。)
まずはこれらがどんなものでどんな必要性があるのかを知ってもらい、自分の状態を客観視することで改善に取り組みやすくなるように丁寧に解説していきたいと思います。
自己肯定感や自尊心がないとはどんな状態なのか?
これはわかりやすく言いますと、いわゆる「自信がない」という状態になります。
自信が持てないことで他人の基準が絶対となり、そこで自分の行動や価値を決めているのです。
では具体的にはどういった状態が当てはまるのでしょうか?
- いつも人の意見や評価ばかり気になって、それに応えようと必死になってしまう。
- 自分が本当にやりたいことは我慢。人の期待に応えるのが最優先だから。
- 何らかの行動をする時や意見を言う時には人から責められたり貶されたりするのが怖くて出来ない。
- 挑戦しようとしても失敗した時に笑われたりバカにされるのが嫌だからと結局やめてしまう。
おそらくこれらのような事を当然のようにしてきたのではないでしょうか。
ちなみにこの例は私が経験してきたものです。

しかし当時はこれが自信のなさから来るものだなんてまったく思ってもいませんでした。
けれど確かに生きづらいという感覚だけはありました。
だから頭の中ではいつもこんな思考がぐるぐるとしていたのです。
「こんなにも弱くて出来損ないの自分が嫌。
なんでこんなに何も出来ないんだろう。
なんでいつも人の言いなりなんだろう。
こんな惨めな自分が嫌い。
堂々と自信満々に自分のやりたいことをやって成功を収めている人たちが羨ましい。
でも自分にはそれは無理だというのはわかっている。
だからそんな何も出来ない自分が大嫌い。
いっそ自分が自分じゃなければ良かったのに。」
・・・私と同じようにこんな切実な悩みを抱えて自分を嫌いになってしまった方がいるのではないでしょうか。
しかしそんな生きづらいあなたでも堂々と本当にやりたいこと、好きなことに取り組んで成功することが出来るのです。
それは何も特別なことではありません。
選ばれた人間しか幸せになれない、成功出来ない訳ではないのです。
そうなれる権利は実はあなた自身が握っています。
けれどその発揮の仕方を知らないだけ。
ではどうすればその権利を活かして、自分が嫌いではなくなり生きづらいと思わなくなれるのでしょうか。
そのためには「自己肯定感」と「自尊心」を持つ事が必要なのです。
それではそれぞれがどんなものなのかを解説していきましょう。
自尊心とは?
これは自分を尊ぶということ、自分の存在価値を大切にするということです。
自分が嫌いという感覚とは真逆です。
つまりは「こう在ることが自分らしさだ」「自分はこういう人間だ」という譲れないこだわりを持つことで、これはいわゆる「プライド」というものです。

これがあれば確実に生きづらいとは思わなくなれそうですね。
ちなみにプライドとは品位のことですが、では「品位」とは具体的にどんなものなのでしょうか?
何となくわかるような感じもしますが、やはり漠然としていてわからないという方もいるかと思いますので、この言葉を少し掘り下げてみましょう。
一般的な品位の定義とされているものは「礼儀がある」「人を重んじる」「美しい所作」「節度ある振る舞いをする」など人を不快にさせない事を心掛けていることで、こちらは主に「思考的」な面でのものです。

そしてモラルやマナーを守ることなどは「社会的」な面でのものとなります。
ただしその界隈によっては品位の定義や基準が変わることがあります。
国や地域での違い
国では食事を振る舞われたら残すことがマナーとされている。(しかし2021年に反食品浪費法が制定されたことでこの習慣も変わってきている。)
宗教での違い
イスラム教では豚が不浄という教えがあるので豚肉を食べてはいけない。
状況での違い
戦争においては敵を多く殺した人が優秀とされ称えられる。
・・・しかしこれでは「品位とは一体何なのか?」「人の命を奪うことも品位なら、清く正しく世のため人のために生きている人に失礼ではないか」という解釈をする人もいるかもしれません。
それはその界隈での基準になるので、いくら清く正しくを品位としている人であっても所詮は「界隈の外の人間」。
なのでそれらの人達の「正しさや定義」は通用しません。
そもそも生きる世界が違うので自分たちの世界のルールや定義を持ち込むこと自体が無謀で無意味なのです。
例えば人には人間社会の定義が、野良猫には野良猫社会の定義があるように。
そして何よりそれは自分の感覚こそが絶対に正しいという「価値観の押し付け」によるものです。
なのでこの場合は意識を切り替えて捉える必要があります。

―それではここから本題に戻ります。
自尊心は自己肯定感と同一視されることが多く、似たような解釈をする人もいます。
「自分という存在を確立していて、他者からの干渉を受けても揺らぐことがない」という要素は実は自己肯定感と自尊心の両方にあるものです。
それではこのふたつの違いは何なのでしょうか。
実はこれらは取得する段階が違うのです。
世間では「自己肯定感さえ持てれば大丈夫」と言われていますが、実際は自尊心を身に付ける方が先になります。
自尊心があるから自己肯定感を持てるようになる、というのがわかりやすいかと思います。
つまり「プライド」や「自分とはこういう人間」「自分の在り方」というものが根底にあるからこそ、自分を肯定出来るようになるということなのです。
そのために「自分が確立していて揺らがない状態」は自尊心を得た段階で獲得しているので、次の段階で得る自己肯定感でも当然その要素は持っていることになります。
しかし自己肯定感がある人を客観的な立場から見た人には、まるで自己肯定感からその要素が得られるという風に思えたのではないでしょうか。
なので混同されやすいのだと思います。
実際はいきなり自己肯定感から得るという事は難しいでしょう。
ただでさえ生きづらいという疲労を抱えていたり、自分が嫌いということで悩んでいる中で、そこから一気にいろんな要素を詰め込まないといけないというのは精神的にも負担になるでしょうし、何より把握や理解が難しいので取り込みにくいかと思います。

だから順番に自尊心→自己肯定感という段階を経て得た方がわかりやすく、すんなりと受け入れられるでしょう。
そしてこのように自分を確立しているからこそ、自分がどんな行動をしても肯定出来るようになれるのです。
なのでこの自尊心から派生して自己効力感(自分の能力や可能性を認知していること)などいろんな自己を確立する方法が得られるようになるので、自己肯定感はその要素のひとつということになります。
このように自尊心は自己肯定感を持つために必要不可欠なものになります。
「自分が自分をどう思っているのか」という認知がなければ、自分を認めたり肯定することは出来ません。
そしてそれは主に幼少期に大人など周囲の人たちからの評価によって自尊心のきっかけとなる価値観や体験など様々な要素を得ていくのですが、そこからどういう自尊心を選ぶかは自分で決めることになるのです。
なのでこの時の自分の意識がどんな状態であるかが重要な鍵となります。
例えばネガティブ思考な状態であるなら、何でも否定的な捉え方をしてしまうことで自尊心もネガティブなものとして選択をしてしまうのです。
そのために「ネガティブな自尊心」を持って否定的な思考にプライドを持って生きるようになります。

結果、「どうせ失敗するから・・・」「自分なんて何も出来ないし・・・」というこの思考こそが「自分の在り方」となってしまうのです。
このように自尊心とは決して「良いもの」だけを意味する訳ではありません。
マイナスの自尊心、攻撃の自尊心、支配の自尊心などもあるのです。
そしてこれらも何らかの原因で自尊心が傷付けられたり奪われた場合には不安や絶望という状態に陥ってしまいます。
例えば攻撃が出来ない、支配が許されないなどでも禁止されたことで自尊心がなくなり「自分の在り方」を失ってしまうと自分を確立出来なくなり、精神的なダメージとなってしまうのです。
そしてこの段階で「自分が嫌いという自尊心」を選んでしまった人もいるかもしれません。
それによって自分を嫌いになることにプライドを持ってしまっているのですが、それは歪んだ形のもののために生きづらさへと繋がってしまっているのです。
自己肯定感とは?
自分自身の良い所や悪い所、自分が発信した何らかの行動や意見などに対して、他人がどんな評価を下そうとも揺るがない意識や感覚を持っている状態のことです。

それは失敗や成功といった、物事がどんな結果であろうとも構わず、その経験自体を「自分のためになった」「よくやった、頑張った。」という満足感や納得などで受け入れ認めるということです。
例えばチャレンジしたことへの充足感や挑んだことへの精神意欲などの面を評価しているということになります。
なので他人からの批評などはまったく聞き入れず、無意味なので聞き流してしまえます。
当然、自分が嫌いなどという思考には至らないので生きづらいという悩みを抱えることもありません。
「それでは優秀じゃないと自己肯定感を持てないのか?」と思っている人もいるかもしれません。
しかしそれは間違った自己肯定感の捉え方なのです。
世間では誤解している人も多いようで「何でも出来る人、能力のある人でないと自己肯定感を持てない」という解釈をしているようなのです。
自己肯定感は人を選びません。だから誰でも持てるのです。

優秀だから自己肯定感を持つ資格があるのではありません。
自己肯定感を持った結果、優秀になれるという後付けなのです。
そして「自己肯定感を持つと強くなれる」「何でも出来る」「無敵」などという、まるでエリートや超人のような人のイメージを持たれていますが、急に何らかの能力やスキルが身につくのではありません。
何があってもぶれない精神力や意識が身につくので、他人の批評に振り回されて感情的になったり、そこだけで一喜一憂しなくなるということです。
なのでその自信があることで挫けなくなり、意欲が常にあるので向上心によってどんどん成長して成功を収めることとなるのです。
ただ、端から見たら精神面の変化や経緯は見えないので、見事な結果だけを目の当たりにしたことで「あの人はすごい」という評価になる、これが自己肯定感を持つ人の成功のメカニズムなのです。
自分が嫌いになってしまったきっかけとは?

それでは次にどうして生きづらくなるほどに自分が嫌いになってしまったのか、そのふたつの原因と経緯の解説をそれぞれしていきたいと思います。
まずは親からの虐待や周囲の誰かからいじめを受けていたなど一方的に酷い扱いをされた、蔑ろにされた経験があるということが原因の場合です。
そしてその結果、「自分は攻撃をされる存在」という認識になってしまったり、「自分は嫌われて当然」という解釈になってしまったことが考えられます。
そしてもうひとつは、ネグレクトなどにより親から放棄されたことで誰からも大事にされなかったことによる「自分という存在は大切にする必要はない」という認識が原因の場合です。
「自分はどうなってもいい。」「別に死んでも良い。」「存在意義を見出せない。」などこれらは自己放棄という状態になってしまっています。
そして悲しくも自分を嫌いになってしまった人たちは、ここから更にふたつのパターンに分かれて生きづらい人生を歩むこととなります。

嫌いになってもらえるという悦び
私はこのパターンを「嫌われ好き」と呼んでいます。
この状態は人に嫌わせて嫌われ者の自分を確立することが目的となります。
なので表面上は自分が嫌いであるという部分に関しては生きづらいとは思っていない可能性があります。
この章の冒頭で供述した原因を受けた結果、他人からの攻撃を許してしまったり、むしろ攻撃させるような振る舞いを自らしてしまうのです。
例えば相手がおとなしくて優しい人で本来なら攻撃するようなタイプではないのに、そんな相手をも苛立たせて加害者に変貌させてまで攻撃させてしまいます。
そうやって自分が嫌いになる状況を引き寄せることで、原因を自分で作ってしまっているということなのです。
これでは問題を次々と抱えてしまうので悩みは尽きず、生きづらいと感じるのも当然でしょう。
そしてこの行為は潜在意識にある「自分を嫌い続ける」という目的を達成して、それを現状維持をするためのものです。
ただしその目的は真性(生まれ持った本当の自分)による本心からの希望ではありません。
それでも
「酷い目に遭う」「情けない存在」「誰よりも可哀想な自分、なのに救いのない存在」
これらのネガティブ要素を満たしている状況であることでむしろ快感を得ているのです。

だから自ら自分が嫌いになる状況を求めてしまう。
人に嫌われるような事をなぜかやってしまう。
人が不快に思うことをあえてやって反感を買うようにしてしまう。
人に嫌われると「成功」であり「達成感」を得られるので満足する。
・・・けれど実はその後に深い悲しみや虚しさに襲われたりしているのではないでしょうか。
なぜならそれは真性の自分としては「嫌われたくはない」と願っているからです。
嫌われる哀しみ
こちらのパターンは前者に対して「嫌われ嫌い」と呼んでいます。
この状態は何をやってもなぜか人に嫌われて自信喪失して自分が嫌いになる、という流れです。
嫌われ好きと違って顕在意識で自分が嫌われることがつらいと捉える人なので、嫌われるほどに生きづらいと感じてしまいます。
なので嫌われたい人とは違い「好かれたい、嫌われたくない」という意識で友好的に接しているのですが、なぜか嫌われてしまうという結果を招き、自信喪失して自分が嫌いになるという状態になっているのです。
ではこのパターンの人は意識的にも問題なく、人に好かれようと接しているのになぜ嫌われるのでしょうか?
実はこれは人への正しい接し方や配慮の仕方を知らない可能性があるのです。
例えば気遣いのつもりでした行為が人の迷惑になってしまっていたり、良かれと思ってやっていたことがかえって人の邪魔になってしまっていたなどです。

では具体例をあげてみます。
ケース1
仕事が大変そうな人がいたから手伝おうとしたら「ひとりの方が効率いいから手伝わなくても大丈夫。」と言われた。
しかし「それでも助けてあげたい。」と思ったので、相手の言葉を押し切り無理やり手伝いに入った。
実際仕事は手伝うほど大変ではなかった。
しかも手伝われたことで作業の流れが悪くなり、結果的に作業は予定より遅れてしまった。
これにより「あの人は聞く耳を持たない厄介な人」だという悪いイメージを持たれて距離を置かれるようになった。
ケース2
「ケーキが好き」と聞いたので、相手に喜んでもらおう、気に入られようと毎日ケーキを買って来るようにした。
ところが相手としてはさすがに好きとはいえ毎日は食べたくない。
なので断ったのだけれど、いくら忠告してもやめないので相手の過剰で余計な行為によって、相手の存在自体に不快感を持つようになった。
―このように好感を持ってもらおうとした行為が裏目に出て嫌われるということになってしまっているのです。
しかしそれをしている当の本人は、自分のしている行為が迷惑だと思われていることにすら気付いてはいないのです。
「やめて欲しい」という言葉も「遠慮」として捉えていたり、「自分は良いことをしている」と強く思い込んでいるから相手の迷惑になっているという認識が出来ず、そもそもその発想すらないのです。
このような経験を積み重ねていくと「自分の優しさが通用しない」と訳がわからなくなり、人にも嫌われる一方なので自分が嫌いで生きづらいという悩みの沼にはまってしまうのです。
どうすれば自分が嫌いじゃなくなるのか
まず自尊心がない、自覚出来ないことが原因だという場合は、自分の心や在り方と向き合って自尊心を得ていくことが必要となります。
しかし自分が嫌いという状態から自分という存在を蔑ろにしてしまう癖により、自尊心を持つこと自体に心や意識が反発して持ちづらくなっているかもしれません。
このままでは生きづらいという問題も解決が難しくなります。
なのでその反発する状態を改善していくことになります。
例えるなら荒れ地をならして花を植える土壌を作るような感じです。

そしてもし歪んだ自尊心が原因で自分が嫌いという感覚を持ってしまっているのなら、そこを改善して新たな自尊心を持ち直す必要があります。
そしてそこから自己肯定感を得るという事が解決する一番の方法となります。
これにより生きづらいという悩みにもアプローチしていけるようになります。
ただ自尊心や自己肯定感の説明をしてきたとはいえ、やはりしっくりこない、理解が難しいと感じる人もいることでしょう。
簡単に言えばこれは「自分を好きになる」ということです。
ただこれだとよくある自己啓発で見聞きするので一見、軽々しい言葉に聞こえるでしょう。
特に自分が嫌いでいる人にとってはうんざりしてしまうかも知れません。
「自分を好きになるとかそんなことが出来たら苦労しない。」
「それが出来ないから生きづらいし悩んでいるのに・・・」
このような葛藤と理不尽さに悩まされた人も多いのではないでしょうか。
しかし実は根底は本当にそこにあるのです。
自己肯定感、自尊心を持つということは簡単に表現すれば「自分を好きになる」ということなのです。
しかしいきなり自分を好きになろうとしても生きづらいという状態であるのでそれは難しく、そもそも現段階で自分が嫌いであるのですからその言葉を聞いて「納得出来ない」「反発してしまう」「受け入れられない」というのは当然です。
なので心の状態をまずは「自分を受け入れる」という状態に書き換えていくことが必要となります。
これが上記で例えた土壌ということです。
その土壌がなければせっかくの効果のある改善方法もアドバイスも正しく実らず、開花しないので効果を発揮出来ません。
それにはあなたが自分を嫌いになった原因である人との関わりや経験などから受けたトラウマや傷などを癒やして、生きづらさの原因ともなっている間違った解釈、歪んだ捉え方などから改善していくことが必要となります。

そして自尊心を持つことによって、また他の失敗や過ちの後悔や挫折感をも打ち消すことが出来るようになります。
すると他のトラウマ要因なども改善出来て自分が嫌いという要素はなくなり、生きづらいと思う事も自然となくなります。
ただし自尊心が強すぎる場合(自己愛性パーソナリティ障害や双極性障害など)は自分の失敗や過ちの認めなけらばならない部分まで認められず、他人や周囲のせいとして責任や罪をなすりつけてしまうという理不尽な状況を招くことに繋がってしまいます。
こうなっては自分が嫌いという感覚はないものの、生きづらいという状態からは抜け出せません。
なので自尊心があるから謝らなくていい、自己肯定感があるから何をしても構わないという極端で歪んだ解釈にはならないようにしてください。
周囲に明らかな迷惑をかけた、損失に繋がったという場合はしっかりと謝罪や反省は出来るようにしましょう。
これこそが品位であり、正しくプライドを持っているなら出来ることですから。

では自尊心と自己肯定感がある状態では具体的にどういう人生を送れるようになるのでしょうか。
やりたいことがすんなり着手出来るようになる。不安や恐怖もなく取り組めて周囲からの応援もしてもらえるので意欲が沸き、より一層前向きになれる。
もし反対する人や妨害する人、バカにするような人がいてもまったく気にならない。「自分はこれでいい」と自然と思えるから。
例え周囲から「これだからお前はダメなんだよ」「こんな事も出来ないのか」などと失敗とは直接関係のない、人柄を否定する言葉や言う必要のない個人の感情的な嫌味を言われても気にならない。
なぜなら自分は真面目に取り組んでいたのだし、失敗したことに関してはしっかり反省や改善の努力もしているから対処法に問題はなく、そもそも相手の人間性を否定する発言をする方が間違っていると認識出来るようになるからショックを受けない。
自分に不利な状況でも挫けない。
不利な状況を不利とは捉えなくなるので、むしろそこをバネにしてもっと良い結果が出せるようになる。
それによって自分の新しい能力や意外な一面、特技などが見つかる。
無理をして好かれようという前提の「優しさの押し付け」をしないようになる。
なので自然と人に優しく出来るようになるから人からも好かれるようになる。
するとこちらが困っている時や協力して欲しい時にもいろいろと助けてもらえるので仕事も私生活も家庭も楽しくなる。
―自分が嫌いという状態はもっとも悲しいものです。
だからこそ生きづらいと感じて苦しんでしまうのです。
もし今現在、みんなから嫌われていてもまずは自分ひとりだけでもいいから自分を好きになってあげてください。
そこからスタートしてやがて人から好かれるようになるという方法が最善なのです。

まとめ
いかがでしたでしょうか。
自分を嫌えば相手からも嫌われるのであなたを好きで認めてくれる人はこの世から誰もいなくなってしまいます・・・。
それだけは避けてもらいたいと思い、この記事を書きました。
かつての私はまさにその状態にあったことで、信じられないほどの不遇や理不尽な目に遭って苦しんでいました。
けれど今はそんな自分が嫌いという感覚はまったくなく、何があっても揺るがないので生きづらいと嘆くことはなくなりました。
全世界の全人類から好かれることは不可能ですが、この世界には必ずあなたを好きになってくれる人はいます。
絶望してやけにならずに少しずつ、出来るところから改善して心を癒やして生き方を変えていきましょう。
やがていつしか、あなたのまわりにはあなたの事を大好きな人たちが沢山いてその人と一緒に幸せに楽しく生きていけるようになります。
あなたは決して嫌われるために生まれてきた訳ではないのですから。

「どうすれば自分が嫌いじゃなくなるのか」の章であげた、自尊心と自己肯定感のある状態の具体例にいつかぜひ生きづらさを克服したあなたの体験談を載せられたらと思っています。
もし今、改善をしたいけれど悩み事が多くて何をどこから手を付けたらいいかわからない、どんな事を試しても効果がなかったなど何かしらでつまずいてしまっている方がいましたら、アドバイスなどでお手伝いが出来るかと思いますのでメッセージなどいただけたらと思います。
もちろん成功してこんな嬉しい体験をしたというお話しは大歓迎です。
なにかの形で悩めるあなたのお役に立てればと思います。
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それでは今日はここまでといたします。
読んでいただきありがとうございました。
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