
私は幼少期から母に虐待をされて育ち、大人になってから相当な苦労をしたのですが、それは全部親のせいだと心底恨んでいました。
きっとこれを読んでくださっているあなたも同じ思いを抱えているのではないでしょうか。
親がまともだったら、親が優しかったら、友達みたいな仲の良い親子だったら・・・きっと私は幸せな人生を送れていたはずなのに。
そんな願望は尽きることなく常に脳裏を駆け巡っていました。
時には理想の母を頭の中に作り上げて、現実の母は偽物だと思い込もうとした時もありました。
私がこんな風にネガティブ思考に陥ってしまうのも全部母親のせい。
小中高と学生時代ずっといじめられたのも、社会人になっても職場でいじめやセクハラをされたのも全部母親のせい。
現在友達が全然出来ないのも、付き合う人がみんな最低男ばかりなのも全部全部母親のせい!
母がいわゆる毒親であるせいで、こうして私の人生の歯車が全部狂ってしまったのです。
・・・というのが私がおよそ40年間抱え続けた母への恨みでした。
しかしこれは実は思い込みだったのです。
そう、確かに親のせいではあるのですが、全部が全部ではないのだと私は気付いたのです。
そしてこの気付きによって私の心の問題は劇的に改善が進み、ついには生きづらさをなくすことが出来たのです。
それではこの「全部親のせい」という捉え方の何が正しくて何が間違いなのかを、同じ悩みや苦しみを抱えているあなたの手助けになることを祈ってお教えしていきたいと思います。
全部親のせいと本当に言えるのか?

幼少期においての親との関わり方というのは確かに重要で、その後の成長段階での影響や大人になってから弊害を発生させることから考えると、全部が親のせいだと言えなくもありません。
しかしそこで植え付けられたトラウマを克服したり、歪んだ認知を改善したり受けた傷を癒やすという手段を取ることは自分で選択して出来るものです。
この時、親を恨んで妬んでいるだけでは解決には至りません。
そしてあなたはこんな思考を持っていないでしょうか?
「自分は親のせいでこうなったから、どうせまともな人間にはなれないし幸せな人生は歩めない」
このように自分の可能性を全部否定してしまうのは、自分自身で諦めの判断を選び取ってしまっている場合もあるのです。
もちろん可能性のひとつとして、親から否定され続けたことによる自己否定癖や、自分は無力だという洗脳を受けている可能性もあります。
しかしこれが前者の自発的な場合、そこは自分で変えることが出来るのですが、実は「変わること」それ自体を恐れてしまっているために踏み出せず、いつまで経っても変われないというパターンもあるのです。
すると苦しい現状から抜け出したい、自分を変えたいのに変われないという矛盾する意識のなかでフラストレーションが溜まり、その矛先が諸悪の根源である親に向いてしまうことで「全部親のせい」という捉え方になってしまうのです。
そして親を恨み、自分を嘆くという無限ループをしてしまうのです。

だから「親のせいではあるが、全部親のせいという言い訳をして、改善や挑戦や変化をしないという生き方を選んでいるのは、変化を恐れている自分のせい」とも言えるのです。
これは酷な言い方かもしれませんが、私自身がまさにこの一連の体験をしてきたからこそ言えることなのです。
私はいつまでも「虐待されて傷付いたかわいそうな私」にしがみついて、そのレッテルを貼ることで自分に制限をかけていました。
それにより本来なら出来ることも出来ない状態になってしまっていたのです。
例えば私は長くこんな思想を持ち続けていました。
「虐待されたから人と接するのが苦手で、だから人と関わりたくないと思うのは当然のこと。だからとにかく人との関わりを無条件で避けよう。
それでこそ虐待サバイバーの私らしい生き方だから。」
この思想にしがみついていたことでいつまでも人間不信が直らず、それに起因して職場でも恋愛でも厄介な問題を抱え続け、友達がひとりも出来ない状態を維持していたのです。
それにより生きづらさは当然改善出来ずにいたことで、ずっと「やっぱり全部親のせいだから」という自己納得に落ち着いてしまっていたのです。
親の虐待が及ぼすものとは
それでもやはり原因を作ったのは間違いなく不適切な親のせいに違いはありません。
それではここから親のどんな振る舞い方によって、どんな悪影響を及ぼすこととなったのかを見ていきましょう。
まず肉体的、精神的な虐待を受けた子供というのは基本的に自分の身を守ることだけで脳内全部がいっぱいになってしまいます。
そして防御方法として「親に従う」「親の顔色を伺う」「親の機嫌を取る」などを身に付けるようになります。

そのため自主性というものはなかなか身に付きにくく、ただ相手に合わせることが安心安全であるということから他人優先という認識が当然となってしまいます。
だからこそどうしても気が弱く、自己主張も出来ないことでいじめの対象となりがちです。
更には簡単に人に従ってしまうことで職場でも無理やり仕事を押し付けられたり、恋愛面においては相手の言いなりになって金銭を貢ぐ関係になったり、浮気をされて簡単に捨てられたりと相手都合で振り回されてしまいます。
これらの経験が多いことで「なぜ自分だけこんなにも不憫な思いをするのだろう・・・」という悩みを抱え、自分のすること全部に悲観的になってしまいます。
このように幼少期に虐待などの親の不適切さのせいによって精神的苦痛を心に抱えたまま、癒やされずに大人になってしまった人のことを「アダルトチルドレン」と呼んでいます。
そしてアダルトチルドレンであることによって、大人になっても社会性が不十分であったり人間関係において良い関係が築けない、トラブルを抱えがちという親からの愛情不足がもたらす弊害や悪影響を「愛着障害」と呼んでいます。
ではそれぞれについて詳しく解説していきたいと思います。
アダルトチルドレンとは
元々アメリカで提唱されたもので当初はアルコール依存症の親に育てられた子供のことを指していました。
その子供が成人した際に自身も親のようなアルコール依存症になったり、パートナーにアルコール依存症を抱える人を選んだり、アルコールに限らずギャンブルなどの他の依存症に陥りやすい傾向があるという説を掲げていたのです。

そしてそれが1989年に日本に取り入れられ、1995年から注目されて精神科医の斎藤学氏によって更に該当する範囲が広まり、虐待や親子間の不適切な関係によりトラウマを抱えた人などいわゆる「機能不全家族」によって悪影響や弊害を抱える人という、現在認識されているような捉え方となったのです。
ちなみにアダルトチルドレンはその定義が個人の解釈によってあまりにも幅広いために精神医学からは排除されているので病名ではなく、世間一般的な用語として使われているものに過ぎません。
愛着障害とは
幼少期に親から受けるべき愛情が不十分であったために社会性や人間関係において影響を及ぼしてしまうことです。
本来子供にとって親とは一番最初に心のより所となるため「全部を受け止めてくれて心身共に安全な場所」という認識になるはずなのですが、虐待やネグレクト(育児放棄)など親のせいによってそれが叶わなかった場合は、常に不安状態に晒されていることになります。
それどころか本来頼れるはずの親から攻撃や支配をされていることで心身共に完全に孤立してしまい、人間不信や自分の身を守るために過度に保守的であったり、もしくは攻撃的になってしまうという不安定な精神状態になってしまうのです。
そして甘えることや泣くことは本来子供として当然の表現方法ですが、それを全部親の都合やエゴによって禁止されたり怒られたりすることで「子供らしさ」がなくなってしまい、感情を押し殺してしまうことで感情表現が苦手になってしまったり、本来は素直に表現してもいいものを親のせいで禁じられているとフラストレーションがたまり、ストレスとなって生きづらくなってしまいます。

具体的には以下のような特徴が見られることがあります。
承認欲求(他者承認による)が強い。
親からの愛情不足によって満たされなかった愛情を、大人になってからも周囲の人など他人から何とか得ようと必死になってしまうことによるものです。
しかしこの場合は他者承認をいくら得ても十分に満たされているという感覚にはならず、いつもどこか空虚さを感じています。
それは自分がアダルトチルドレンであることで「自分がいつまでも傷付いたままの子供として在り続けている」せいです。
なのでこのアダルトチルドレン状態を癒やさない限りは承認欲求も止まらず、生きづらさの根本的な改善には至りません。
ちなみに幼少期に親から正しく愛情を与えてもらったり、適度に甘えさせてもらえた子供は心が安定しているので過度に愛情を得ることに躍起にはなりません。
そこまで頑張らなくても愛情は普通にもらえると幼少期の体験からわかっているからです。
自尊心や自己肯定感がない。
親から愛されなかったことで自分の価値や自分を大事にすること、自分は愛される存在だということが実感出来ないので常に自信がない状態にあります。
そして親によって自分の行動や存在そのものなどを酷く否定されたことがあると、自分を罰したり自分を責めるなどの悪癖がついてしまいます。
言いなりや支配下になりやすい。
親という絶対安全なより所がないために他の誰かに「代役」を求めてしまうのですが、その際にどうしても支配的な人や攻撃的な人に屈しやすく依存しやすい傾向にあります。
それは無意識のうちに「支配や攻撃をする親のような存在」に引き寄せられてしまうからです。
例え意識の表面上では親のせいだと憎んでいて、そんな人に屈したくないと思っていても、意識の深い部分に根付いた要因により思考がそちらに向いてしまうので、自然と当然のように親との関係性を再構築して再現してしまうのです。
要するに不適切な幼少期からいつまでも脱する事が出来ずに大人になってもそれを繰り返しているということになります。
言いなりにさせたい、支配したいという欲望。
親の言いなりにならざるを得なかった、絶対的な権力により従わされて抵抗も出来ずに全部支配されていたことへのフラストレーション解消によるものです。
親のように振る舞えば人を思い通りに出来る、自分都合を通せる、なんでも言うことを聞かせられるという捉え方により、人との関わり方というものが親のせいで歪まされ、暴力や暴言など相手に恐怖与えることで「幼少期に自分が出来なかった悔しさ」や「親からされた屈辱」を大人になった自分が他人にすることで満たそうとしている状態です。
もちろんこれも攻撃的なアダルトチルドレン状態であるのでそこを改善しない限りは、いくら満たそうとしても十分満たされない支配欲や理不尽な関係性に苦しめられることになります。
人と関わることへの必要以上の怯え。
幼少期の体験、記憶により形成された思考、認知というのは大人になってからも相当な影響力を及ぼす物です。
親から日常的に虐待を受けていたことにより人という存在が「驚異や恐怖の対象」として捉えられてしまうと相手がどんな人であれ(店員や街ですれ違うだけの他人など)無条件で「怖い、避けたい」という思考回路になってしまいます。

このように親のせいで子供時代にすべきことが出来なかったことにより、アダルトチルドレンになってしまう可能性があるのです。
ただしそういった経験をした子供が必ずしもそうなるとは限りません。
成長過程で癒やされ克服していく場合もあります。
けれどそれが出来なかった場合は弱い自分でいることで強い人に支配されてしまうという関係性を自然と築いてしまうことがあります。
人に従うことを当然として受け入れてしまっているのです。
それはつまり犠牲、もしくは奴隷体質になってしまっているということです。
そしてこうなってしまうと「この自分はもうどうすることも出来ない」という諦めや妥協を抱えてしまいがちなのです。
ではどういう対策をすればこの状態を改善することが出来るのでしょうか?
自分で確保出来る「安全な場所」
実は愛着障害は親を通じていなくても改善、癒やすことは可能です。
幼少期に本来必要だった「絶対的に安全な場所」に親がなってくれなかったせいで、人間性や社会性が一生不十分なままということはありません。
ちゃんと救済措置はありますので安心してください。
その「安全な場所」は大人になった自分や他の誰かでもなることは可能なのです。
要するに幼少期は生きるのに未熟であるゆえに知恵や力のある守ってくれる大人の存在が必要であり、それが一番身近で血縁関係の親がふさわしいというだけなのです。
けれど自分自身が知恵も力も身に付けてひとりで生きていける大人となったのであれば、心のより所は「自分」でも十分その役目を果たせます。
なので親がいない、もしくは親が不適切な場合は必ずしも全部親に担ってもらわなくても良いのです。
そのためには「自尊心」と「自己肯定感」を身に付けることがまずは必要となります。
これは「頼れる自分を基盤とする」ためなのです。
そしてもうひとつ、インナーチャイルドを癒やすというのもひとつの対策になります。
インナーチャイルドとは

よくアダルトチルドレンと混同されがちなものですが、まったく違うものです。
これは「内なる子供」という意味を表していて、傷付く前の純粋な子供である自分の内面や心を表しているものです。
アダルトチルドレンにより形成されたものが「偽りの自分」に対して、「真性の自分」を育てるという改善方法を「傷付いたインナーチャイルドを癒やす」という風に表現します。
ちなみにアダルトチルドレンは経験などから至ってしまう後天的なもので、インナーチャイルドは誰しもが最初から持って産まれるもので先天的なものです。
しつけに厳しい親に隠された真実
虐待ではないが「自分の親はしつけなどが厳しかった」という認識を持っている人もいるのではないでしょうか。
そこで質問です。
あなたはそんな親に感謝をしていますか?
それとも恨んでいますか?
前者であるならおそらく問題はないでしょう。
しかし問題は後者です。
あなたは親のしつけが厳しすぎることで理不尽な思いをしたり、怖い思いをしたのではないでしょうか。
それはまさに今回のテーマである親のせいで・・・という思いに該当するかと思います。
しかししつけとは必要なもののはず。
なのになぜあなたは厳しくともしつけをした親を恨むようになったのでしょうか。
そもそもしつけとは恐怖を与えるものではありません。
これは怒りや八つ当たりなど親の感情を一方的にぶつけられたり、子供を支配して思い通りにさせたいという毒親によるエゴなのです。
本来しつけとは厳しくとも身になるもの、社会で活かせるものとして教えることが前提です。
それを不適切な親は自分の立場上、逆らえない子供を利用したり、本当の狙いをごまかして自分の欲をぶつけているということがあるのです。
そして恐怖を与えられた子供は「従わないといけない」という意識だけが定着してしまってトラウマとなり、自分の意とは反しながら親の操り人形のような生き方をしてしまっていることがあります。

それは例えば、「こうしなければいけない」という固定観念が強すぎる人などです。
基本的には頑張り屋、努力家、生真面目な人なのですが、
「死ぬ気になって無理をしてでもやり遂げることが美徳である。」
「努力のない願望達成など有り得ないし、むしろ許されない。」
このようなお堅い頭の持ち主なので、それによって人から避けられたり、自分でもどこか息苦しさを感じているのにやめられないという状態なのです。
これは親によって押し付けられたもので、歪んだしつけを正しいと思い込まされているので親のコピーをして実行しているに過ぎません。
本来はきっと本人なりの価値観や意志があるはずなのです。
けれど根が真面目であればあるほど親の教えが正しいという認識をしてしまう点と、無理やり従わされた時の恐怖の記憶により「従わざるを得ない」状態になっていることで、それこそ親のように無理やり押し付けるという態度を取ってしまっているのです。
そして他にこのようなパターンもあるかと思います。
「やりたいことがあっても不安や恐怖に駆られて出来ない」という人です。
これも親によって、しつけとは名ばかりの感情の押し付けにより子供の可能性や意欲を削ぎ落としたり否定するというものです。
「あなたには無理に決まっているでしょう!あなたの将来のためを思って言っているの!」
「そんな意味のないことをしてたら大人になって稼げる訳がないでしょ?ちゃんと現実を見て、みんなと同じ安定した道を行きなさい!」
このような叱責を受けていると、周囲と同じでないと不安になってしまったり、興味があることを見つけても自分には何の可能性もないから余計なことはするべきではない、自分には力も能力もないから何も出来ないという否定と恐れのネガティブ思考になってしまうのです。
このように親の言うことが正しいとは思えないのに、なぜか従わないといけない気がするという葛藤に悩まされている人が多くいるかと思います。
・・・これが果たして「しつけ」と呼べるでしょうか?

つまり恐怖や支配によるしつけは真のしつけではなく、ただ「怖い」という恐怖感情ごと記憶に焼き付くのみとなるのです。
しかも親から本来教わるべき正しい教えが身につかないせいで、適切な社会性や人間関係を築けないという弊害ももたらしてしまうのです。
それはしつけではないという真実
あなたは親が厳しいだけという捉え方をしていたのでしょうが、実は「虐待されていた」可能性があるのです。
実は私も学生時代には自分が虐待されている実感などありませんでした。
ただ友達の母親に比べて私の母はしつけに厳しいのだという感覚でいた程度です。
当時の私は虐待といえば殴る蹴るなどの暴力を振るう親のイメージしかなく、精神的に追い詰められ支配され言葉で責め立てられていた私は身体的な虐待がなかったので、自分は当てはまらないとずっとそう思っていました。
このように自分が虐待をされていても気付いていない、虐待されていたという自覚がないことで心の問題を解決するための手掛かりを得られないというパターンがあるのです。
そしてそもそもあなたが受けていたものは正しいしつけではないので、従う必要はまったくないのです。
それから自分が虐待されていたのではないかという事実を追及して、もしそうであるならそれをしっかり現実として受け止めることがまず最初にすべきことになります。
「気付きたくなかった」「怖いから認めたくない」「現実として受け入れたくない」「自分の親がそんなことする訳ない」と逃げて真実から目を背けていたら苦しみは一生続いてしまうことになります。
実は私もこの認められない段階からなかなか抜け出せなかったのです。
なので自分が虐待をされていたと認めた時には相当な衝撃を受けました。
しかしこの時同時に私の悩みや苦しみは全部親のせいなのではという原因がわかったことで、心のどこかでやっとこの生きづらさを解決出来るという安堵も生まれたのです。
あなたはこのまま葛藤を抱えて重苦しい心のまま生きるのがいいのか、それとも真実を認めることで最初はショックで怖いかもしれないけれど、その後に生きづらさから解放されて幸せな人生を歩めるのとどちらがいいですか?

反面教師のはずが・・・
虐待や理不尽な目に遭わされたことにより自分の人生が狂ってしまった、とてつもなく嫌な思いをした人はこんな思いを抱くようになるかと思います。
それは「自分は親のようにならない!」「二度と子供時代のような不憫な思いはしないようになってやる!」という強い意志です。
・・・しかしそのはずだったのに、気付けばなぜか親と同じ一途を辿ってしまっていた、まるで親の言動をトレースしているかのようになってしまっているなどと気付いて絶望していないでしょうか。
「思わず子供を虐待してしまったことによって深い後悔や自責の念に駆られてしまった。」
「親のような支配的なパートナーを選んでしまってDVや家庭内モラハラをの被害に遭っている。もしくは自分が親のような加害者になってしまった。」
「結婚してようやく自分の親との因縁が切れると思いきや、義理の親から嫌がらせを受けるなどの被害を受けてしまい、幼少期の頃のような我慢と心苦しい状態になってしまっている。」
このようにあれだけしっかりと胸に刻んだはずの決意が呆気なく崩され、支配をする、支配されるという関係性に陥ってしまって抜け出せないのはなぜなのでしょうか。
実は意識の深い部分にトラウマや何らかの問題を根付かせてしまっている場合は、ただ前向きな決意をしただけでは願望は叶わないのです。
これはなぜかと言うと、いくら表面上で適切な思考や決意を持っても、それが自分を司るメイン領域である深層意識部に届いて根付かせないと意味がないのです。
なので諸悪の根源となっている要素が自分のメイン意識にある限りは、不適切な思考や振る舞いをいつまでも継続してしまうので、現実的な変化は起こらず生きづらさの解決には至らないのです。

わかりやすく具体例を出してみましょう。
親から悪口を言われてばかりで嫌な思いをしたという人がいたとします。
そこで「親みたいに人の悪口を言うことは良くない。だからやめよう。」
こんな決意を持ったとしましょう。
しかしある時、SNSで男性に媚びてばかりの女性のモテ自慢だらけの書き込みを見つけて不快に感じて思わず
「バカみたい。画像なんて全部加工でしょ。気持ち悪い。」
という書き込みをしていたりするのです。
こうして無意識のうちに禁止したことをやってしまっているということがあるのです。
もしくは悪口や陰口は嫌いだと言っている人が、日常的に職場の人や友達と愚痴を言い合うことですっきりしているということもあるでしょう。
この時、愚痴は悪口や陰口だと解釈出来ていない状態なのです。
このように「気に入らない状況」があると「悪口を言う」というように、親から受けた影響がメイン意識に根付いている場合、それが自動的に発動してしまうので表面上の決意は打ち消されてしまうのです。
そして自分は虐待をされたけど、まともな大人になったし今はもう大丈夫という自信を持っている人でこんなパターンもあります。
「1,2回くらいなら叩いてもイイでしょ。自分は数え切れないくらい叩かれたから。」
「死ねとか普通に言われていたから暴言だとは思わないし、言っても大丈夫。」
このようなことを考えた経験がある人はいないでしょうか。
実はこの意識や認知状態であることがまだ癒やされていない証拠なのです。
一般的な解釈では叩くという行為は当然いけないことであり、死ねという言葉は暴言にあたります。
このように不完全な克服だと自分では「全部大丈夫」「もう問題ない」「これが普通」と解釈していたり、そういう捉え方をしている時点ではまだ親のせいで植え付けられた不適切な意識状態であるので、いくらポジティブになろうが正義感にあふれた願望を抱こうが現状は変わらないままとなるのです。
つまり自分の中にある本当に不適切な部分を自覚出来ていないという状態が、せっかくの改善を妨げて何をやっても成果が出ない、みんなは幸せになれているのになぜか自分だけ効果がないという原因になってしまうのです。

ではこれらの人が成果を出すにはどうすればよいのでしょうか。
先ほども書きましたが「不適切な部分に気付いていない」ということがまず根本的な原因となるのでそこにアプローチしていく必要があります。
詳しく解説すると、愛着障害やアダルトチルドレンになってしまったことによって深層意識に根付いてしまっているもの、つまり親のせいで身についてしまった不適切な思考を全部当然だと思っていることによって、歪んだ人間関係を築いてしまうことや歪んだ社会性で生きていることを書き換えるということになります。
「なんだか難しいけど本当に出来るの?」と不安に思われるかもしれません。
しかしあなたはすでに「親のようにはなりたくない」「変わりたい」という自己認識は出来ているので、スタートラインには立っていますから、改善はすでに始まっているのであとは正しいきっかけを掴むだけです。
まずは「間違った当然」を無くすことです。
そうすれば見える世界が自然と変わってきます。
しかしそこで簡単には気付けない「間違った当然」をどう自覚して見分ければいいのかと疑問に思われるでしょう。
それは今のあなたが「これくらいなら問題ない」と思っていること、それをもし幼い頃の自分がそうされたならどう思うのか、という風に立場を置き換えて考えてみるといいでしょう。
もし「嫌だ」「やめて欲しい」という拒否や恐怖を感じたのであればそれは間違いなく不適切なものになります。
そしてこの時、同時に「でも我慢しなきゃ」「でもこれくらいなら平気」という気持ちや思考はありませんでしたか?
実はそれこそが間違った当然を作り上げた原因なのです。
その思考が積み重なることであなたは自己洗脳をしてしまい、今現在の「問題ない」という解釈のあなたに至ってしまったということなのです。
なので何か行動する、判断する時に「これくらいなら平気だろう・・・」という状況になったら、いったん立ち止まり「幼い頃の自分がそれをされたらどう思うか」などを考えるようにしてみてください。

ただしここで注意していただきたいことがあります。
これがもし「虐待の連鎖」である場合についてです。
虐待の連鎖とは自分の子供を幼い頃に虐待されていた自分に重ねて見てしまい「何も出来ない非力な自分」というその存在が許せない、耐えられない、見たくないという言い知れない悔しさや怒りや恥などの感情によって攻撃してしまうというものです。
このようにかつて自分が親からされていたことを我が子にするという「投影」という形で復讐を果たし、負の感情を払拭させて達成感を得ようとしているのです。
特に同性の親子間に多くみられ、母なら娘に、父なら息子にというパターンが多いようです。
実は私が母から虐待を受けていたのも母自身が虐待に遭っていたことが原因でした。
母は幼少期に実母が不倫して家族を捨てて駆け落ちし、すぐ後に父は病死して父方のおばさんの家で兄と共に育てられることになったのですが、そのおばさんから日常的に虐待を受けていたそうなのです。
つまり母は娘である私を投影により「無力で惨めなやられっぱなしの幼い自分」として攻撃して、復讐や達成感を得ようとしていたのです。
この虐待の連鎖こそ全部親のせいと言っても過言ではありません。
歴代の親が自分を癒やさずに子を育てるとこのような歪んだ関係性を築いてしまう可能性があるのです。
そして虐待に限らずこのような代々受け継がれる連鎖は「世代間連鎖」と呼ばれています。
親に変わってもらいたいという願望
上記のような原因であるならば親が自ら率先して変わるべきだと思うことでしょう。
もしくは親との関係性をよくするために親に変わって欲しいという願いを持っている人もいるかもしれません。
自分が毒親だと気付いて欲しい、もしくはそう気付かせたい、と。
そして親であるにも関わらず、自分の振るまいのせいで子供の人生をめちゃくちゃにしたことを誠心誠意謝って欲しい、反省して改心して欲しいなどそんな願望や期待を持っている人もいるかもしれません。
実は私自身がまさにそうでした。
しかし結論から申しますとこれは難しいことであり、むしろ無理だと悟りました。
何より「他人を変える」という発想自体が甘い考えなのだと知ったのです。

まず当初の私は正しい親子関係になれれば自分の苦しみや寂しさ、トラウマが改善されて自分も癒やされて幸せな人生になれるのだとそう信じていました。
なので親が変わらない限りは自分も変われないと思い込んでいたのです。
そこで私は母に自分の愚かさに気付いて改心してもらいたいという思いから、心を癒やすための本を貸したことがありました。
しかし読み終えた母の感想は「こんな考えの人もいるんだね。」位の軽いものでした。
その反応は薄く、そして当然何の効果も変化もなかったのです。
もしかしたら興味がないからとまともに読んでいなかったのかもしれません。
しかし今ならこの理由がよくわかります。
それは本人が自分の生き方をつらい、苦しいと実感していない状態であったり、完全に不適切な自分を受け入れてしまっているとまったくもって聞く耳を持たないのです。
私たちのように「正しく生きたい」「迷惑をかけたくない」「周囲と良い関係を築きたい」と思わない限りは、自己改善という考えにすら至らず、誰かに促されたとしても受け入れずにむしろ反発するだけになってしまうのです。
そして何より不適切な人というのは自分の弱さと向き合う勇気がなかったり、真実を知って傷付きたくないからと目を背けたり欺瞞したり強がったりして否定することがあります。
この場合は不適切な親を変えようとか反省させようなどとこちらから仕向けても何も変わらない可能性が高いのです。
つまり私の母も自分の不適切さを認めたり、そもそも原因となっている弱さと向き合う覚悟や強さがなかったので「自分の本心や弱い自分と向き合うための癒やしの本」に対して恐れ避けていたのです。
これ以降、母を変えることは無理だと悟った私は何の働きかけもしなくなりました。
ただし時間をかけて親身に向き合えば変えることは可能ではあるのかもしれません。
それであってもまずは自分自身を改善して癒やす方が先となります。
そうしなければ親を変えることなど絶対に出来ないからです。
そして自分を改善出来た段階で「もう親はどうでもいいや」と自然とそう思えるならそれでももちろん構いません。
それこそ親との確執がなくなったという証なのです。

きっとこの頃には親のせいという言葉も頭をよぎることもなくなっていることでしょう。
そして改善出来たあかつきには、他にもっとやりたいことや夢を叶えたいなどポジティブなイメージが出てくるようになります。
今まで出来なかったこと、やりたくても親のせいで禁じられてやれなかったことなどを全部思いっきりさせてあげてください。
そして不憫だった子供時代のあなたを、克服したあなたが救ってあげてください。
これこそがアダルトチルドレンを脱して愛着障害を克服する経緯であり、「インナーチャイルドを癒やす」という形になるのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
虐待によるトラウマなど心の問題を克服した現在の私ですが、母を好きにはなっていませんし、私にした酷い接し方の数々も許してもいません。
もちろん嫌いなままです。
しかし以前のように必要以上に恨んだり「母のせいで・・・」という思考癖はすっかりなくなりました。
おかげで思考も行動も制約が外れたので自由になり、気持ちもかなり軽く明るくなりました。
何より感情表現が多彩になったことで、私は本来こんなにも無邪気なのかと自分自身で驚きながらも嬉しさを噛み締めている毎日です。
やはり人を憎むという思考状態は自身の心にも何らかの悪影響を及ぼすのです。
それがどんな残虐な犯罪者でも自分に酷い虐待をした親であっても。
それだけ思考というものは生き方や日常生活において重要な鍵を握っているのです。
だからどうかあなたには未来の自分を楽にしてあげる方法を選んで欲しいと思っております。

もし「この行動は親のせいによるものなのだろうか・・・?」
「なかなか原因が見つけられない、自覚出来ない。」などの疑問やこれらの壁に当たってしまっている場合はメッセージなどをいただければ、あなたに合ったアドバイスをさせていただきます。
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どうかもう、幼少期のようにひとりで怯えて全部抱え込まずに助けを求めてください。
同じ思いをした者同士としてあなたの心に寄り添っていきたいと思っています。
それでは今日はここまでといたします。
読んでいただきありがとうございました。
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