
「こんなに真面目に頑張っているのに、なぜ自分はこんなにもしんどい思いをしなければならないのだろう・・・」
あなたは職場や学校など集団の場において、こんな葛藤や悩みを抱えて生きづらい思いをしていませんか?
「なぜか自分だけがいつもしんどい目に遭っている・・・。」
「なぜ真面目にしている自分がいじめられるのだろう・・・。」
実はかつて私も同じようにこのような生きづらさを長年抱え続けていました。
場所が変わっても状況が変わっても周囲の関わる人達が変わっても、自分に非がないはずなのにいつも誰かしらに目をつけられて嫌がらせをされてしまったり、自分だけがターゲットにされてまるで生け贄のように被害者となってしまう。
真面目だから逆に良くないのか、舐められているのだろうかと考えたこともありましたが、どんなに頑張ってもこのしんどい状態からまったく抜け出せなくてもはや絶望的だったのです。
しかしこれには深い因果があったのでした。
そこでこの記事では真面目に生きているにも関わらず、職場や学校などの集団の中にいることで起きる人間関係の悩みや問題、理不尽さによってしんどい思いをしてしまう人達の、その意外な原因と効果的な対策について書いていきたいと思います。

どこでもいじめやハラスメントを受けてしまう人
このタイプはいつもどんな場所でも人の指示に従って真面目に振る舞い、やるべきことは全力で一生懸命頑張ってやっている、むしろ優等生だという人が当てはまるのではないでしょうか。
性格はおとなしい方で友人はそこまで多くなく、集団の中でもさほど目立たず、口答えも意見もせずにやるべき事や与えられた事を淡々とこなしているという日々を過ごしているのかと思います。
それにも関わらず、何のきっかけかわからないけれど、いつの間にかいじめの対象にされていたりパワハラやセクハラの被害に遭うことになって、しんどい状態に苦しむようになっていたことでしょう。
そこで逃げるように転職をしてもクラス替えや学校が変わっても、周囲の関わる人たちは異なっているはずなのになぜかまた新たな加害者が現れて自分がターゲットにされるという始末・・・。
逃げても逃げてもどこも誰も自分を受け入れてくれないうえに、繰り返されるしんどい状況にもう疲れ果てて
「真面目にしていても自分は許されない存在なんだ」
「自分は生きているだけで邪魔なんだ」
そんな絶望を抱いてしまった人もいるのではないでしょうか。

ではこの原因とは一体何なのでしょう?
そしてどんな対策をすれば良いのでしょうか?
真面目すぎる弊害
実は上記のように場所や環境、人が変わってもいじめやハラスメントなど何らかの同じような被害を受け続けてしまうのは
「嫌だ」
「やめて欲しい」
などの拒否をしっかりと正しく意思表示出来ていないことが原因なのです。
「そんなことはわかっている。でもそれが言えないからしんどいのに。」
そう思った方もいることでしょう。
真面目な方なら状況の正しい判断も人の不適切さもわかるでしょうから、こういった思考になっては何度も葛藤しているかもしれません。
そしてこれがまたしんどいという悩みのひとつにもなっていたことでしょう。
私自身もいじめやセクハラを受けた時に周囲から「なぜ相手にやめて欲しいと言わないのか」と言われたのですが、どうしても「相手に言えなかった」のです。
なぜなら拒絶や怒りを表すと相手が上司や仕事を教えてくれる人の場合は
「普段仕事を教えてもらっているから申し訳なくて言いづらい。」
「揉めるようなことになっては職場で気まずくなるし・・」
そしてクラスメートからのいじめを受けていた時は
「言い返したらもっと嫌な目に遭わされるかも・・・」
など、このような恐れや仕事を滞らせないことを優先することで自分を守る方を後回しにして、いわば犠牲となってでも我慢しなければと思い込んでいたのです。

中学時代に受けていたいじめのお話しはこちら。
実はこれは「真面目すぎて空気を読みすぎる弊害」によるものなのです。
自分のせいで状況を悪くしたくないという意識が強すぎるせいで、
「だったらしんどくてもいっそ受け入れた方が気が楽だ」
という思考になってしまうことで、相手からどんな攻撃を受けても否定せず反発せず受け入れてしまったり、そんな不適切な相手に従ってしまったり、我慢や妥協をしたりと抵抗を諦めてしまっている状態なのです。
そしてもうひとつ原因があります。
それは「奴隷気質」であり自分を被害者として確立してしまっているという状態です。
これは「自分は気が弱いから。」「自分はどうせ無力で何も出来ないから。」という自尊心の低さからくるものです。
例えば繊細すぎる人であればその弊害により、自分は抵抗出来ないから驚異的な存在に従っていた方が安心安全だという認識を持ってしまっていたり、もしくは虐待などを受けた経験があるとこういう思考になりがちです。
こうして真面目さゆえにやられっぱなしになってしまい、毎日しんどいという気持ちを引きずりながら生活することになってしまうのです。
「自分軸」
ではこれらのしんどさを解決するための対策についてお話ししていきたいと思います。
まず今までの真面目なあなたの思考パターンを少しだけ変えていくことになります。
それは自分を守ることを最優先に考えるという思考を身に付けること、つまり「自分軸」を持つことが大切になります。

「自分軸」というのは自己中心的とか自分勝手なわがまま思考ということではありません。
他人の不適切な振る舞いや押し付けなど、自分を害する状況から自分の身を守るための選択や意思を貫ける状態にあるということです。
つまり自分の心身を守ることです。
対して「相手に悪いから」「気まずくなるのが嫌だから」というのは「他人軸」の思考であり、それは一見思いやりや優しさのように思えますが、それはあなたの深層意識にある恐怖の表れの可能性もあるのです。
ましてそれが相手が不適切な接し方をして来たことにより自分が嫌な思いをしているのであれば、相手が不利になろうが立場が悪くなろうがそれは相手の責任で当然の結果なのです。
もしそれで理不尽な理由などであなたが責められても「自分は悪くない」と主張していいですし、少なくともあなたは傷付けられたのだからそう言える権利があるという事を意識しておくといいでしょう。
これにより真面目なあなたは理不尽でしんどい思いをせずに済むようになれます。
真面目な人をつけ狙う存在
なぜかいつも支配的な人や攻撃的な人に真っ先に目を付けられてしまったり、もしくはやたら気に入られてしまったことで逆にしんどいという経験がある人もいることでしょう。
最初は自分に目を掛けてくれているような感じだったり優しく接してくれるのですが、しばらくすると態度は急変してとにかく面倒な仕事などを押し付けてくるという事はありませんでしたか?
「暇でしょ?」「出来るだろ?」「やってくれるよね?」という決め付けのセリフとともに一方的に押し付けられて、自分の意見や拒否はまったく聞き入れてもらえないという状態。
それでも頑張って「出来ません・・・」「もう無理です・・・」などの拒否や反意を見せると
「は?そんなわけないだろ!」「生意気なこと言ってんじゃない!」「それくらい頑張れるでしょ?」などと圧を掛ける発言で追い込んで断れないように仕向けてくる・・・。
そして最終的になぜか手柄は取られてしまう、などの理不尽な目に遭わされることが一度や二度ではないという人もいることでしょう。

このように真面目であるがゆえに標的にされて言いなりにさせられたり、相手の都合に振り回された結果、しんどい思いをして生きづらさに悩まされている人もいるようです。
なぜこんな酷い扱いをする人と関わってしまうのでしょうか。
それでは次はこの解説をしていきたいと思います。
人の下になろうとする悪癖
実はこれらの被害を受けてしまう真面目な人というのは、集団の中に入るとまず「権威がある人」「力がある人」「発言力のある人」など強そうな立場の人に気に入られようとしてしまう傾向にあるのです。
しかもそれを無意識でやっている場合は当然自覚はありませんから、これを読んでいる段階でも自分がそういうことをしていたとしても
「いや、自分は違うからこのパターンはあてはまらない。」
と気付けていない可能性もあります。
この無意識領域こそがいわゆる深層部の「潜在意識」と呼ばれている領域であり、ここを改善しない限りはいくら自覚出来る表面上の領域の「顕在意識」だけを改善しても解決には至らないということなのです。
ではそこに気付けるようにするにはどうすればいいのでしょうか。

それはまずいろんな要因が複雑に絡み合っているせいで「自覚出来ない原因」となってしまっているのでそこをほどきながら、ひとつひとつ取り組んでいくことになります。
今回の問題の場合、まず要素のひとつとして「人に従っているのが楽」という状態になってしまっている可能性があります。
例えば自分で考えるのが面倒、言われた通りにやるのが楽でいい、などの思考パターンです。
しかしもともと「怠惰」が真の性である場合は「しんどい」という感情を抱くことはありません。
なぜならそれが本来の目的であり、その人の在るべき姿だからです。
なのでこのようなテーマで悩みとして取り上げているこの記事にそもそも辿り着くことはあまりないかもしれません。
これを読む人は「真面目でしんどい」人達だからです。
ではそのような人たちがどういった理由から「人に従っているのが楽」という状態になってしまったのでしょうか?
それは過去(主に幼少期など)に自発的な言動を奪われ、自分にはその権利がないと思い込んでしまっているという可能性が挙げられます。
もしくは自発的な言動をする経験が乏しく、自分から何かをする、自分で決めるというやり方がわからないので無知ゆえに恐れてしまって相手に権限を委ねてしまっていたり、
自発的な言動に自信が持てないから他人に決めてもらいたいという状態の可能性もあります。

ではここで私の小学生時代の体験談を例に挙げていきます。
―ほとんどの学校では下校前に全校生徒がグループごとに別れて教室やその他の校内の掃除をしていたことでしょう。
私ももちろんその経験をしました。
ある時、私は校庭の掃除担当グループになったことがあったのですが、校庭の掃除は雨が降った時は「校内の掃除を手伝う」ことになっていました。
そしてそんな雨の日のこと。
校庭清掃グループの生徒たちはそれぞれが校内の掃除のお手伝いをしに行っていたのです。
しかし私はというと・・・・
掃除の時間、ずっとトイレの個室に隠れていたのです。
なぜそんなことをしていたのかというと「どこの掃除の手伝いをすればいいのかわからないから」でした。
実は手伝う場所は決まっておらず、どこでも自分で自由に決めていいと先生に言われていたのです。
しかしそれが私にとってとても困ることだったのです。
なぜなら「ここを掃除して」「ここを手伝ってあげて」という誰かの指示がないとまったく動けず、自分で判断することも出来なかったからです。
そこでどうすればいいのかわからずパニックになった私はトイレに立てこもるという判断になってしまったのです。
もちろん根は真面目な子ではあったので「掃除しなきゃいけないのに・・・サボってるのは良くないことなのに・・・」という自覚はあったので罪悪感があり、トイレにいる間は毎回本当にしんどい20分でした。

でも、それでも「自分で手伝える所を探したり自分で決める」という思考自体が自分には無理だと感じられて出来なかったのです。
実は私がこうなってしまった理由は支配的な母からの虐待によるものでした。
常日頃から母の言う通りにしなければならず、自分の意見を言うと「うるさい!黙れ!!」と怒鳴られるので自発的なことに恐怖を感じるようになってしまったのです。
そして私は完全に母の言葉に従うようになったのですが、いつの間にか対象は母だけでなく「基本的に人から指示されなければ動けない」という状態になってしまっていたのでした。
それから社会人になってからもやはり自発的な言動が苦手で、指示されていた作業が終わって手が空いた時はどうすればいいのかわからず途方に暮れたこともありました。
この問題は改善が難しくなかなか根深かったのですが、もちろん今はこのトラウマも克服して自発的なことがしっかり出来るようになっています
―そしてこの私の体験でも当てはまるのですが、これらは主に「自己肯定感の低さ」が原因でもあります。
しかし真性が怠惰な人とは違い、本来はちゃんと自発的な言動が出来る真面目な人であるのにも関わらず、その権利や願望を奪われてしまっているので、本来の自分が発揮出来ないからしんどいと感じて心が苦しくなってしまうのです。
そして前章と同じ「奴隷気質」であるということも絡み合う要因のひとつとして挙げられます。
更に人によっては他に様々な要因が絡んでいる可能性もあるので、このようにひとつひとつ解決したり癒やしていくことが改善になります。
このような取り組み方こそがよく言われている「潜在意識の書き換え」なのです。
自尊心という絶対的なお守り
先ほど自己肯定感が低いことが原因であると述べましたが、その自己肯定感を得るには「自尊心」を持つ必要があります。
それによって自己肯定感も自然と得られるので、堂々とした自分を貫けるようになります。
すると支配的な相手の存在に怯えなくて済むようになるので、わざわざ集団の場で「上位の存在」を探さなくていいですし、そんな相手に目を付けられずに済むようになります。
もし何か面倒事を押し付けられそうになってもはっきりと「無理です」と断れるようになれるのです。

もしくは今まではこうやって拒否をしたら相手に逆ギレされてしまったかもしれませんが、自尊心があると言葉や態度に自信が滲み出てくるのでその気迫によって相手が「あ、これは無理だ・・・」と引くことになるのです。
実は今までこの拒否が拒否として発揮出来なかったのは無意識のうちに弱さが言動に表れてしまっていたからなのです。
なので自尊心を持てればちゃんと「拒否」としてしっかり通ることになりますので安心してください。
そうすれば真面目さを食い物にしている厄介な相手とわざわざ戦うという形を取らなくても、結果的に相手が太刀打ち出来ない状態に追い込まれることとなるので、しんどいという状態からは脱することが出来るのです。
便利な真面目さん
真面目な人の中には「頼まれると断れない」という弊害を抱えてしんどい思いをしてしまっている人もいます。
前章で書いたような支配的な人だけでなく、いつもいろんな人から仕事を押し付けられてしまうという立場です。
周囲からは「何でもやってくれる人」「頼んでも断らない便利な人」扱いにされてしまっているので、自分のやるべきことで手一杯なはずなのに、常に他の誰かの何らかの作業にも追われているので、当然しんどいと感じてしまいます。
例えば私の高校時代にこんな出来事がありました。
ある時、私の席のうしろの女子から「ノート写させて。」と頼まれたのです。
その子とはたいして仲が良かった訳ではなかったのですが、それを機に頻繁に私からノートを借りるようになりました。
・・・つまりその子は授業中はノートを取らずにサボっているということです。
するとその様子を見ていた他の女子も「私にも貸して!」と言ってきたのです。
もちろん私は快くOKしました。
それからしばらく経った頃、いつも通りにノートを貸していたのですが、そのノートを使う授業が始まる直前だというのにまったくノートが帰って来ないのです。
そこでうしろの子に尋ねたところ
「なんかいろんな人が貸してって言ってたから今どこかわかんない。」
と言われたのです。
あわてて私のノートを持ってる人を探したところ・・・
なんと廊下側の私の席から一番遠い窓際の席の男子が持っていたのです。
この大移動には驚きましたが、同時にその時こう思ったのです。
「みんなが私を必要としてくれている。」と。

それからしばらくノートを貸し続けていたのですが、ある日のこと。
「ねぇ、この字なんて書いてるの?」
とうしろの子から聞かれたのです。
確かにその文字は崩れていたので読みづらかったのですが、私はそれから
「みんながわかるようにちゃんと書かなきゃ!」
という使命感を持って必要以上に心掛けて丁寧にノートを書くようになったのです。
もちろん綺麗に書くというのはいいことですが、その目的は「ノートを書き写してもらうため」なのです。
それは本来私が気遣うところではありません。
そもそも授業でノートを取らない人、サボる人のために頑張る必要などないのです。
私はクラスでも「真面目な優等生」として認識されていたのですが、同時に「あの人から借りればいいや。いつでも貸してくれるし。」という認識も持たれていたのです。
結果、楽をする怠惰な生徒が増え、真面目な私の負担が増したのです。
・・・しかしそれでも私は「ノートを貸してあげられる」「頼ってもらえる」ということが嬉しくてしんどいながらも必死になっていたのでした。
このように
- 「面倒見が良すぎる」
- 「請け負うと相手が喜んでくれるから嬉しい」
- 「やってあげると褒めてくれる」
- 「自分の価値を見出してくれているという証」
- 「頼られるのが嬉しい」
- 「みんなのためになっている」
という一見、優しさや奉仕のような振る舞いの奥底には実は「他者承認の欲求」があるのです。
しかし自覚出来ているのは表面上の「奉仕」の部分だけなので「自分では良いことをしている」「皆が喜んでくれている」という感覚しかないために、これがしんどいと感じて心身を追い込む原因になっていると気付いていなかったりするのです。
これは「真面目すぎる弊害」なのです。
短期間ならまだしもこれが長期間続くと本当に心身にダメージを与えてしまいかねません。
ではどうやったらこの状態を改善出来るのでしょうか?
この対策は「自分のキャパシティや状態を正しく把握する」ということが必要です。

まずは自分のキャパを越えるものは受け入れないという判断や、人のために自分を犠牲にしてまでそのような選択はしない、という思考を身に付けることです。
なんでもやってあげるという、この「尽くす」ことは必ずしもいいことではない場合もあります。
本来はその人がやるべきことまで請け負うのは、単に怠惰に加担することになるので相手のためにはなりません。
本当に相手のためを思うなら「断って自分のことは自分でやってもらう」という判断をすることも必要なのです。
なので「尽くす」という意味を捉え直し、更には「尽くしすぎる」という自分の行動を変える事が求められます。
「問題がある相手が変わるべき」は叶いにくい
ここまでの解説で明らかに相手が良くない、相手のせいで真面目な自分たちが被害を受けているのだから、その加害者側が反省して悔い改めるべきなのに・・・という思いが脳裏を過りませんでしたか?
私は長年ずっと不適切な相手こそが改善され、淘汰されるべきだと信じて願ってきました。
しかし実はその願望を持っていることが、真面目なのにしんどいという状況がいつまでも改善出来ない原因だったのです。
なぜ「相手を変える」ではダメなのでしょうか。
自分は真面目だし非がないならこのままでいたいとそう思いますよね。
しかしこの現時点で「変わること」への認識をネガティブなものとして持ってしまっているのです。
変わるための労力はしんどいもの、面倒なことなのでそういうものを相手に押し付けたいという思いの表れになってしまっているのです。
さらに昨今、TVやSNS、漫画などでこんな話題が流行っています。
いわゆるみんなの願望「スカッとする体験」というものです。

これは「相手を改心させたい・因果応報な目に遭わせてやりたい」という欲望を叶えるものです。
つまり我慢をさせられた側の努力や理不尽な目に遭わされた人の救済ネタとも言えるでしょう。
多くの人はこの展開に憧れ、「自分もいつかやってみたい!」と思い描いたことがあるのではないでしょうか。
ではこのようにどんな場面でも誰でもこのスカッと体験が出来るかというと・・・実は簡単にはいかないのです。
もちろん確実に支配的な人やハラスメントの加害者が悪いのですが、だからといってその人たちの内面や人間性を変えさせよう、何かしらの罰を与えようとしても逆に相手は反発したり攻撃がヒートアップしてしまうこともあるので注意しなければなりません。
あなたの真面目さが生まれ持ったものであるように、実は相手の悪質さは生まれ持ったものである可能性があり、その場合はどうやっても変えることは出来ないからです。
なのでいくら罰を与えても、多くの人から非難されてもお構いなしなので効果がなく、ただ自分が振り回されて疲れてしまうだけという結果になりかねません。
悔しいかもしれませんが下手に復讐や因果応報ストーリーを企てるより、物理的にも心理的にも距離を取って放っておく方がよいでしょう。
もし、その人の悪質さが経験や誰かのせいによるトラウマだとしても、他人から「改善をしろ」と言われて取り組ませることはなかなか難しいものなのです。
大抵の場合、自分は正しいと思い込んでいるからです。
自分から改善をしたいという意欲を持たないとまず改善には踏み出さないですし、無理やり促したところでどんな効果的な対策であっても受け入れる器がないのです。
要するにこちらがどんな働きかけをしても相手が不適切で悪質であればあるほど意味がないものになってしまうのです。

だからこそ「自分を変える」ということが一番手っ取り早く効果的な方法なのです。
それでは最後に私がそれを一番実感した体験を語りたいと思います。
―それは私が上京してから苦労してようやく再就職出来た工場を辞めるきっかけになった出来事です。
私が勤務して2年目のこと。
パートとして中国人の中年女性が入社してきたのですが、その人が作業してはいけないところで作業していたことと、
そしてパートは1時間しか残業時間がないのにも関わらずその時間ずっとおしゃべりばかりで作業がほとんど進んでいないことを注意したところ・・・
逆ギレされた上に「月狼さんは言い方がキツい!」という風に部長に文句を言ったのです。
もちろん私に注意された自分の行為は伏せたままでした。
それを間に受けた部長から私の方が指摘をされてしまったたのですが、私の意見を何も聞かない部長のやり方に呆れかえり、もうこんな人の元で働きたくないと転職することにしたのです。
すると
「自分の気に入らない人は部長に報告すれば辞めさせられる」
と知って調子に乗ったそのパートは、私との一件のすぐ後に日頃から嫌っていたベテランパート二人をも退職させようと企て、部長に「あの人達も言い方がキツい」と報告したそうなのです。
そして部長はベテランパート二人にも指摘したのですが・・・実はベテランパートのうちの一人はかなり発言力があり、しかも本部長と同期で仲が良かったことで本部長にその状況を直接報告したのです。
そして事情を知った本部長により部長は部署異動させられたのですが、自分の居場所がないと悟り自主退職していったのです。
ちなみにベテランパート二人によって部署内に中国人パートの悪巧みがバラされたことにより、彼女は逆ギレして即退職していきました。
この間わずか数日だったのですが、私は有休消化のために不在だったので事後報告として聞きました。
そして最後の挨拶をしに部署を訪れた際に、とあるパートさんから「大変な思いしたんだね。」とねぎらいの言葉をもらい、私は冤罪であるとみんなに認めてもらえたのです。
・・・それから数年経った別の職場でのことです。
そこにも中国人の中年女性が勤務していて、検査員としてベテランの地位にいました。
ただ周囲からはかなり厄介な人だと言われていて、自分の機嫌が悪いだけで検査した製品が良品限度内であるにも関わらず不良品だと文句を付けて直せと言って来るのです。
そしておとなしい私はまさに格好の餌食になってしまったのです。
「またこの展開・・・」そう思って私は絶望してしまいました。
とは言ってもここに書いた二件だけでなく、私は過去に何度も何度もこんな理不尽な目に遭っていて、そのたびに泣き寝入りしたり転職を繰り返していたのです。

しかし場所を変えてもまたこうして似たような人に目を付けられて攻撃される、私はこの運命から逃れられないのかと愕然としていました。
しかしこの時ちょうど心の問題解決や潜在意識の書き換えに取り組んでいた真っ最中であったために、私は前回や今までのように逃げたり泣き寝入りするのではなく、
自分の心と向き合ってトラウマを克服したことにより、この最悪と思い込んでいた状況の捉え方を変えることに成功したのです。
「私は真面目に仕事をしていて何も悪いことはしていないのだから、傷付いてしんどい思いをする必要も文句を言われる筋合いもない。
あの人が勝手にイライラしてそれをぶつけて来ただけのことで、それはあの人が自分を抑制出来ずに非常識な振る舞いをしているだけだからまともに受け取らなくていいんだ。」
この意識を持ったことで、私は今まで当然のように繰り返してきた自分の弱さや無力さを責めていたあの悪癖がまったく発生しなかったのです。
なので泣き寝入りも転職もせず、今まで通りに堂々と平然とその検査員に接していました。
すると数日後、不思議なことが起きたのです。
なんと検査員の彼女が一切私に理不尽な文句を付けてくることがなくなった上に、なぜか私と接する時にはうやうやしい物言いをしたり、避けるような行動を取り始めたのです。
そしてそれ以降、私には怯える対象が一切なくなりました。
この二件の出来事を読んで、おそらくスカッとしたという方もいることでしょう。
特に最初の件に関しては因果応報という言葉が当てはまるかと思います。
しかし、実は体験者の私はそこまでスカッとはしていないのです。
いまだに何かモヤモヤした感覚がするだけです。
そしてむしろ二件目の方に私は達成感と嬉しさを覚えました。
ただしその達成感とは検査員を逆に怯えさせるという復讐めいた立場逆転に関してではありません。
私が自尊心を持てたという証、そして潜在意識の書き換えが成功したのだという「自分を変えられた」ことへの達成感と悦びなのです。
今まで散々、自分を変えるなんて嫌だ、相手に変わって欲しいという願望を持っていたのですが、これを機に「自分が変われば周囲の状況も変わるのだ」と初めて実感出来たのです。
だからこそ私はこの説を理解していただきたいのです。

まとめ
いかがでしたでしょうか。
その場限りの状況対策では、例え解決出来たとしてもいずれまたどこかで同じ展開を招いてしまうだけなのです。
なので相手を変えよう罰しようとするのではなく、自分が変わった方が効率が良く、何よりその先にも厄介な人との縁がなくなるなど自分の人生が穏やかになるのです。
それを踏まえた上で、あなたは自分を変えるのと相手を変えるのとどちらがいいですか?
そして真面目だからこそこの記事をここまで読んでくださった現段階のあなたの意識も、しんどいという悩みや生きづらい感覚が間違いなく改善に向かい始めている状態なのです。
更に少しずつでも対策していけば必ず解決出来ます。
そうは言ってもいきなり無理に思考を変えるのも大変でしょうから、まずは真面目さをほどほどにして自分を守ることから始めてみてください。
そうすれば自然と考え方が変わり、いろいろな状況下で選択をする時も無意識なままに自分を守りながら真面目な部分も含んだものを選べるようになりますから、しんどいと思うことも少なくなります。
もし自分ひとりではなかなかうまく対策が出来ない、不安だという場合は私があなたに見合ったアドバイスをさせていただきます。
無意識な領域に原因がある場合は自覚が難しいので客観視出来る人が必要でしょうから。
いつでも気が向いた時、そして何か相談や質問、こんな悩みはどう解決すればいいのかなど、どんな些細なことでも構いませんのでお気軽にメッセージなどをいただければと思います。
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それでは本日はここまでといたします。
読んでいただきありがとうございました。
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