生きづらいと感じるその裏に隠された重要な原因とは?
片側の翼がないカワアイサ             

あなたは自信のなさや自分を責めてしまう癖、自分が無能などという意識を持っていることで生きづらいと感じる日々を送っていませんか?


何かに挑戦する時や取り組む時、物事の判断をする時などなぜか自然と頭の中に出て来てしまう「でも、自分にはどうせ無理だから・・・」という自信がない言葉の塊。

それがぐるぐると脳内を駆け巡るせいで思考は邪魔されて先に進めず、いつも考えるだけで疲れ切ってしまうことが生きづらいと感じることにつながっているのです。


しかし実はそれは単なる思い込みにすぎないのです。


その思い込みを繰り返していることによって思考の仕方が癖となってしまい、あなたが本来やりたかったことが思い通りに出来なかったり、理不尽な思いをしたりと本当に生きづらいと感じる状態になってしまっていることでしょう。



―そもそもそこまで生きづらいと苦しみ悩むほど、自分を否定的に感じる理由やきっかけ、根拠は何か覚えていますか?


挫折、失敗、誰かの言葉・・・

どんな体験であったにしても、実はあなたが自分で思い込んでいるほど「無理」ではないのです。

こういった思い込み以外にも本来持つ必要のない思考などによって頭を悩ませ、心に苦しさを抱えて生きづらいと感じる人生を歩んでしまっている人が多くいるようです。


実は私もそのひとりでした。


この記事ではかつて生きづらいと感じていた私が、その体験から得た知識と気付きによる原因の解説、そして思考の悪い癖を克服出来た方法を元にして、「ネガティブ思考」「自己否定」「悪い方向にしか捉えられない」などの生きづらいと感じる思考になってしまう傾向への対策やアドバイスをしていきたいと思います。

NOという文字を持つ人形


まずは悩み事の原因や対策の前に、それらを理解するための土台となる基礎を知っていただいた後に、思考と現実の関係性やメカニズムについてお話ししていこうと思います。



実は自分が頭の中で考えていることというのは意識している、いないに関わらず言葉や態度で示してしまっているものなのです。

「思っているだけ」と自分ではそう思っていても無意識で何らかの形で表現してしまっていることがあるのです。

「自分の思考→自分の振る舞い方や行動→現実に反映」というのが思考が現実に反映されるメカニズムになっています。



例えば「人に優しくされたい」という思考を持っていたとします。

そのためにまずは自分から日頃接するいろんな人に親切丁寧にしてみようという思考になり、そう振る舞うようになります。

その結果、好感度が上がって評判は良くなり、周囲の人からも優しくしてもらえるというのが現実になる流れです。


これは一見当然の流れのようですが、実はネガティブ思考の人も無意識の状態でこの流れをやってしまっているということなのです。

つまり自分の思考によって生きづらいと感じる状況をみずから作り上げてしまっているということです。


そのために「悩み事がある思考回路」の場合、その解決のために必死に悩んでしまうという人はいつも心苦しい状態にあることでより一層ネガティブな物事に敏感になってしまうので、様々な状況下においてどうしても無意識でネガティブな方に引っ張られてしまいます。

なので思考も常に問題のある悪い方に向いてしまうので何かと悩みが絶えず、生きづらいと感じてしまうのです。

蜘蛛の巣が張り巡らされた人のシルエット


対して「悩み事がない思考回路」の場合は、リラックスしていて余裕があり心穏やかな状態でいられるので物事の判断も冷静に出来ます。

そのため問題がある方に思考は向かず、むしろ関わらずに避けるという選択をすることにより自分に無理をさせないのでネガティブ状況に巻き込まれにくく、生きづらいと感じることもないのです。

このように心や脳内の状態はまるで鏡のように現実に映し出されるのです。


それではここからタイプ別の思考の問題について解説していきたいと思います。 


まずは主に自分の意識や思考の中だけで悪い方向やネガティブな捉え方へと発展させ、自分で自分を追い込んでしまう「自己洗脳」タイプについてです。


この悩みの例としては

「世界は敵ばかり」

「みんながつらそうだから自分もいずれそういう風になる」

「どうせ自分は出来損ないでダメな人間だから。」


などの自分にはそうなる原因や根拠がないにも関わらず何事も無理だと感じる思い込みによって、絶望と諦めが前提の生きづらい思考になってしまっている状態です。


そしてここに至った原因としては以下の歪んだ物事の捉え方が問題であると考えられます。

カーブミラーに歪んで映る建物


それではひとつずつ見ていきましょう。

「思考の癖」
無意識、無自覚でいつも同じパターンの思考回路に自然となってしまう状態です。
そしてそれが(自分にとっては)正しいという思い込みも伴っているので他の視点や価値観を受け入れにくくなっていることがあります。

癖になってしまっていると日常化するので、自分ではこれが生きづらいと感じる原因になっているとは気付きにくいことから改善が難航してしまうことがあります。


「被害妄想」
「何で自分だけが・・・」「いつも自分ばっかり・・・」

などという自分だけが被害を受けていると思い込んでしまっている状態です。

しかし現実では加害者はおらず、何気ない他人の仕草だったにも関わらず自分には「嫌がらせを受けた」ように感じられてしまったりと、思考が無理やり歪まされた状態で物事を捉えるため、ネガティブな思い込みが強くなり生きづらいと感じる状態に陥ってしまいます。


「自発的な自己否定」
他者から責められたなどではなく、自分責めによって自分を酷く追い詰めて生きづらい傾向にしてしまうものです。

「自分には協力してくれる人なんていない」
「自分なんかには出来る訳がない」

など最初からこの「何事も無理」と感じる前提を持ってしまっていることでせっかくの機会を逃したり、可能性を無くしてしまうのです。




そしてこれらの要素を抱えてしまうと思考全般がネガティブとなり、いわゆる「ネガティブ思考」という多くの方が悩まされているであろう厄介な状態になってしまうのです。


つまり最初から「どうせ上手くいかない」という前提でいるから「上手くいかない経緯」を辿り「上手くいかない結果」を招くので、生きづらいと感じる状況になってしまう。
これが自己思考による現実形成のプロセスなのです。


例えるなら「悩みが尽きない」という悩みを持っている人は自分で悩み事を作り続けてしまっている状態にあるということです。

特に「嫌なこと」というのはショックを受けるなどで感情にも残りやすく「起こった現状」を引きずることが多いので、どうしてもそこにとらわれがちです。

雷光が走る空


更に目前の状況や体験というものはダイレクトに脳に伝わるものなので思考はすぐに影響を受けてしまいます。

なので「目前の状況や悩みを何とかしなければならない」ということを最優先に考えます。


これは当然ともいえる流れです。


しかしここで問題が起こってしまうのです。

前章の中の一例の「悩み事がある思考回路」でも書きましたが、嫌なことだけに強く長くこだわりとらわれて過ぎていると脳内は常にその問題を解決しようとするため「嫌な問題点」だけに占領されてしまいます。

どんな時でも嫌な問題点の事を考え、意識している状態になるのです。


すると常に焦点がネガティブな方を向いていることになるので感情的にもツラくなり、自覚出来る感覚までもがネガティブ状態となってしまいます。


感覚的にネガティブ状態になっていると、どうしても物事の視点や捉え方が悪い方、マイナスな思い込みの方に向かいがちです。

これこそが生きづらいと感じる原因と経緯になります。

そしてこの時に何らかの判断や行動をしようとしても、本来ならば出来る可能性があっても自分には無理と感じる方にしか意識が向かなくなったり、選択肢の中から無意識で「出来ないもの」を選んでしまったりするのです。


やがてその期間が長引くとその意識は根付いてしまって、自分は生きづらい人生を歩まなければならないという思い込みとして定着してしまうのです。

その状態に陥ってしまうと何にチャレンジしても「生きづらいと感じる」範囲でしか動けないのでその結果しか出なくなってしまいます。



それではこの自己洗脳タイプはどうやって改善していけば良いのでしょうか。


対策としては「視点を変えて思考のパターンを変える」ということが有効です。

サングラスをかけたひまわり


例えば「登山」に関して登山にまったく興味がない、歩くのが嫌いという人は「キツいし汚れるし疲れるだけ。」などのネガティブイメージを持っていることでしょう。


しかし登山が趣味の人や自然が好きな人は「達成感が最高。」「いい景色が見られて気分転換になる。」などのポジティブイメージを持っているでしょう。


ちなみに「登山」自体は悪いものでも良いものでもどちらとも言い切れません。
それは人の受け取り方の問題だからです。


なので視点を変えれば良くも悪くもどちらにもなるのです。



このように起こっている状況に対して「また生きづらいことが・・・」と悲観するのではなく、新たな物事を学ぶチャンスであるとか、自分の可能性を広げられるいい機会だとか楽しみや交流が増えるなど「良い方」に感じるように視点を向けることで良い思い込みとして定着させていくことが大事なのです。


次は周囲の誰かによって、自分の意思とは反する意識や認識を無理やり思い込まされたという「他者洗脳」タイプについてです。

操り人形


この悩みの例としては

「あの人から自分のことを卑怯と言われたので自分は卑怯者なのだ。」

「絵を描く時はこういう表現をしてはいけないと言われたので、自分のやりたい表現は抑えて言われた通りにしなければダメなんだ。」

「夢があってそれを叶えたくて踏み出そうとしたら、親からお前に出来る訳がないと言われた。だから自分には無理だと思って諦めることにした。」


これらの思い込みを持つに至った原因や可能性は以下のものになります。

それではこちらもひとつずつ見ていきましょう。

「認知の歪み」
基本的には物事の捉え方が世間の価値観や本来の定義からズレていたり異なっていたりするというものです。

しかしこれが過去、誰かから「それが正しいのだ」と思い込まされたことによって、相手の言葉を鵜呑みにして信じてしまっているという場合は他者洗脳となります。

そして「これこそが絶対的に正しい」という強烈な思い込みを持ってしまっているのでそこに固執していて、なかなかそれ以外の意見や見解を受け入れたり認めようとしない状態にもあります。

「トラウマ」
心が傷付いたり、怖い思いをしたなど自分にはどうしようもない状況下において相手の思考を無理やり思い込まされたという状態です。

例え自分の意思や信念があったとしても、相手が強く絶対的な支配にあると自分には太刀打ちは無理と思い込み、従わざるを得ないという思考になってしまいます。

その結果、自分の判断は出来なくなり、どんなものであってもその相手の言葉や思考をすべて受け入れるようになってしまうのです。

「自信喪失による自己否定」
何らかのきっかけで他人から否定されたことにより大きな精神的ダメージを受け、そのことで過度に自信喪失してしまったり自己否定をしてしまう状態です。

最初はトラウマと同じですが、他人からの否定レベルは支配的や驚異的でない場合でもその受け取り方を自分の中で大きくしてしまい、強いショックとなってしまうこともあります。

そしてその後に酷く自分を責めてしまうことで、やること成すことすべてに関して自信をなくし、自分の存在までも否定する癖がついてしまう傾向になってしまいます。



これらは共通して「自尊心が低い」ということが原因となります。

「自尊心」とは自分という存在を確立していて他人に揺るがされないという信念です。

枝に止まって高らかに鳴くオオタカ



しかし自尊心がないと相手の意見や考え方が間違っている、不適切だとわかっているのにその人が支配的や脅威的であることで怯えてしまい、どうしても意見に流されたり従ってしまうという意識パターンになってしまうことで生きづらいと感じるに至るのです。

なので他者洗脳から抜け出すにはまず、自分自身を強く貫ける意識の状態「自尊心」を持つこと。

そしてそれを土台とした上で自分が本当に持ちたい価値観や信念を植え付けていくことが改善策となります。

これが出来ると「あれ?なんでこんな事を受け入れていたんだろう。」「あんな解釈、明らかにおかしい。」という疑問や拒否感が沸いてくるようになります。

そもそもその思い込みは自分には合わないものなので、無理に植え付けられた思い込みはこうして自然となくなっていきます。



しかし対策ならば「自分よりまず不適切な相手を制裁すべきでは?」「相手との関わり方を見直すと良いのでは?」などの相手をどうにかしなければという考え方になってしまうかもしれません。

ところが心の問題では相手をどうこうしようと考えるのではなく、自分の意識や心と向き合ってそこから改善するのが一番の近道なのです。


なぜなら現実とはあなたの思考が反映されたものだからです。

鏡に映るリンゴ


ここでは特定の誰かではなく、もっと大きな規模「世間」の影響力によって思い込まされてしまったというタイプについて解説していきます。


世間というのはサイトやSNS、TVなどのメディアや、周囲での暗黙の了解、家庭や職場などのコミュニティーにあるルールなどです。


実はここから発生した認知の歪みによって多くの人が生きづらいと感じる落とし穴にはまってしまうのです。


それは「みんながそうしているから一緒にしなければならない」という意識を植え付けあう行為があるためです。


例えモラルがないことでも明らかに非常識でも、協調性を重視することによって自分ひとりの「正しい意見」に価値を見出せず、不適切な多数派を優先してしまうのです。

その状態に長くあると「その歪んだ価値観」が当然で正しいという認識になって意識に根付いてしまうのです。


しかし根付いたとしても違和感はなくならず、心の奥底で自分の本意との葛藤が起こってしまうのです。
これが生きづらいと感じる要因のひとつでもあります。


そして自己肯定感の低さもまた原因のひとつです。

これは自分が確立されていない状態だからこそ、周囲に合わせていないと不安であるためです。

なのでここから上記のような認知の歪みへと発展してしまうパターンもあります。


何より自分には貫ける意見や信念を持つこと自体を無理だと思ってしまっているので周囲や他人の言動に流されてしまいがちなのです。


誰のどんな意見が正しいのかという判断も付かず、ただ「みんながそう言っているから」や「威厳のありそうな人だから」という理由だけで選んでその思い込みにとらわれているという状態です。

海上に降りるハマシギの群れ


例えば「生きづらいと感じても、生きることは苦労するものだからつらくても仕方ない」こんなニュアンスの言葉をあちこちで見かけます。


そこにはこんな意図が組み込まれているのです。


生きているとつらいのは当然で誰しもがそう。
みんなその道を通って生きているのだからあなたもそうすべき。
だから我慢しなければならないし、妥協してその状況を受け入れなければならない。

自分にはどうすることも出来ないし無理なこと。
楽して簡単に幸せにはなれない。

そんな思い込みを持っても意味がない。

楽して幸せになれるなんてほんの一握りの選ばれた特別な人間だけ。
ほとんどの人は苦労する人生が当然だから。


・・・私の場合はいつの間にかこのような文言を自分の中に取り入れていたのです。


凡人である自分には苦労が当然で楽に幸せになるのは無理なんだ、という思い込みです。

そしてそれに沿ってその通りになるように生きていたのです。


このように「こうでなければいけない」という、世代を越えて受け継がれた「古き悪しき伝統」というものがあります。


例えば「結婚しないと幸せになれない」「いい大学を出て一流企業に勤めることが優秀」などもそうです。


今でこそ多様性という時代を迎え、ようやく個人の意思を尊重してもらえる機会が増えましたが、長い間この根深い「当然」に縛られてしまったことで生きづらい感じる悩みを抱えてしまった人たちが多くいたのだと思います。

整列したカラフルな色鉛筆


もちろん本当に信念があり、結婚や一流企業を夢や目標としている人ならなにも問題がないのですが、「周囲がそうしているから」「世間でそう言われているから」などの基準に合わせたり流されたりして、本来自分がやりたい訳でもないのに無理をして合わせていると、本来の自分には合わないものなのでどうしても生きづらいと感じるようになってしまうのです。

世間の価値観はあなたの真性と必ずしも合致しているとは限りません。

その他大勢と同じである事に安心感は得られるかもしれませんが、それは集団や社会性で生きるためにある「協調性」の特性によるものなのです。


そしてそこから逸脱した行動や発言、価値観を持つことはまるで「悪いこと」「間違ったこと」と捉えてしまいがちですが、決してそんなことはありません。
もちろん犯罪やモラルに反していないということが前提ですが。


あなたにはあなたにふさわしい生き方や価値観があります。

その人生を選んだ方が自分に正直になれるので自分には無理だなんて感じることなく済みますし、生きづらいという悩みをなくすことも出来るのです。


・・・しかし自分の意思を貫くためとはいえ、協調性から外れることに不安を感じる人もいるかもしれません。


これはそもそもその協調性自体が不適切なものだという事もあるので、協調性に絶対を求めなくていいのです。


ちなみに協調性には平和と秩序のための「良質な協調性」と偏見と無秩序の「悪質な協調性」があるのでそこをしっかり判断して見極めることが必要です。


例えば良質な協調性には「赤信号では止まる」「列に並んで順番を待つ」「図書館では本を読むために静かにする」など。

そして悪質な協調性には「歩きスマホをする」「止まって乗ることを求められるエスカレーターで歩いて移動する」「立ち入り禁止だけれどみんな通っているから自分も通る」などがあります。


悪質な協調性ではみんながやっているとそこに「自分もやっていいだろう」という歪んだ安心感が生まれてしまいます。

これにより悪い事を実行しても罪悪感が薄れてしまうのです。

ライフルを持って歩く数人の男たち


さらに協調性を良し悪しで判断するものではない場合、人によって捉え方がわかれるので自分の真性に見合ったものを選ぶことが求められます。


けれどここで「数が多いから正しい」とは限らないので判断基準で流されないよう注意してください。





それではここでひとつ質問です。


あなたは友人数名と外食をすることになり、親子丼が美味しいと有名なお店でみんなが当然のように親子丼を頼みました。

でも自分はどうしても他のものが食べたいと思っているのです・・・


こんな時あなたならどうしますか?


例え親子丼がオススメであってみんながそれを頼んだとしても、自分が食べたいものを食べるのは悪い事ではありません。


メニューにもちゃんとあるのだし、もし会計で自分の分は自分で支払うのだとすれば尚更のこと。
誰にも迷惑はかけていないので何も問題はありません。


けれど「空気を読むべき」という風潮があると周囲はひとりだけオススメの親子丼を頼まない人を非難することがあります。

しかしそれで文句を言われたとしても他のものを頼んだ人に罪はありません。


ちなみにこれは協調性ではなく単なる「価値観の押し付け」というものです。

このように「協調性」という言葉を隠れ蓑にして正当性を装っている場合もあるので気を付けてください。


悩み事を抱えてしまうのが自分の考え方がネガティブなせいだと自覚していたり、原因もある程度は気付いているという方もいるかもしれません。

その人たちはおそらく色々な方法でネガティブ思考をなくそう、捉え方や意識を変えてみようと改善のために対策をしてきたことでしょう。


しかし何をどうやっても効果が出ず、ネガティブな思い込みは頭の中から消えることなく現実はいつまで経っても生きづらいと感じる状況のまま。

もう自分には変えることは無理なのでは・・・と打ちひしがれてしまった人もいるでしょう。

私も長らくこの沼にはまっていたのでよくわかります。

疲れた様子のヨークシャテリア



そこでこの章ではその原因と真相について解説していきたいと思います。



例えば「理不尽な理由でいつも無理やり仕事を押し付けられる」「自分だけなぜか嫌味を言われる」という悩みを抱えているとしましょう。


これは一見、被害妄想のようにも思えます。

しかし被害妄想では自分の思い込みによるもので具体的に敵となる人はいませんが、この場合はしっかりと加害者がいるという状態です。


なのでその悩みを解決するためにどうすればいいかと悩むことになります。
「どうすればあんな人たちから酷いことをされずに済むだろう・・・」と。


ちなみにこれは目先の現実にとらわれている状態ですが、ほとんどの人の思考はこうなるでしょう。


しかし現実とは心や思考の状態をそのまま表しているのだと書いてきました。
なので現実の状況だけを何とかしようとしてもあまり効果はないのです。


するとこの「悩み事」というものが「ずっと解決出来ない悩みがある」「いつも何かしら問題を抱えている」という思考になってしまい、その状態を継続させることになってしまうのです。


それはつまり脳内の無意識で無自覚な部分が働いて「いつも仕事を押し付けられる」「自分だけ嫌味を言われる」という状況を作り出し、常に生きづらいと感じるような状態でいさせてしまうということです。

この時に「自分には無理・・・」という思い込みを持ち続けてしまうと「自分には悩みを解決することも状況を変える力もない」という思考に基づいた振る舞いしか出来ないので、「自分には無理」ということまでも現実に反映させてしまうのです。


それにより悩み事がいつまでもなくならないという現状になってしまいます。

車が大渋滞している山道


そしてこれが世間でよく聞くいわゆる「引き寄せの法則」のメカニズムなのです。

つまり自分を悩ませ苦しませる「悩み事」を引き起こすための振る舞いや言動を、自分で引き寄せているということになります。




それではここで私が幼い頃に体験した意味不明な出来事を紹介したいと思います。


それは私が5歳くらいの時のこと。
家族とお墓参りをするためにお寺に出向いていた時のことでした。


そこにはお寺で飼われていた小型犬(確かシーズー)がいたのですが、放し飼いなのかその時たまたま外に出てしまったのかはわかりませんが、弟がその犬に追いかけられてしまったのです。

弟は泣きながら逃げ回っていたのですが、それを見た私はなぜか「私も追いかけられなきゃ!」という思考に駆られ、なんと弟と犬の間に乱入してまで犬に追いかけられるという状況にみずから身を投じたのです。


その後、弟と一緒になって泣きながらシーズーに追いかけられていたところを親に救出されました。



この出来事は幼いあの日の自分の「追いかけられなきゃ」という心情まで本当にはっきりと覚えています。

しかしなぜそんな思考が浮かんだのか、そしてなぜわざわざ危険な状況にみずから入り込んだのか・・・5歳の子供の思考だったとはいえそれだけは本当にずっと謎でした。


けれどあの時はなぜか「そうしなきゃ」と思ったのです。
理由はただそれだけでした。

シーズー


―このように本来やる必要がないこと、巻き込まれてはいけないことをなぜか無意識で選択して自分を不幸に貶めてしまう人もいるのです。


私がこのような思考になってしまったのは、実は母から精神的虐待を日常的に受けていたこともあり、「不幸になる状態」「攻撃をされる現状」これらを叶えるための思考になっていたせいだと思われます。


そしてそれによりその後、大人になってからも攻撃をされやすい私として無意識のまま振る舞い、生きづらいと感じる状況を次々と展開させてしまっていたのです。


これが思考の恐ろしい点であり、そして改善するためにはこのメカニズムを知っておく必要があるという証拠なのです。

いかがでしたでしょうか。


かなり深く複雑な内容だったので解釈するのが難しいと感じた人もいるのではないでしょうか。


このように生きづらいと感じる人たちは思い込みによって不適切な現状を維持してしまったり、本来出来ることも出来なくなってしまっているのです。

それは可能性を自分で潰してしまっているということでもあります。


なのでまずは周囲にある問題や悩みをどうにかしなければとそちらに取りかかるよりも、「自分にも出来る」「自分だからこそ出来る」という自分対策、つまり自信をつけることが先になります。



しかしこれらをすぐに実行してポジティブ思考になれるのかというとそれはやはり難しいでしょう。

思い込みというのは年月や時間を掛けて定着したものです。


それはポジティブであろうがネガティブであろうが同じ「思考」なので効果が出るまではそれなりの時間は掛かります。

なので自分を責めたり、自分には無理だという思い込みも実はあなたがじっくり時間を掛けて育ててしまったネガティブ思考なのです。

しかしどんな思い込みであっても根付かせられるなら、現実に反映させられるなら、ポジティブ思考も同じように出来るのです。

それはネガティブ思考ではありますが、あなた自身がすでに体験していることが実績となります。

積み重ねられた石


なのでここから少しずつ、確実に生きづらさをなくしていけるという自信を持ってください。



もしこの記事の内容でわからないことや疑問点、心の悩みに関する相談ごとがありましたらいつでもお気軽にメッセージをいただけたらと思います。

コメントフォーム、もしくはページの一番下の「質問などお問い合わせはこちらから」受け付けております。

私が出来る範囲で誠心誠意お応えさせていただきます。



それでは今日はここまでとさせていただきます。
読んでいただきありがとうございました。



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